あれは弟と妹と夕ごはんの買い出しに出掛けた放課後のこと。近所のスーパーだし、わたしはグレーのTシャツワンピにレギンス、加えてキティちゃんの健康サンダル、勿論ノーメイクという何とも気の抜けた格好だった。前をずんずん進む弟に注意しながら、妹の小さな手を握りしめる。今年七歳になったばかりの妹は、わたしと同じ黒い髪が風に遊ばれるのにも構わず、にぱっと笑った。その笑顔が可愛くて可愛くて、思わずぎゅーっと抱きしめる。弟は走って戻って来て、僕も僕もとせがむのだった。なんて愛しいわたしの弟妹。このコたちが幸せになるためなら、わたしはいくらでも我慢しよう、そう心から思えた。


「いったぁ!」


ちょっと目を離すとすぐ何処かに行ってしまう弟の叫び声が聞こえた。急いで妹を連れて声の元に向かう。するとスーパーの近くのコンビニに屯していたらしい、怖そうな学ランのお兄さんたちに見下ろされている弟がいた。さーっと血の気が引いていくのがわかった。妹に待っているよう言い聞かせて、自分でも驚くべきスピードで彼らの間に割り込んだ。


「すみませんっ…!」
「あ?なにあんた、このガキの姉ちゃん?」
「いきなり走ってきてぶつかりやがって、おかげで煙草一本無駄にしちゃったしー」


そう言いながら金髪の彼は近くに落ちたまだ長い煙草を指し示す。それは本当に申し訳ないですけど、あなたたち高校生ですよね?吸ってるのが悪いんじゃないの!


「…すみません」
「謝りゃいいってモンじゃないっしょ」
「オレたち今金ないんだよね」
「ちょーっと分けてくんない?お姉ちゃん」


ぐいっと顔が迫ってくる。手首を掴まれた。やだ、気持ち悪い。お金なんてないよう!目を逸らせば泣きそうな顔の弟が視界に入る。わたしの頭の中は、弟だけでも逃がさなくてはとそれだけでいっぱいだった。


「あの「おにーさんたち」


わたしの精一杯の抵抗を遮る者が現れた。わたしを庇うように立つひょろひょろ伸びた長身。だらしないのに格好良く見えてしまう着崩した制服。下の位置で無造作に括った茶髪。新年度が始まってからというもの、否応なしに見続けていた次屋くんの背中だった。授業中も寝てるかぼんやりしてるかで、その上見た目も不良っぽくて少し恐れてたから、話したことは殆どない。だから、彼がわたしを助けてくれたことが全く信じられなくて。目を見開くわたしを気にせず、次屋くんは彼らに向かってにやりと不敵に笑った。


「なにしてんの?カツアゲ?」
「っせえな!関係ねーだろ」
「いやークラスメイトの危機に黙ってらんなかったもんで」
「お前、喧嘩売ってんのか?」
「…あ?俺とやんの?」


次屋くんがそう言った瞬間、辺りの空気が冷たくなった。ぴりぴりとした緊張感は、次屋くんから発っせられている。腕を掴まれたままの恐怖もすっかり頭から抜け落ちて、わたしは彼の殺気に当てられ息も出来なかった。ごくり、と誰かが息を飲み込む音がやけに響いて、次の瞬間男たちは方向転換をして立ち去って行った。覚えてろよ、なんて月並みな台詞を残して。彼らの姿が角に消えてゆくのを見届けると、次屋くんはいつもの無気力な感じに戻ってへらりと笑う。そういえば、笑顔なんて初めて見た。


「だいじょーぶか、百瀬」
「え、あ、う「うん!」


名前知ってたんだ。驚きとか色々な感情で上手く言葉を出せないわたしに代わって、弟が大きく返事する。姉ちゃんは僕が守る、と普段から息巻いているこの子にとって次屋くんは英雄なのだろうか、目にはきらきら星が飛んでいる。


「兄ちゃん強いんだね!」
「お?そーか?」
「うん!すげぇかっこいい!」
「さんきゅ。でも、お前も男ならな、大事な姉ちゃん自分で守るくらいの気概がないとだめだぞ」
「き、がい…?」
「でっけえ覚悟ってこと」
「うん!わかった兄ちゃん!」
「うっし!偉いな」


わしゃわしゃ弟の頭を掻き回す次屋くんは、教室での大人っぽい彼でも、さっきまでの怖い彼でもなくて、でも一番身近に感じた。次屋くんはわたしを見る。怖くないのに、心臓がばくばく煩い。どうしちゃったの、わたし。


「ありがと…次屋くん」
「ん!名前知ってんだ」
「次屋くんだって」
「百瀬、外部受験組だろー。数少ないから目立つんだよ」
「へぇ…そうなんだ」
「大分年離れた弟妹いんだな。百瀬が面倒見てんの?」
「うん。お父さんいなくて、お母さんは仕事で忙しいから」


言った後で、はっとする。軽々しく公言するようなことじゃないのに。同情されるのは嫌い。わたし以上に大変な人だっているのだし、わたしは大切な家族がいる分ずっと恵まれてる。なのに皆は家事で手一杯で遊ぶ暇のないわたしを"可哀相"だと言う。わたしは、幸せなのに。


「そっか、大変なんだな」


ほら、


「でもさ、こんないい弟がいんだから幸せモンだよ」


次屋くんはにかっと太陽みたいに笑った。わたしは零れそうになる涙を必死に堪えて、頷くだけで精一杯だった。じゃあな、弟といつの間にか付いて来ていた妹を一度抱きしめて、次屋くんはスーパーの反対側に歩いて行った。その瞬間から次屋くんは弟のヒーロー、わたしの王子様になった。

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