※Nが酷い男






きっと、飽きたら捨てられるのだろう。
傍らに横たわる彼女の瞼に触れる。徒に指先でその柔らかい睫毛をなぞり、浅く息を吐いた。
月明かりに青白く浮かび上がる裸体は、幻想的というより、むしろ不気味に映った。きめ細かい肌は冷えた風を纏い、磁器のような滑らかさと無機質さを放っている。「生」ではなく「死」の予感を呼び寄せる。ひどく不気味で不吉だ。まるでそう作られた人形のように目を閉ざす横顔は、暗く深い眠りに彼女が滞っていることを示唆していた。生きているのに、まるで死んでいるようだ。

――きっと、厭きられたら捨てられるのだ。

反芻するたびに体内に沈澱する言葉は、意識を濁らせる。まるで時間が止まってしまったかのような静寂の中で、埃が積もるように虚しさが積み重なっていった。外気に晒された体温が抜け落ちていく。倦怠感がべっとりと張り付く体を引きずりながら、ベッドを下り窓辺に立った。
月が天頂にかかる夜半は、まるで深海のように深く蒼い。白いカーテンは半透明に、海月のように風に漂った。淡い影が足首を飲み込み、さらに体温を攫う。蒼く閉じた空間は、まるで絶海のようだった。
海の底だ。浮かび上がることもできない。沈んでいく。窒息していく。肺呼吸はともかく、鰓呼吸は残念ながら身体機能に備わっていない。酸素が身体に行き渡らない。臓器が少しずつ機能することに疲れていく。自分が死んでいくのがわかった。

気まぐれに行う行為はひたすらに無意味で、自分たちを繋ぐか細く弱い糸である。今にも千切れそうに張りつめている。それをなんとか失うまいと、怯える手で手繰り寄せている。縋りたいのだ。縋っているのだ。凍えるような指先を絡め、あいをかたり、正当化させる。一方的に貪って、ただその性を食い荒らす。彼女は苦痛しか訴えない。それでも「大人ならそうやって繋ぎ止める」のだと、誰かが言っていた気がする。独りに戻ることはもう厭だった。嘘でも裏があっても構わない。独りにはなりたくない。置いていかないで欲しい。独りは酷く怖い。疲れる。不安になる。

「name」

まるで血を吐くように、その名前を吐き出す。総てが終わりを告げた日に出会った彼女は、ためらいなくボクを受け入れた。もともと受動的な人間だったのだろう。こちらの言うことには何でも従った。返事に迷いを見せたときもこちらが強引に主張すれば受け入れた。口論になれば決まって彼女が謝る。ボクにどんなに非があろうと、彼女は決して食い下がるということをしなかった。
――彼女は何だって言うことを聞いてくれる。
支配欲が満たされる感覚。優越感。劣等感の払拭。ああ、今なら父の気持ちが分かる。ボクはさながらあの人の支配欲を満たす道具だった。上手に舞台で踊って、舞って、終曲で台本を台無しにした。最初で最後、ボクを見限ったのは父親1人だけだ。作られたあの世界では、父親だけが偽りで真実だったのだ。その他の有象無象は、王のために存在しながらもボクのものではなかった。ボクを見限るほどの距離にも存在せず、ボクの存在は始めから世界そのものに見限られた代物だった。

だから棄てられる虚しさは、ボクなりにわかっている。――だが彼女はボクを決して棄てない。ボクの言うことなら何でも聞いてくれる。しかしボクにいつか厭きるだろう。従うことに疲れ、離れていく。彼女の意志に芯が入ってしまえば、ボクはただのわがままな子供だ。それが赦されて獲得した居場所はこんなにも脆弱だった。今にも崩れそうな足場に蹲りながら、こじつけの愛情で今の関係を保っている。

今一度ベッドに戻り、彼女の顔を眺めた。おもむろに手を伸ばし、彼女の腹部に触れる。
ここに自分の遺伝子を植え付けてしまえば、彼女を永劫ほだすことも可能だろうか。彼女は離れていかないだろうか。そばにいてくれるだろうか。独りにしないと、約束してくれるだろうか。
手のひらに力を込める。少しずつ肌を、腹部を、冷えた手のひらで圧迫していった。
――でもダメだ。きっと。赤ん坊ができたら、彼女の総てはそれに向いてしまう。彼女の視線からボクが除外される。必要でなくなる。ダメだ。これは巧くない。ダメだ。彼女を、奪われる。
ただ、腹部の中にいるだけで、羊水に浸るだけで、赤ん坊は無条件で愛される。そうやってボクから彼女を奪っていくのだ。
手のひらにかかる力が無意識に増した。
彼女は小さく呻き、身じろぐ。睫毛が震え、薄い膜に覆われた瞳が現れた。僅かな光も取り込もうと、瞳孔が月明かりを目指して広がっていく。次いでキロリとその瞳はこちらを向いた。

「……なに」

乾いた唇が、魚の口のように動いた。声はどこか浮いている。何でもないと笑って頭を振りながら、ボクは頭の中でどす黒い感情が渦巻くのを感じた。考える。いつも、彼女を今日はどうつなぎ止めようか。思案する。明日を繋ぐ為に、どうほだそうか。
彼女の傍らに身体を移動させ、肢体を寄せる。

「nameは子供が好きかい?」
「突然だね」
「どうなの」
「嫌いじゃ、ない。わからない。あまり小さい子とは関わらない、から」
「じゃあ、頑張れば好きになれるだろ?」
「……うん」

目を伏せ、彼女は低く呻くように頷いた。彼女の背中に指を滑らせ、体を引き寄せる。冷えた体温に、体の奥が軋みを上げた。彼女がゆっくりとした動作でこちらを見上げる。開いた瞳孔に吸い込まれるような錯覚を覚えた。

「Nは、子供が欲しいの?」
「さあ」
「じゃあ、なんで私が、子供を好きになるの」
「ねえ、name」

壊れ物を扱うように、そっと抱き締める。いや、壊れ物というより、すでに壊れてしまったものだ。自分がその破片で傷付かないように、そっと抱き締めるのだ。

「ボクを、生み直してよ」

生み直して、ゼロにして、無償の愛を。誰よりも何よりも、その想う先が自分でありたい。その気持ちが常に自分に向いたものであってほしい。そのために、必要なものは。
彼女はただ黙ってボクの頭を掻き抱く。何故だかひどく、悲しい匂いがした。


愛してください。
あいしてください。
無条件で貴女を手にする権利をください。
愛し方を教えてください。


それが彼女を愛しているという事実にすら、気付けない。




20110830
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -