山の端に赤々と燃える太陽が吸い込まれてゆく中を、わたしときりちゃんは並んで歩いていた。あの人との衝突もあって、非常に口を開きにくい空気が流れている。しかし、特に気にはならない。何も語らずとも気まずくならないのは本当の親しさの現れだと菫さんが以前言っていた。だとしたら、わたしときりちゃんも少しは仲良くなれたのだろうか。わたしが勝手に思い込んでいるだけでも構わない。純粋にこの時間が愛おしいと思った。ずっと、続けばいいのに。



暫く歩き続けて、うっすら夕闇が空を染め出した頃、わたしはきりちゃんに言わなければならないことを思い出した。それも、海に着くまでに。


「わたしね、騙されてたの」


唐突なわたしの言葉に驚きを隠しきれずに何度か瞬きをして、きりちゃんは相槌を打つ。


「どういうことだ?」


何となく目を合わせられなくて、せわしなく動き続ける足元に視線を落とした。


「わたしが家族と会ったことがないのは前に言ったよね。それでも旦那様にずっと脅されてたの。わたしが拒んだり、逃げたりしたら遠くで暮らしてる家族に危害を加えるって…」


きりちゃんは口を挟むつもりはないらしく、聞き役に徹している。わたしを決して見ない瞳は遠くに投げられていた。


「死にたいって何度も思った。逃げ出したい、楽になりたいって。でもわたしは信じてたの。会ったこともない人たちだけど、血の繋がりがすごく尊いものに感じてた。護らなくちゃって、」


そう、あの時のわたしは信じていた。わたしを借金の形に売らざるをえなかった両親が、今も困窮に苦しみながら生きながらえていること。彼等を守るのは子供として当然の役目だと。だからこそ、醜い欲の塊に抱かれ、我が身が穢れてゆくのを見ない振りをして耐えてきたのだ。真実を、知らされるまでは。


「昨日、初めて旦那様に教えられたの。わたしの親は賭事で散財したせいで借金で首が回らなくなって、雀の涙程の少額でわたしを売ったこと。そのお金で逃げた先で賊に襲われて二人揃って命を落としたこと」


きりちゃんが同情するように眉を寄せる。


「わたしは、何のために生きてきたんだろうね」


ぽつりと呟いた声が透明な大気に消えていった。


「なんで、」


重苦しい空気を打ち払うように、きりちゃんがわたしに問い掛ける。


「なんであいつはそんなこと言ったんだ?ずっと隠しとくもんだろ」


きりちゃんの言うことは尤もだ。情など無く利用するなら騙し続けておけばいい。しかし、あれは旦那様の気紛れだった。二度と会うことのないわたしに、絶望を助長させる冥土への餞別をくれたのだろう。


「もう、関係ないから」
「それってどういう…」
「あ!」


きりちゃんの言葉が突然耳に入らなくなる。木々の合間を縫って敷かれた山道が開けていて、そこを進んだ先には薄暗い闇でもわかるほど深く蒼い何かがあった。無意識のうちに高鳴る鼓動を抑えようと深呼吸をする。なんて、広大で、美しい。


「…?ああ、あれが海だ」


きりちゃんの説明を聞くか聞かないかで駆け出して、すぐにその近くに寄る。一定のリズムで繰り返す音、足の親指まで打ち寄せてくるもの。これが波?衣が濡れないよう注意を払いながら屈み込んで指先で触れてみる。ひんやりとした感覚が鈍く伝わってきて気持ちいい。どうしても試してみたくて少しだけ舐めてみると本当にしょっぱかった。視線を上げるとどこまでも続きそうな限りない水溜まり、何処か懐かしさに似たむず痒い気持ちがするのは、何故だろうか。一通りのことをやり遂げて満足に浸っているわたしの隣に出遅れたきりちゃんがやって来る。きりちゃんは何度も来てるらしいから珍しくないのか。


「すっごい…!すごい!もう…すごいしか出て来ない…!」


感動を伝えようと実践するも語彙の貧困さを露呈する結果に終わる。きりちゃんはそんなわたしにちょっと馬鹿にしたように笑った。久しぶりに、きりちゃんの笑顔を見た気がした。


「そんなに嬉しいか?」
「うん!ずっと、ずっと憧れてたの…本当に、綺麗…。それに今日、きりちゃんと来たかったの」


きりちゃんは何で?という顔をした。ごめんなさい、きりちゃん。これを言えばきっとあなたは反対する。でも、もう決めたことだから。初めての自分の意思。わたしは努めて明るい笑顔を浮かべて告げる。


「わたしね、今日、海に帰るの」

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