ピンポーン。
…ピンポーン。


「シカト…ってことはやっぱりパーティー中?ヤクとかそっち系の人?やめとこっかなあ…」


最近引越してきた隣人の昼夜問わない轟音に堪えかねて、隣の部屋の前に立ったのが十分前。インターホンを鳴らし始めて五分経った今、隣人がわたしに反応する気配はない。最初は絶対に文句言ってやる!と意気込んでいたけど、あまりの無反応に嫌な妄想ばかりが膨らんで、段々このボタンを押すのも怖くなってきた。それもそうだ、他人との相互不干渉をモットーとする都会において、こんな大音量で音楽をかけるやつなんかろくな人間じゃないに決まってる。もしかしたら次の瞬間、怖いお兄ちゃんたちが出て来て、危ない世界に連れ込まれるかもしれない。しかし、今更引くわけにもいかないのもまた事実だ。何故ならわたしは地味に負けず嫌いだから。


「あのー…その部屋に何か用ですか?」
「ひぇっ!?」


エレベーターの音にも気付かないくらい考え込んでいたのか、背中越しに聞こえた声に思わず飛び上がる。慌てて振り向くと、二十代半ばの髪がもじゃっとした男の人が心配そうな目付きで立っていた。この部屋の関係者だろうか、わたしは危険レベルを判定するために、不信感を露にして彼を上から下まで舐めるように見つめる。何となく情けないというか気弱そうな印象。この人が白い粉を運ぶ売人とは到底考えられない。少しだけ警戒を解いて、彼の質問にきちんと答えようとした。


「この部屋の人の知り合いですか?わたし隣に住む者ですけど…」
「えっ!?ちょ、ちょっと一緒に来てください!」


わたしの言葉を聞くやいなや、もじゃっとした人(ここは便宜上もじゃさんと名付けよう)はわたしの手首を思い切り掴み、あっという間に問題の部屋に連れ込んでしまった。焦るわたし、そしてもじゃさん。うちと同じ間取りの廊下を駆け抜け、ドアノブを回し、騒音の源に二人同時に飛び込んだ。あれだけの爆音だ、きっと大勢集まっているだろうと予想していたわたしは床に散らばった紙の海に君臨するたった一つの小さな背中に少なからず度肝を抜かれる。これなら話は聞いてもらえそうだと安心しているわたしを尻目に、もじゃさんはその人にずかずか近付いていき、大声で怒鳴った。


「新妻くん!お客さんだよ!」
「ズギャーン!ドゴンッ!」


新妻―…頭の中で瞬時に期待の超新星、新妻エイジと結びつく。しかし、もじゃさんの話も全く聞かずに意味不明な擬音を叫び散らしている様を目の当たりにして首を横に振った。いくら天才には変人が多いといっても流石にこれは普通じゃない。自然と遠い目になり、蚊帳の外な感覚を味わっていたのだが、痺れを切らしたもじゃさんがオーディオの電源を落としたことで状況は瞬く間に一変した。


「…あれ?雄二郎さんです」
「行くって連絡してるんだから少しは気を遣ってくれよ…」
「すいませんです!集中してたので全く気付かなかったです」
「どうせ反省しても変わらないんだろ…あ、新妻くん。このコお隣りさんみたいなんだけど」
「えっ!わたし?」


もじゃさんが、いや雄二郎さんが無難だろうが、突然わたしの紹介を始めるものだからびっくりしてしまった。つられて新妻さんもわたしに気付き、顔をこちらに向けた。ざっくばらんに切られた前髪とおかっぱのような奇妙な髪型、それだけで意表を突くには十分なのに、小さな顔に嵌め込まれた瞳は爛々と意志に満ちている。この人は普通じゃない、先程と同じ感想が全く違う感動を伴って込み上げてきた。


「あの、わたし隣に住む春日居梓と申しますが、お宅の音洩れが気になって…」
「春日居梓?…もしかして、前回の金のティアラ大賞だった?」
「あれ、ご存知なんですか?男の人なのに」
「僕も集英社の編集の端くれだからね」
「それって…」
「彼は僕が担当する漫画家で新妻エイジって「新妻エイジ!?」
「はい、新妻エイジです!」


ぴしっと手を天に伸ばす新妻くんは、あの受賞作から想像しうる突飛さを持ち合わせているような気もする。馬鹿と天才は紙一重ってことなのか。


「春日居さんも漫画描くんですか?読みたいです!」
「え、でも少女漫画だし…」
「面白い漫画に国境はないです!同じ漫画家仲間としてよろしくしてください!」


強引に握ったわたしの手をぶんぶんと上下に激しく振り回す。当初の目的も流され、すっかり彼のペースに巻き込まれているのに薄々気付きながら、わたしは彼のペンダコだらけの手をしっかりと握り返した。この出会いがどうわたしを変えていくのか、それはまだ誰も知らない。


手を握ってあげる



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