突然だが、わたしの元同級生の話をしよう。彼は大層綺麗なお顔をしていたけれどいかんせん感情に乏しく、何を考えているのか見当もつかなかった。彼には上にお兄さんがいて、圧倒的なまでの狂暴性と暴力性でその名を校区内外に知らしめていたので、彼に近寄る勇敢な者も少なく、わたしが覚えている限りいつも一人で自分の席に座っていたような気がする。かと言ってそんな孤独をどうと思うわけでもなく、あくまでも無表情を貫いていたのだが。何故いきなり、中学を卒業して途方もない年月が経った今、そんな昔話をするのか。それは、わたしの目の前で小首を傾げる彼に起因する。


「…んー…?」


深夜のコンビニでレジに並んだ彼は、わたしの顔を見るなり微かに眉をぴくりと動かし、そのまま固まってしまった。こんな時間だから他に客はいないけれど、あまりに凝視されるのも居心地が悪い。バーコードを読み取っている手も他意はなく震える。何と言っても彼は、今を時めく俳優にしてアイドル、羽島幽平なのだから。


「あの、平和島くん、だよね」
「………」
「覚えてないだろうけど、中学で一緒だったんだよ」
「………」
「一度、君のお兄さんにも助けてもらったことあるん、だ…」


気まずい。ガン見してくるくせに、どうして話には乗ってくれないのか。いや無口なのは今に始まったことじゃないけど、それにしても無視とはひどい。記憶にないならないで、それでいいのに。わたしにとって印象的な忘れられない事件だったとしても、彼には瑣事だったというだけの話だ。祈るように彼の反応を待ち望んでいると、ほんの僅かだけ目が見開いたような気がした。


「…あ、ストーカーの」
「…!そう、それ!嬉しい、覚えててくれたんだ」
「ストーカーを返り討ちにしよう、なんてアクティブな人、滅多にいないから」
「あ、はは…」


ぽつぽつ語られる言葉に毒はないとはわかっているが、恥ずかしい過去をいとも容易く暴露されるのも決まりが悪い。彼曰くアクティブなわたしは中学二年のとき、所謂ストーカーの被害に遭った。毎日行き帰りに背後からの視線を感じ、自宅のポストには隠し撮りの写真を何度も入れられた。恋人すらいない現在、振り返ってみるとむしろそこまで好いてくれてありがとうとお礼したくなるぐらいの何でもない出来事だが、当時のわたしはそいつの陰険な行動が我慢ならなかった。大した実害もないから警察には取り合ってもらえない、両親には心配をかけたくない、そんな状況でわたしは何を思ったか、ストーカーを逆に待ち伏せして野球部の男子に借りたバットで殴り掛かったのだ。一発目を避けられて、体勢を崩したわたしはそのままコンクリートに倒れ込んだ。ストーカーはこれ幸いとわたしに覆いかぶさる。絶体絶命のピンチ、その瞬間、わたしの背後の角を曲がって現れたのが平和島兄弟だった。わたしの姿を認識して、平和島くん(弟)がわたしの苗字を呟いた。知り合いか?お兄さんが訊く。平和島くん(弟)が頷く。わたしが「苗字、知ってたのか」と驚いていた一秒後、ストーカーのでっぷりした身体は遥か数十メートル先に吹っ飛んでいた。「大丈夫か?」どちらも口下手なのだろうが、お兄さんの方が未だ地面に倒れ込むわたしに手を差し延べる。「ありがとうございます」初めて近くで見る平和島兄弟に感動を隠せないまま、感謝の言葉を言いながらその手を取ろうとしたとき、平和島くん(弟)がぽつりと「なんで、バット…」と漏らした。咄嗟にのけ反るお兄さん。わたしの口は緊張と動揺で勝手に回り始める。「ちっ…違うんです!誤解です!わたし、被害者なんです!あの人ストーカーで、ずっと尾けられてて、だから怖くって…はい、バット、で殴ろうとしました。痛い目見たら、やめてくれるかな、って。警察も話聞いてくれないし、パパやママには心配掛けたくないし…え?正当防衛、なりますよね?バットはクラスの男子から…武器あったら勝てるかな、って…すみません」


