あの日以来、わたしと新妻さんはゆっくりと着実に距離を縮めていった。先生という敬称が気恥ずかしいからと呼び方の訂正を求めた結果、わたしはエイジくん、エイジくんは梓と呼ぶことになり、エイジくんはわたしの味噌汁にかけるこだわりに気付くようになった。少しずつ、重なっていく二人の時間、生活、気持ち。それと同時にわたしは不確かながら自分の心の奥底に巣喰うものを意識するようになった。それはエイジくんの連載が決まった日からわたしの目の前に時折姿を見せるようになった、嫉妬、羨望、憎悪などの醜い感情だ。わたしが苦心するキャラ付けや話の粗筋を、エイジくんは呼吸でもするかの如く簡単に作ってのけてしまう。しかもわたしが一週間掛かっても思い付かないような魅力的なものを、一瞬で。憧れないわけがない、羨まないわけがない―嫉まないわけがない。一度意識してしまうと、どうしてもエイジくんを友人、仲間なんかの好意的なカテゴリーに入れることが阻まれて、結局わたしは彼をライバルとして見做すようになった。戦うフィールドも目指すゴールも違うのに、同じ漫画家としてエイジくんの才能に魅せられてしまったのだ。それでも漫画家ではない新妻エイジは不思議で自由奔放で放って置けない愛しい男の子だったので、わたしは毎日彼とアシスタントの方に食事を作り、徹夜明けのときはゴミ出し、掃除、何でもして彼らが少しでも執筆しやすいような環境を心掛けた。名実共に、立派なメシスタントだ。気付けばわたしは数ヶ月筆を取っていなかった。それに気付かせたのも、やはり新妻エイジその人だったのだが。


「梓ー?」
「どしたのエイジくん」
「僕のとこ来て大丈夫です?」
「いきなり何なの?あ…わたし迷惑だった?」
「全然迷惑ではないです。むしろ美味しいご飯食べれるしラッキーです!有り難いです!」
「じゃあ…「梓」
「最近、漫画描いてますか」
「……っ」


渇きかけたインク、埃を被ったデスク、部屋を出る前にも見た侘しい光景が頭の中に蘇る。ここに来た最初の頃はエイジくんから受けるインスピレーションで筆は進んでいた。新しく感じた気持ちを形にして残したかった。だけどわたしの乏しい表現力はそれを成すには及ばず、上手く描けないことへのフラストレーションばかりが溜まる。才能の全てを遺憾無く発揮するエイジくんを傍で見ていて、わたしに芽生えたのは、これ以上やっても無駄だという絶望だった。専属契約は二年で切られる。それまでに大成してなくちゃいけないのに。今のわたしは、漫画を描くのが怖い。自分の限界を知りたくはないから。


「描いてる、よ」
「嘘です」
「何を根拠に…また、勘?」
「違います。梓は漫画を描いてるとき、そんな泣きそうな顔しないです」
「………」
「何で書かないんです?僕、梓の漫画好きです。恋とかも思いつきませんケド、梓の描くテーマはもっと考えつかないです。僕にはないものを梓は持ってます」


何かがぷつりと切れた気がした。体が勝手に動き出して、エイジくんの小さな顔の白いほっぺたを力の限りぶん殴った。漫画みたいにぶっ飛ぶことはないけど、頬は赤く腫れてエイジくんは苦痛に顔を歪ませる。急速に頭が冷えていく、なのに口だけは止まらずにわたしは気付いたら叫んでいた。


「エイジくんみたいな天才に、わたしの何がわかるの!?」


勢いでエイジくんの部屋を出て、自分の部屋の鍵を閉めた。当たり前だけど、追ってくる気配はない。納得できる結末なのに、何故か寂しい気持ちは消えなかった。


殴ってあげる



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