ミクちゃんとカイトさんを見送って、お昼寝したりお掃除したりして午後を過ごしたその晩、わたしがお風呂に入っている間に一本の電話がありました。一人暮らしという建前上、二人には電話に出ないよう言い付けてあるので、電話は自然に留守番電話へと切り替わります。わたしがタオルで髪の水分を拭き取りながらバスルームから出て来ると、二人はソファーの上に固まって、互いを抱き寄せあっていました。


「どうしたの、二人とも」
「………」


レンは何も答えないまま、首を横に振ります。代わりにリンがすっと電話を指差しました。留守電の録音があることを示すライトがちかちかと点滅しています。


「なに?電話掛かってきたの?こんな時間に誰かなあ」


不思議に思いながら、録音再生ボタンを押します。視界の端に、レンがぎゅっと耳を抑え、リンがつまらないバラエティー番組を凝視しているのが見えました。


『用件は一件です。…ピー…あ、マホ?お兄ちゃんだよー!勝手にいなくなってごめんな!心配で夜も眠れなかったか?かわいいなーお前!安心しろ、明日の朝一番で帰るから!だから今日はぐっすりゆっくり休めよーじゃあな!…ピー…』


相変わらずの騒がしい声、背景でざわざわと聞こえたから、空港にでもいるのかもしれません。この電話が告げるもの、兄の安否、兄の帰宅、鏡音姉弟の、


「…お兄ちゃん帰って来るんだ。よかったね、また歌えるよ」
「…くない」
「え?」
「全ッ然、よくない!マスターが帰って来るのも嬉しいけど、また歌えるのも嬉しいけど、だけど、わたしたちもうここにはいられないもん!わたしたちはボーカロイドだから!また、あそこに帰らなくちゃ…そんなの、」


突然大きな声を上げたリンは、最後の方は泣きそうになりながら懸命に叫びます。あそこ、というのは電脳空間のことでしょうか。わたしには、何にもわかりません。リンもレンも、マスターの兄が好きなんでしょう?もっともっと歌いたかったんでしょう?


「リン?どうしたの?ずっと歌いたいんじゃなかったの?…ねえ、レンも何か言ってよ」
「…マホ。僕たちは、歌わないとここにいちゃいけないの?ちゃんと、家事も手伝うから、だから、ねえ!」


レンはぼろぼろと涙を零してました。会話の主旨が掴めないわたしはおろおろするばかりです。リンとレンは、約一ヶ月のこの生活で何を得て、何を失ったのでしょう。歌う以外の行為を知って、より人間らしくなった二人は、ボーカロイドという枠を超えてしまったのかもしれません。


「…だめだよ、二人とも。二人は歌わなくちゃ」
「なん、で?マホはわたしたちが嫌いなの?迷惑なの?」
「僕たち、もっとマホと毎日を過ごしたいんだ!だから、帰りたくない…」
「リン、レン。わたしは二人を迷惑だなんて思ったことは一度もないよ。困らせられたって、わたしは二人も、二人といる日々も大好きだった」
「じゃあ…!」
「だけど、だけど二人はボーカロイドなんだよ。素敵な歌声で、わたしたち人間には真似できないぐらい色んな姿を見せてくれるんでしょ?いまの生活を続けてたら、二人の歌は聴こえない。二人だってわかってるはずだよ。本当は、何よりも歌が好きなんだって」


どんな制約かは知らないけれど、二人は実体化している間にいかなる歌も歌えませんでした。CMのメロディーすら口ずさめない、そんな環境では彼らの本能は我慢できないはずです。わたしは二人をまとめて包むように抱きしめます。ここにいたことを忘れないように、ぎゅっと刻みつけるように。いつの間にか、わたしも一緒になって泣いていました。


「大丈夫。二人の声は、わたしの耳にも届くから」
「…マホ、ちゃんと聴いてくれる?会えなくても、わたしの歌、聴いてくれる?」
「ちゃんと聴くよ、リン」
「僕たちのこと、忘れない?」
「ずっと覚えてるよ。もし二人と過ごした記憶が消されたとしても、二人の声を聴く度にきっと思い出す。だから、安心して歌っていいんだよ、レン」


わたしたちは、そのあと抱き合ったまま眠りました。二つ温もりに包まれたわたしは、暖色の夢を見ています。夢の中では、わたしと兄とリンとレンとミクちゃんとカイトさんがみんな輪になって歌っていました。わたしだけが調子外れな歌だったけれど、みんなで笑って、はしゃいで、とても楽しい夢でした。


だれかの願いを届けた夜

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