最近、気になる人がいる。といっても好きな人、と安易に結び付けるのは早計だ。いや女子高生が同年代の異性に興味を持つのは大半は恋慕の対象としてなんだろうけど、彼はそんな常識からは逸脱していた。彼は毎朝、わたしと同じバス停から同じバスに乗る。男にしては艶々とした長い黒髪、分厚いレンズ越しに覗く知性を湛えた瞳、今時珍しいくらいにまでかっちり着こなした制服、そして肩に掛かるリュックサックからはデフォルメされた女の子のフィギュアやらメタルプレートやらがぶら下がっている。完全なるヲタクルックインザスクールだ。あそこまで突き抜けている人も珍しい。周りの目とか、気にならないんだろうか。いつも同じ席に座り、カバーを掛けた単行本を読み耽る。しかしカバーは透明なので何も隠せてはいない。多分傷がつかないように配慮しているだけなんだろう。今朝はピンクの髪の女の子がふんわり微笑んでいる表紙のライトノベルだった。さすがとしか言えない。


(―…あ、また笑った)


そんな彼は通学時間中、頻繁に携帯の画面を見つめてたまに微笑む。口許が少し緩むぐらいの微妙な変化ではあるけれど、普段が仏頂面なだけにその違いは明白だ。好きなアニメキャラの待受を見てにやけているのか、テトリスのランキングで一位になって喜んでいるのか、その理由は定かではないけれど、愛しいものを丸ごと包みこむかのような微笑に、心が動かされたのも嘘ではない。そう、わたしはたくさんの意味で彼が気になって仕方がなかった。



「なにぼーっとしてるの」
「うお、綾部!びっくりした!いきなり話し掛けないでよー」
「さっきから何回も呼んでたよ」
「え…気付かなかった」
「また君の王子様のこと考えてたんでしょう?」
「王子様って…」
「あれ、違うんだ?その人のことばっか話してるからてっきり憧れてるのかと思ってた」
「ちっ…違うよ!そんなんじゃ…そんなんじゃないもん」


隣の席の綾部は捕え所のない性格で、わたしの話に相槌を打ってると思えば寝ていたり、話を聞いてないと思えば突然意味深な発言をしてみたり、非常に扱い辛い人間と言える。しかしこの理系クラスにはただでさえ女子が少ない上に女子は後ろの方に固まってしまって、わたしの話し相手をしてくれるような存在は綾部しかいなかった。共通の友人がいるわけでもないわたしたちの会話のネタは乏しい。綾部との会話に盛り上がりを期待しているわけではないが、沈黙を埋めるためにもバスで見かける人の話をよくしていた。わたし自身すら名付し難いこの気持ちを、綾部が理解するはずもないけれど。「何で微笑うんだと思う?」わたしの質問に綾部は答えた。「知らないよ」全く綾部らしい。


「でも、気になっちゃうのは確かなんだよね…」
「本人に訊いてみたら?」
「名前も知らない人にそんなこと言えるわけないじゃん」
「…あいつなら知ってるんじゃない?」


そう言って綾部は不健康なくらい細く白い指をぴんと伸ばして、とあるクラスメイトを指した。その先にいるのは田村。文武両道、容姿端麗、品行方正でありながら重度のアニメヲタクのために恋愛対象には入らないが人気者だ。確かに彼もまた二次元を愛する者ではあるけれど、学年も違うのにヲタクという共通点だけで括れるのだろうか。考えててもしょうがない。田村に何て思われようと構わないし、わたしは綾部の提案を飲むことにした。一抹の期待を乗せて、田村の席に向かう。綾部が後ろから、「がんばって」とやる気のかけらもない声で応援してくれた。本当によくわからないやつ。でもわたしの下らない相談をちゃんと聞いてくれたところ、嫌いじゃない。


「え?この学校の生徒で見るからにヲタクな人だって?」
「うん、田村なら知ってるかと思って…」
「お前…僕を何だと思ってるんだ」
「ヲ「皆まで言うな」…怒らなくていいじゃんか」
「怒ってはいない!僕は自分が誰よりも深くユリコを愛していることに誇りを持っているからな」
「はいはいユリコちゃんはいいから、知ってるの?知らないの?」


すぐにマイワールドにのめり込むのも田村の悪い癖だ。あの人もそうなのかな、考えたら少し微笑ましかった。ひとりでににやけ始めたわたしを田村は害虫でも見るかのような目付きで見つめ、呆れた声を出した。


「…多分、久々知先輩だよ」
「くくち、せんぱい?」
「ああ。ほら、そこに」


田村は窓から身を乗り出して、中庭の集団を指し示す。真っ先に目に入るのは、その変態具合と裏腹の優秀さで全校に知られている鉢屋先輩とそっくりな顔で柔らかく笑っている不破先輩。一つ上の先輩たちの中で有名な二人だ。残りの人たちも先輩だろうか、男の人が二人とセーラー服が一つだけ。真っ白な肌と茶色い猫毛が日差しを反射してきらきらと輝き、とても眩しい。その女の先輩の隣に、毎朝バスで見かける姿があった。


「あの黒髪の人だろう?」
「…うん…」
「隣にいるのが久々知先輩の彼女。僕もお世話になってるけど、こっちの趣味にも理解あって、羨ましいぐらい仲良いんだ」


田村の説明は殆ど聞こえていなかった。わたしの頭を占めていたのは、彼女と睦まじく話す久々知先輩の微かな笑顔。それはバスで携帯を眺める瞬間の先輩の表情そのものだった。アニメキャラでもテトリスでもない、先輩の心を照らしていたのは、紛れも無い三次元の女の子だったんだ。途端に胸が苦しくなる。何とも思ってない、ただ毎朝見かけるだけの少し気になる程度の人だったのに。わたしはどうして、傷ついているんだろう。あの人の笑みが一瞬だけでも向けられればいい、なんてどこかで考えていた。いつか話しかけてみよう、そんなことを夢見てた。理屈じゃない、言い訳もしない。わたしは、確かに、あの人に魅かれていた。


「…おい、どうした?」
「…へ?」
「なにぼーっとしてるんだ?」


田村が問い掛ける。
わたしは答える。


「知らないよ」

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