近いうちにまた写真を同封して送りたいと思います。
次はキッサキに行く予定なので、一面雪で真っ白な写真になるかもしれませんね。
ジョウトでは雪はなかなか見られないので、楽しみにしていてください。
そういえば、最近私のデルビルがヘルガーに進化しました。
今ならマツバさんに勝てるかもしれませんよ。
私が帰ったら、是非ともお手会わせをお願いします。
ジムリーダーのお仕事も頑張ってくださいね。
それでは私の話ばかりだらだらと長くなってしまいましたが、以上が近況報告です。
またお手紙出しますね。

2/10


「……」

1ヶ月前だ。
ふと、そう思い、しかし記された年月日に苦笑する。正しくは3年前の2月10日だ。この手紙を最後に、彼女からは何の音沙汰もない。
ほんの気まぐれで押し入れから引っ張り出した、段ボールに詰まった手紙の束。一番古いのは5年前で、一番新しいのは3年前のもの。その一番新しい手紙を手に取り綺麗に並べられた文字の羅列を目で追っていく。何度も何度も、暗記してしまいそうなほど読み返したそれは少しだけ黄ばんで、もうよれよれだった。
5年前、親の仕事でシンオウに引っ越した彼女は、今年の春にこちらに帰ってくる予定だった。3年前までシンオウの出来事を事細かに書いた手紙は月に1回のペースで送られ、電話も稀にだがかかってきた。それが、ある日突然連絡がぷっつりと途絶えてしまった。手紙を読む限り旅をしているようだから、きっと仕方ないことなのだろう。たまに書いた返事は、ちゃんと彼女に届いていただろうか。

少しだけ、寂しい。



***



「え、?」

突拍子もない友人の言葉に、思わず怪訝に顔を歪めた。当の彼は何食わぬ顔でお茶をすすっているのだから無責任もいいところだ。食べかけだった串団子を指先でつまみ上げながら、思わず深く息を吐き出す。

「まあ、あくまで噂だが」
「ミナキ君は一体いつから怪談収集を始めたんだい?」
「偶然カントーに行った時に聞いた。マツバならてっきり何か知ってるか感じてるかと思ったが…」
「僕はそんなものに興味ないよ」
「そうか」

あっさりと話題を打ち切ったかと思えば、彼はさっさと席を立ってしまった。白いマントのようなものを翻しながら、こちらに背を向ける。もう次に行くのだろうか。相変わらず忙しない。今だ立つ気にもなれず、ぼんやりとその姿を眺めた。そして彼はこちらに一度だけ視線を向け、一言次に行ってくるとだけ言って去っていった。適当に返事をして立ち上がっては、自宅に帰るべく茶屋を出る。遠ざかっていく友人の背中を眺めながら、再び小さくため息をついた。

季節はもうじき芽吹きの春を迎える。寒さは和らぎ、日差しは日に日に弱々しいものから確固たるものへと変わっていく。それでもまだ時折気まぐれに吹く風は冷たい。淡い空をぼんやりと見詰めて、ふと、足元に視線を落とした。

(…髑髏をくわえたヘルガー、か…)

彼が言うには、最近カントーで話題になってる怪談話らしい。たいていそういうのは人間の見間違いが噂として広がるうちに尾鰭がついてしまったようなものが多い。それもきっと最初はボールか何かをくわえたヘルガーを見間違えたようなところが出発点だろう。
本物が見えない人なら、よくあることだ。
ただ、僕が気になったところはヘルガーという単語だった。彼女の手紙にもデルビルがヘルガーに進化したようなことが書かれていた。なんとなく連想されて思い出してしまう。今どうしているのだろう。あちらはまだ寒いのだろうか。そろそろ帰る準備を始めているのかな。
あれこれ考えているうちに、気付けば足は玄関の前で止まっていた。一人で住むには大きすぎる日本家屋風の家。聳え立つそれは冷え切った箱のようだ。一度だけ戸を眺めてから、ゆっくりと中に踏み入れた。留守番していたゲンガーが出迎える。それに小さく笑いながら、靴を脱ぎ捨てて部屋に向かった。


***

耳鳴りがした。脳に直接響き思考を揺さぶる。頭に何かが纏わりついているようだ。気持ち悪い。頭が痛くなりそうだった。こういう時は、平静を装って無視するのが一番だと知っている。幼い頃からの経験が嫌というほどそう頭に刷り込んできた。目を瞑り、枕に顔を押し付け、息を潜めて、ひらすら心に蓋をする。布団に入ってからまだそんなに経っていないはずなのに、ひどく頭が重かった。刹那、突然枕下にあるポケギアが鳴りだす。それに一気に纏わりついていた何かが振り払われた。驚きのあまり飛び起きて手に取れば、着信は非通知。誰だろうか。出るのを止めてしまおうか。一瞬そんな考えがよぎるが何故か切ってはいけない気がした。少しだけ間をおいて電話に出る。するとひどく懐かしい聲が聞こえた。

『もしもし、マツバさん?』
「!」

心臓が跳ね上がる。一瞬だけ呼吸を忘れて固まれば、向こう側からは「驚いた」とかすかに笑う聲が聞こえた。ああ、彼女だ。3年ぶりに聞いた声に、熱が込み上げる。必死にそれを飲み下しては、ゆっくりと言葉を紡いだ。

「久しぶり…」
『はい。何だか夜分に突然すみません。それに最近はなかなか連絡できなくて…』
「いや、元気にしてたかい?」
『そういうマツバさんは元気じゃないでしょう?』
「そんなことはないよ」
『嘘だ』
「?」
『そのまま庭を見てください。びっくりしますよ。』

言われるままに立ち上がり、障子を開けて庭を見回す。玉砂利に小さな池、枝垂れ柳と日本庭園を思わせる庭は、月明かりに青白く浮かび上がっていた。頬を撫でる風か温い。

『こっちですよ』
「こっち」
「!」

耳にあてがっていたポケギアを思わず落としそうになった。聲は受話器からではなく、柳の下から聞こえる。枝垂れ柳の影に隠れて、小さな白い影が揺れた。黒い影を纏いながら、彼女は子供のように笑う。

「ははっびっくりしました?」
「な…んで、ここに…」

驚いて言葉がうまく出てこない。代わりに彼女は「ちょっと驚かせたくて」と、笑いながらポケギアをしまった。それと同時に、裸足にもかかわらず反射的に庭へ飛び出す。足の裏に伝わるひんやりとした冷たさに一瞬だけ息を飲んだ。しかしそれに構わず数歩彼女へと歩み寄る。少しの間呆然を姿を眺めて、再び数歩彼女に寄った。
風が吹き、柳が揺れてザワザワと不気味な音を奏でる。
しかし相変わらず笑顔を絶やさない彼女は、僕の目の前まで歩いてきた。

「…何だか安心しました」
「?」
「変わりなくて何よりです。」
「そっか、僕もだよ。」

笑顔で答えを返せば、彼女は一層笑みを深くした。しかしその目は笑みとは対照的な暗さを孕んでいる。伴って濃くなる影が、ひどく不気味に見えた。

「……?どうかしたんですか?」
「いや、何でもないよ」
「それにしてもお久しぶりです、本当に。久しぶり過ぎて、忘れられてしまうんじゃないかって…ちょっとだけ冷や冷やしてました。」
「そんなことないよ。君を忘れたりなんか、しないよ」
「…良かった…」
「……」
「何だか、嬉しいものですね」

風が温い。忘れていた耳鳴りが再び始まる。途端に肌を這う得体の知れない何かに、鳥肌が立つ。その様子に首を傾げた彼女に「何でもない」と返しては、神経質に辺りを意識を集中させた。何かが近くにいるのは確かなのに、まるで姿をとらえられない。隠れているのだろうか。しかし何が目的で。知らず知らずのうちに表情が険しくなっていたのか、彼女は僕の思考を中断させるように口を開いた。名前を呼ばれ彼女へと視線を向ければ、少しだけ目を細めて、ゆっくりと言葉を紡ぎ出す。

「お花見、今度行きませんか?」
「!そうだね、もうじきそんな季節だ…」
「あ、お弁当なら私が作りますよ。何か入れほしいおかずはありますか?」
「あ…うん。…卵焼き…かな。」
「!」
「いや、ほら、身近な味というか…僕はあまりそういう食べないからさ」
「そうですか。うん、任せてください。」
「君は料理が得意だったね」
「頑張りますよ」

