俺には好きな娘がいた。過去形なのは、さっき振られたばかりだからだ。彼女を好きになったのは、ちょうど高校の入学式の日だった。中学から持ち上がりの俺たちには、節目の行事もあまり関係がない。学園長のいつもの突飛な話を右から左に聞き流しつつ立っていると、ふと隣の女子が視界の端に入り込んだ。見たことない顔、受験組か。彼女は学園長の話に一々リアクションを忘れず、時には彼の話を咀嚼して何か考え込んでいる様子も見られた。今時珍しいぐらいの真面目な子だな。最初はその程度の印象だった。暇だったからつい、その娘のスリッパに書いてある名前を盗み見た。百瀬叶子。俺はそれを頭の片隅に置いて、まだまだ続きそうな学園長の語りに七度目の欠伸を噛み殺した。


俺の彼女に対する印象が一転したのはその日の午後のことだった。入学式とホームルームが終わり、部活目当てに体育館に寄ったものの、新キャプテン・鉢屋先輩の姿はなかった。代わりに立っていたのはOBの食満先輩。


「おー、作じゃん」
「っす。あの、鉢屋先輩は?」
「あいつはめぼしい新入生漁る、って消えたよ。多分今日は来ないんじゃないか」
「はぁ…まじっすか」
「あれさえなきゃ最高の選手なんだがな…。とりあえず今日は俺らが借りることになってっから、悪いけど練習できないぞ」
「あーわかりました。じゃあ、失礼します」
「おう!またバスケしような」


何処まで本気かわからないが、鉢屋先輩はそんな感じの理由でよくいなくなる。キャプテンに就任したのだから、もう少しちゃんとしてほしいと思うが、長年の付き合いだ、無駄だと十分承知している。諦めて帰路に着くと、角から何かが出て来て思い切り俺にぶつかった。突然のことでびっくりしたものの、すぐにその小さな塊が女の子だとわかる。こんな小さい子にぐらつく程俺の体は軟じゃないが、女の子の方は反動で後ろに倒れそうになる。やべ!


「ごめんなさいっ!」


女の子の背中に手を回して抱え込んだ瞬間、この子のものとは思えない声が聞こえた。女の子の体を支え、しっかり立たせたところで声の主を探す。あ、さっきの。


「お姉ちゃん!」
「もうっ!勝手にどっか行ったらだめでしょ!ほら、お兄さんにちゃんと謝んなさい」
「はぁい。お兄ちゃんありがとう!かっこよくて、あたしどきどきしちゃったあ」
「余計なこと言わないの!あ、本当すみません!」


百瀬さんは俺と一瞬目が合うと、平謝りを始める。そんなに腰を折らなくてもいいんだが。なんか百瀬さんって面白ぇな。


「百瀬さん…だよな?」
「えっ…何で」
「俺、同じクラス」
「嘘…!ごめんなさい!全然気付かなくって…」


百瀬さんは今度は目を真ん丸く見開いて、それでも謝り続けるのだから大したものだ。どっかのわがまま放題のお姫様に見習わせてぇな、全く。


「いいって。富松作兵衛、よろしくな」
「うっ…うん!よろしくね、富松くん…!」
「よろしくねー作兄」
「あんたはまた勝手に…!」


へらへらお日様みたいな笑顔で俺の手を握る妹らしき女の子に、百瀬さんは目を吊り上げて怒る。だが、困ったように下がった眉から本気じゃないのは見て取れた。いいな、俺一人っ子なんだよな。


「仲良いんだな、二人とも」


しみじみと呟けば、百瀬さんは一瞬ぴたりと固まった後、「うんっ…!」と満面の笑みで頷いた。飾り気のない、心からのそれ。その瞬間、俺の中の何かが弾ける。う、わ、可愛い…!彼女が妹に急かされたので別れた後も、俺の頭からは彼女の姿が消えてはくれなかった。


「あっ!作ー!おかえり」


俺には幼なじみがいた。過去形なのは今は何と呼べばいいのかわからないからだ。こいつはひどく神様から愛された女だった。ふわふわの髪と細っこい体とでっけえ目が特徴で、恋愛話になると男の口からはいつもこいつの名前が上がった。俺の幼なじみという身分は、彼らにとっては大変羨ましいものだったらしく、昔は随分いざこざに巻き込まれたものだ。最近は俺が距離を置いたこともあってか、至って平凡な人生を送れている。ただひとつ、こいつが未だに俺を「作」と呼ぶこと以外は。


「だから作って呼ぶなっての」
「いや!」
「何でだよ?」
「…だって、作って呼ぶ女子は私だけでしょ?」


当たり前だろ。クラスが違ってもべたべたしてくるお前のせいで、女子は俺ごと敵視してんだよ。お前も俺に構ってる暇あるんだったら友達の一人ぐらい作れよ。そう言ってやりたいのだが、こいつに友達がいないのは事実であるから口には出せない。いくら男にちやほやされようとも、その淋しさは拭えるものではないだろう。俺は膨れっ面をする円山を適当にあしらってから、ドアノブを回した。どんなに言い寄られても、誰とも付き合わない円山。その理由を俺に訊いてくる輩も多かったけど、元から何を考えてるか解らないやつだったし、解ろうとしたこともなかった。


今日、多分生まれて初めてこいつを知った。開いた口が塞がらない、とはまさにこのことか。夏間近だというのに少しひんやりする円山の身体に包まれながら、頭の冷静な部分がぼんやりと考えていた。これ、どっきりじゃねえの。だってこいつは只の幼なじみで、どちらかというと迷惑ばかり被ってて、幼なじみじゃなかったら、きっと言葉を交わすこともなかっただろう存在なのに。


「…おい」
「…………」
「(…シカトかよ)俺、好きなやつ、いんだけど」
「……知ってる。でも、私の方が幸せにしてあげられるよ」
「はあ?…何を根拠に…」
「だって、私ほど作を愛してる女は他にいないもの」


円山は俺に抱き着いたまま、やんわり微笑む。間近で見るそれは何つうかまあ、その、あれで。野郎共がこいつを好きになる理由も少しはわかった気がした。


「わーったよ」
「なにが?」


お手上げのポーズを作ってみせると、円山はきょとんと目を瞬かせる。何だ、こいつ可愛い顔してたんじゃねえか。


「俺を惚れさせてみせろよ、華」


我ながら恥ずかしい台詞を言ったものだと思う。しかしながら火が出そうなほど真っ赤になって、俺の胸に顔を埋めたこいつには効果抜群だったようだ。腕の中の小さな温もりに想いが潰えた辛さが緩和されてゆく。ありがとな、華。いつかお前を好きだって自信持って言えるようになったら、その時はまた笑ってくれよ。お前なら、待っててくれるだろ?

華の笑顔こそが、きっと何よりもその答えだ。

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