※同性愛的要素あり
「お前、狂ってるよ」
吐き捨てるように笹山が言う。歪められた口元から察するに、きっとからかっているつもりなのだろう。男のくせに白い上半身が月の光を受けてうっすら浮かび上がる。深く窪んだ鎖骨や、骨張った細い肩に、長い腕。陶器人形のような美しさを湛えるその姿は柄にもなく、綺麗だと思った。口さえ開かなければの話だけれど。
「そうかなあ」
反応しなければしないで機嫌を損ねてしまうので、適当に相槌を打つ。笹山は勘の鋭い男なのだ。ちょっとした下らないことにも気を抜けない。事実、彼の指摘などどうでもよかった。あたしが狂っていようと何だろうと、現実も世界も変わらない。
「ああ、狂ってるね」
笹山の華奢な腕に背後から抱かれる。触れ合った肌はひんやりしていて気持ち悪い。事が終わった後は一切の馴れ合いをしない笹山にしては珍しい行為だ。もう一回とでも言い出すかと思ったが、笹山は器用にあたしの腰の辺りで手を組んで、顔をあたしの髪に埋めた。もう、汗くさいかもしれないのに。あたしの懸念などお構いなしに、笹山が大きく鼻で息を吸うのが耳元で聞こえた。ちょっと、本気で恥ずかしい。今更何を、と言いたいだろうけれども。
「…笹山?」
「ん?」
「どうしたの?」
「何が」
「なんか、おかしいよ」
あたしが勇気を出して紡いだ言葉に笹山はおかしそうに噴き出した。ほらやっぱりおかしい。笹山はあたしにけなされて笑えるほど寛大な人間ではないはずだ。ひとしきり笑った後、笹山はあたしの身体を抱えて向き直らせた。線の細さからは想像も出来ないのに、意外と力持ちである。視線をさ迷わせていると、ぐいっと顎を掴まれて顔を固定させられた。笹山の溝みたいな濁った色をした瞳があたしを映す。昔は怖くて仕方がなかったのに、関係を持った今では恐怖心など微塵も涌かない。ただ、
「おかしいのはお前だよ。普通の奴は好きな男のことを好いてる頭のオカシイ男と寝たりなんかしない。一度だけなら過ちで済まされるけど、僕らは一体何回寝たんだよ」
「過ちなんかじゃないよ。あたしが望んだんだもん」
「それが狂ってるって言ってるんだよ。お前も…僕も」
あたしは団蔵が好きだった。笹山もあたしと同じようにずっと。数年越しの片想いは最悪な形で諦めざるを得なくなった。ある日、決意して打ち明けようと団蔵を探していたら恋人との逢瀬に遭遇。しかも相手は清八さんだったんだから、笑えない。いけない方向に発展していく二人から目を逸らすことも出来ないでいたあたしの視界に入ってきた、似たような存在。それが笹山だった。笹山もあたしに気付いて、視線を交わしたとき、お互い全てを理解しえてしまった。どちらからともなく近寄って、同じように二人から目を背けた。あたしはその日、処女をすてた。
「いいの、狂ってたって」
あたしは両手で笹山の小さな顔を包み込む。こんな表情の笹山は初めて見た。いつも斜に構えて皮肉ばかり口にする大人びた彼の、有りのままの姿なのかもしれない。
「笹山がいてくれるおかげで、あたしは団蔵を好きでいられる。あたしにはそれで十分だもん」
寂しさがなければ、この恋の無意味さに気付かなくて済む。身体を人に捧げれば捧げるほど、心だけが残って純粋な気持ちで団蔵を想える。そんな気がするの。だから狂ってても構わない。あたしがそう言って笑うと、笹山は造りものじゃない綺麗な笑みを浮かべた。
「僕、そういうの嫌いじゃないよ」
捻くれた彼の愛情表現に苦笑が漏れる。笹山の細い腰に思い切り抱き着いて、頬を寄せた。大丈夫、あたしは今、きっと幸せなんだ。あたしが死んだときには、この人も泣いてくれるといいな。
ターヘル=アナトミア