彼女は笑う。耳鳴りは頭痛へと変わる。少しずつ、もやついた何かが輪郭を捕らえていくようだった。それに嫌な予感が広がって、固唾を飲む。

「…本当は、シンオウに行く前にお花見したかったです」
「え…?」

不意に言われた言葉に、何て返したら良いかわからなかった。ただ笑顔だった表情は一変し、そこから感情が一気に抜け落ちる。こちらに向けられた瞳もひどく空虚で、どこか遠くを見ているようだった。それに何を言うべきなのか、分からなかった。彼女はくるりと身を翻し、何故が深く濃く影を作っている柳に向かって歩き出す。

「…大丈夫、かい?」
「大丈夫ですよ」
「……」
「そんな顔しないでくださいよ。」
「…そう、だね…」
「…でも、良かった」
「え…?」
「嬉しかった…です…」

笑ってみせる顔が青白い。おおよそ生気というものが感じられないものだった。息を飲み、彼女に近付く。

「ありがとうございます」
「!」
「私は満足です、だから…」
「!ダメだ!」

ダメだ。行ってはいけない。行ってはダメだ。
背中を向けた彼女の名を呼ぶ。しかし彼女は悲しげに笑うだけだった。柳の影が大きく揺れる。玉砂利を踏みしめる無機質な音が響き、彼女は歩き出した。ダメだ。行ってはいけない。ダメだ。頭の中で警鐘が打ち鳴らされる。背を向けた彼女に近寄ろうと踏み出すが、突如として吹いた突風に行動を遮られる。影は膨張する。触手のように伸びる。大きな口のように開く。

「待って…!」

風から顔を庇うように腕を翳す。しかしその風は次の瞬間には止んでしまった。カランと何かが落ちる音が響く。同時にまるで今の事象が嘘だったかのように、辺りは無音に包まれた。ただ柳の揺れる音だけが響く。池には僅かな波紋が広がっていた。
しかし彼女は、いない。
呆然と立ち尽くして、先ほど音がした方に目を向ける。ちょうど今立っている位置から3メートルほど離れた場所だった。
そこにはヘルガーがいる。
大人しくそこに佇み、足元に白色の何かを置いていた。それが何であるか、考えなくてもわかってしまった。彼女の手紙の一節が思い出される。嬉しそうにヘルガーを抱き締める彼女の写真が、頭に浮かんだ。

「君は…彼女のヘルガーかい…?」

それは小さく悲しげに鳴き声を上げる。そして足元にある白色のものに愛おしそうに鼻先で触れた。
こみ上げてくる熱に、嗚咽が喉をしめつける。そっとそこにあるものを両手で包み込み、胸にかき抱いた。温度など皆無の無機質な手触りだ。ヘルガーが悲しげに泣いた。

「…大丈夫…わかってるよ…」

こんな姿になってまで、彼女が帰ってきたなら。
風化されきった姿に過去の面影はない。固く白いカルシウムの塊と空洞だけが残った。
髑髏を強く抱き締める。悲しげに笑う彼女が、頭の中で何度も再生された。


「おか…えり…お帰り…」




***

あれから一週間。彼女の両親から訃報が届いた。彼女は3年前、テンガン山で事故に遭い、以来ずっと行方が知れなかったそうだ。ただそれから2年経ち、白骨化した女性の遺体が瓦礫の下から発見された。身につけていた衣服から、彼女であると判断されたそうだ。傍らにあったモンスターボールも、無残なまでに砕けていた。中にいるはずだったポケモンも行方は知れない。
同時に、何故か頭蓋骨だけが見つからなかったらしい。

(…ミナキ君の言っていた怪談話だ…)

彼女はよく、あちらではジョウトの話をしていたらしい。また、帰るのが楽しみだとも。
彼女のヘルガーは、主の「帰りたい」という願いを受け取ったのだ。だから彼女の髑髏をくわえて、ひたすらシンオウからさまざまな手段でここまでやってきた。カントーでの怪談話は、まさにそのヘルガーだったのだ。

「……」

あの日以来、ここには彼女のヘルガーが住み着いた。傍らにいるヘルガーは静かに寝息をたてている。優しく頭を撫でれば、冷たい風だけが吹き抜けた。

季節はもうじき春を迎える午後のことだ。





20100316
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