「ちっともわかんない…」


あたしの沈痛な呻きにも全く取り合わずに読書を続ける兵助に、今日ばかりは殺意を覚える。澄ました顔して読んでいる、ご丁寧にカバーまで掛けたそれが生徒会の一存だと知って以来、更に苛立ちは増していた。兵助はアニメ化をきっかけに一度読んだ作品を一から読み直す癖がある。あたしが必死に勉強してる横で悠々とラノベ鑑賞だなんて!どうせくりむちゃん萌えとか思ってるんでしょ!などなど理不尽な現実に対する恨みつらみが重なって、もはや勉強どころじゃなくなっていた。それでも勉強はせねばならない。何故なら単位が懸かっているからだ。


「まさか咲がこんなにできないとは」
「ちっ…違うもん!数学だけだもん!」
「先生も何で俺にカテキョー頼むんだ…俺文系なのに」


いつの間にやら学校公認カップル化していたせいだと思うけど、今の兵助にそんなことを言えば職権の私的乱用だと職員室に直談判しに行きそうな勢いなので、あたしは口を噤んだ。何だかんだいっても、あたしはこの状況を少なからず喜んでいる。兵助は進学クラスの生徒らしくテスト期間は勉強に集中したいと言って構ってくれないし、テストが終われば抑圧されていた欲望が解禁され、授業が終わった途端に帰宅して録画したアニメを貪るように眺める。その後ろ姿たるや、獲物を前にした猛獣さながらだ。普段は草食系のくせして。その間、兵助は三次元のことなんて総無視、たまに食事も忘れるぐらい。だから追試のための勉強とはいえ、兵助があたしのために時間を割いてくれているのは非常に嬉しいことだった。


「兵助ーわかんなーい!」
「どこがわからないのか簡潔に言え」
「え、っと…ここ?」
「それはこの公式で連立方程式作って―…」


勉強に集中してるときの兵助の横顔が好きだ。眼鏡の奥の双眸がきっと問題を睨みつけて、真剣な面持ちでシャーペンを走らせる。近くで見れば普段は前髪とかで気付きにくい、すっと通った鼻筋やきめ細かい陶磁の肌、長い睫毛が自然に意識されて、不意にどぎまぎしてしまう。かっこいい、いやむしろ綺麗?そんな彼氏をじっと見ていると、あたしには不釣り合いな気がして何となく気持ちが萎んでしまった。兵助は眼鏡のブリッジを指で押し、不満げな声を上げる。


「咲。聞いてたか?」
「…あ、うん!」
「じゃあ答えは?」
「……3」
「はぁ…何で円の中心の軌跡求めて整数になるんだ…」
「すみません!聞いてませんでひた!…失礼、かみまみた!」
「…………」


沈黙。似てると評判の真宵ちゃんの物真似をスルーされるほど、兵助を怒らせてしまったらしい。だけどやる気がないものを強制されることほど苦痛なものもないのだ。どうしよう…何とかしてやる気を出してみるか。まずは定番の自己暗示作戦を試みる。あたしは勉強が好き、あたしは勉強が好き、…無理だった。あとは定番と言えばご褒美。だけどあたしの要求要望の九割は実に兵助に関わるものであるから、今のこんな不機嫌な彼に頼めるわけもあるまい。あーあ、兵助がお願い聞いてくれたら、なんでも頑張れる気がするのになあ。


「咲」
「なあに、兵助?」


もう怒ってないのかな、期待を込めて見つめた兵助の表情はいつにも増して固かった。おまけに文庫本を支える手がふるふる痙攣している。どうしたんだろう、突然の風邪?じっと兵助の言葉を待つ。教室の窓の隙間から冷たい風が入って来てあたしたちの頬や輪郭を優しく撫でて行った。


「100点取ったら抱いてやる」


三点リーダ、沈黙が再び訪れる。今の台詞は本当に兵助が言ったんだろうか。確認するために聞き返すと「二度は言わない」と突き放された。あたしたちは付き合いは長いけれど清いままで、あたしはそれが少し淋しくちょっぴり不安で、だから、それで、えっと、


「あたし、がんばっちゃうよ?」


ある種の熱に浮かされた瞳で兵助を捉える。兵助は敵を挑発するFFキャラのように、口の端を吊り上げて笑った。


「楽しみにしてる」



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