一目見た瞬間、僕はこの娘を好きになるんだろうと思った。それとほぼ同時に、あっさり悟ったことも覚えている。この娘は、僕のものにはならない、と。



何の変哲もない放課後だった。担任の先生に雑用を押し付けられて、教材の詰まった段ボールを一階の資料室に運んだ帰り。校舎に囲まれて廊下からは死角になる中庭に、人影が見えた。僕がいる場所は彼らが立っている場所から近いために、顔は見えるし、はっきりとまではいかないけど声も響いてくる。男と女が放課後に密会、用事は一つしかない。盗み聞きなんて野暮なことをするわけにもいかないし、立ち去ろうとした矢先に男の方の顔が目に入る。跳ねた赤茶の前髪に精悍な顔立ち、間違いない、「作」だ。眼前の人物に思い至った瞬間、昨日の円山の様子を思い返す。円山は彼絡みのことにしか左右されない。つまり、円山はこれを知っていたのか。




「浦風って綺麗だね」


立花先輩に料理研究部から突然引き抜かれた後、円山は驚異の順応性で作法部に慣れていった。目立つ方でもないのに立花先輩に気に入られたために強制入部させられて、自分勝手の体言者である立花先輩とろくに話したこともない綾部先輩、円山に囲まれて大変暮らしづらい時期だった僕とは違い、円山は案外楽しそうに部活動に勤しんでいた。とは言っても活動なんてないから、ただ部室に集まって円山の煎れたお茶を飲みながら好き勝手に過ごすだけだったけど。僕はいつも塾の予習に充てていた。ある日、円山は英語のテキストと睨み合う僕の前にしゃがみ込んで突然言い放った。


「浦風って綺麗だね」
「はあ?」


僕はわけがわからなかった。確かに立花先輩はそう言って僕を部に勧誘したわけだけど。美の権化のような他の部員を見るにつけて、僕はここにいていいのかと自問していた。僕とこの人たちは存在から違う。実際、周りにも一人だけ毛並みの違う僕をやっかむ者が多かった。そんなとき、円山の言葉は嫌味のように聞こえた。


「なんだよ、嫌味?」
「えっ?何が?」
「…円山も綺麗だよ」


僕が不機嫌な理由が解らないで首を傾げている円山に仕返しのつもりで褒めると、円山は疑問符を浮かべたまま「うん、知ってる」と頷いた。こいつ…!その自信満々な感じがますます癪に障ったので、思い切りわざとらしく溜息を吐いてやると、円山はパイプ椅子を持ち出して、僕の前に座った。


「例えばね、柔道で全国優勝した人が、柔道下手ですって謙遜するのはおかしいでしょう?博士号とった人が、頭悪いって自分を評すると思う?そんなわけないよね。つまり、他から認められたことは精一杯いばっていいの」
「ということは、円山は自分の容姿に自信持ってるってこと?」
「うん」


あっさりと、円山は肯定する。その顔は確かに今日まで見てきた中で一番整っているけれども。円山に女の友達がいないわけがわかった。こんな歯に衣着せぬ言動に、神経を逆なでされない女は多分いないだろう。


「別にいいじゃない。私はこれに大した価値があるとは思えないし。顔が良くたって幸せになれるわけじゃないもん」


言ってることはめちゃくちゃなのに、円山の見せる寂しそうな表情がそれを紛らわせる。ほら、顔がいいって得じゃないか。何を言ってても、円山は許される。


「だけど、浦風は別だよ。顔も勿論整ってるけど、私が言ってるのは中身の方。優しくて穏やかで、浦風が一番綺麗」
「そんな…っ」


反論したかったのに出来なかった。円山の笑みが余りにも綺麗だったから。ふんわり笑う彼女はまるで西洋の絵画の中で微笑む天使みたいで。円山の言うことなら、信じてみようと素直に思えたのだった。あの時から、僕は他の娘を好きになる方法がわからない。




「他に好きな人がいるの」


名前も知らない女の子の声ではっと意識を取り戻す。「作」は振られたのか。ざまあみろ。話したこともないくせに他人の不幸を喜ぶ僕は最低な人間だ。だけど、そうだろ?「作」のせいで、僕だって何度も失恋を繰り返す。男の嫉妬は醜いと嘲笑ってくれても構わない。「作」がいる限り、円山は僕を見てはくれない。



随分ぼーっとしていたようで、二人の姿は跡形もなく消えていた。円山に伝えに行こうとして、何故行く必要があるのか、と立ち止まる。彼の失恋を知れば、円山はきっと慰めるだろう。そこから恋愛感情が芽生えてしまうかもしれない。円山の片想いだからこそ成り立っていた僕の恋慕が、ひどく無為なものに変わる。何故自分からそれを起こすのか。

しかし、足は勝手にA組に向かって動き出す。わかってるよ。僕の望みは円山が笑っていてくれることだ。彼の隣で一番綺麗に咲くのなら、妨げる権利はないだろう。僕だって一端の作法部員である。作法部の信念は、「美しいものを愛せ」、なのだ。

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テーマ「人外ファンタジー」
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