「あれは衝撃的だったよね」
「思い出してくれたとこ悪いけど今すぐ忘れてください…!」
「助けたクラスメイトが武器持ちなんて予想外だった」
「若かったの!自分で解決できると思ってたの!」


せっかくの思い出話も内容が内容だけに羞恥極まりない。ここで彼が笑ってくれたなら、そういう武勇伝として流せるけれど、わたしの前にあるのは感情の欠片も見つからない無表情だ。必死なのもわたし一人。なんと惨めで滑稽なことか。そうこうしてるうちに、彼の会計が終わった。彼の買い物はウィダーとカロリーメイトとペットボトルのお茶、などという何とも生活感のない品々だ。客のプライベートに口を出すのも如何なものかと思うのだが、相変わらず細いし、ちゃんと食べてんのかなあと心配になる。


「平和島くんは一人暮らし?」
「うん、ここの近く。仕事であんまり帰らないけど」
「ご飯いつもこんな感じ?」
「外食じゃないときは大体」


うわ、不摂生。彼の性格からして手料理を好むタイプには見えないけれど、そんな生活だといつか倒れるんじゃないか。栄養は食事から、がわたしの持論である。


「そっか…あのね、これはお節介の大きなお世話だから、聞き流してくれてもいいんだけど」
「………?」
「わたしの家すぐ近くなの。事務所とかに止められちゃうかもしれないけど、お仕事なくて暇なときは家にご飯食べに来なよ。大したものは出せないけど、栄養のバランスだけは考えてるから」
「………」
「あ、ごめんね!やっぱり一般人の家に来るなんてだめだよね!うん、忘れて!お会計、735円になります」


平和島くんは黙ったまま、お釣りもなくきっちり支払った。ぺこりと頭を下げる彼を満面の笑みで見送る。ああ、困らせてしまった。昔も今も変わらず、思い付いたら即行動してしまう自分に苦笑いを禁じえない。彼はもはや国が誇るアイドルで、住む世界が違う人間なのに。わたしみたいな凡人に構ってる暇があるわけがない。





「ふあぁ…寒っ!」


わたしの家は驚くほどバイト先のコンビニから近いので、深夜にシフトを入れることも珍しくない。今日は零時ぴったりに引き継ぎをして、現在帰宅途中だ。暖かい店内にいるときは気付かなかったけど、今夜は手の感覚が麻痺するぐらい冷え込んでいる。家までの短い距離をニーハイブーツの踵を鳴らしながら歩く。そうこうしているうちに、後ろから同じ歩幅でついて来る足音があるのに気付いた。わたしが立ち止まると、あちらも歩を止める。久しぶりに味わう、ぞくりと背筋を走る恐怖と嫌悪がないまぜになった感覚。どうしよう、尾けられている。先程有り難がったのがいけないのか、的外れな感想が頭を過ぎって、すぐに現実に戻った。手持ちの武器は特にない。スタンガンやら催涙スプレーやら持ち歩くほど自意識過剰な女ではないのだ。ふと右を見ると、空に近い自動販売機備え付けのごみ箱が目に入った。これを投げたらビビるだろうか、いけない衝動がわたしの脳を支配する。がっと両手で掴んだ瞬間だった。


「…あの、」
「あれ、平和島くん…?」
「お言葉に甘えようかと、思ったんだけど…やっぱり、アクティブな人だね」
「これっ…は、違うの!別に投げようとか思ってないし!」


そのとき、少しだけ、本当に少しだけ、平和島くんが笑ったような気がした。じっと見てなくちゃわからないぐらいの微妙な変化ではあるけれど。ストーカーと勘違いした恥ずかしさなど、そんな表情を拝めた嬉しさで何処かに行ってしまった。緩んだ頬を隠す気にもならず、「何が食べたい?」などと呑気に尋ねる余裕まである。正直こんな時間に食事を摂ったら、デブまっしぐらだと自覚はしている。平和島くんにはないのかもしれないが。気を使って、いやそんな種類の人間とも思えないけど、一度くらいは、と付き合ってくれたのだろう。意外と優しい。現役アイドルに手料理を振る舞うなんて、突然訪れた奇跡に舞い上がっていたわたしは、


「次は、攻撃しようとしないでね」


平和島くんの何気ない、だけど続きを連想させる言葉に頭が真っ白になってしまうのだった。

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