ちょうちょ ちょうちょ


「三之助は蝶みたいね」


あたしがそう笑うと、三之助は理解出来ないと言いたげな表情を浮かべて頭を捻った。まあ、普通の反応だと思う。蝶に譬えられる男なんてそう簡単にはいないだろう。あたしだって、それの持つ翅の美しさやモチーフとしての可憐さ、花の蜜を吸って生きる愛らしさなんかを重ねたかったわけじゃない。ただ、三之助はある点に於いてだけ実に蝶らしかった。彼がそれを意識的にやってるのかどうかは別として。三之助は相変わらず首を傾げたままだ。多分、また変なこと言い出した、ぐらいにしか受け取っていないだろう。あたしの話は少々突飛らしいから。自覚もないことはない。だから彼は気付かないのだ。さっきの言葉に込めた精一杯の厭味と訴えにも、ふらふらといつものように去っていく背中を追い掛けたあたしの視界がじわりと歪んだことにも。三之助は花々を飛び渡る蝶のように決して一つ所には落ち着かない。ほら、またそうやって。あたしだけを見ていてほしいのに、そんな儚い願いは露に消えた。


なのは に とまれ


「お前ってばか」


あたしの頭をくしゃりと撫でて、浦風は正しいことを言う。日直日誌を埋めるあたしの前の席に座っているから殆ど浦風しか見えない。これも、彼の優しさのうちだ。浦風が遮ろうとするあたしの視線の先では隣のクラスの女の子と親密な距離で話す三之助の姿。あたしがいることにすら気付いていないような。頭の中でもう一度、浦風の声を反芻する。そんなことはあたしが一番分かっている。今更他人に指摘されたところでどうにもならない。勿論、浦風は聡いからそれも知っている。知っていて、それでも言うのだ。あたしと同じように、彼も恋に溺れた者だから。


「仕方ないよ」


浦風は呆れたように瞼を伏せる。ぽきり。動かしていたシャーペンの芯が折れた。小さな欠片が紙の上でくるくる回る。


「いつも一番じゃなくてもいんだよ。二人でいるときだけでも、あたしを見てくれるんならいいの」


浦風はもう一度ばかだな、と呟いた。そんなばかが好きな、浦風はもっとばかだね。


なのは に あいたら
さくら に とまれ



「具合悪いの?」


結局教室にいれなくなって、五限目から保健室に逃げ込んでいた。ベッドの白いシーツに埋もれていると不意に保健委員のクラスメイト、三反田の声が掛かった。自分だって、と不満に思いつつ、掛け時計に視線を遣るといつの間にか放課後だった。この分だとホームルームも終わってしまったのだろう。三反田が放課後当番に来ているのもその証拠。日誌出さなくちゃな、とのそのそ起き上がる。シーツに寄った皺を直してから、椅子に立て掛けておいた鞄を手に取った。不自然にならないように注意を払いつつ出入口に行くも、三反田の心配するような、非難するような、不思議な瞳が追ってくる。


「なに?」


虚勢を張って見返しても、彼の瞳は揺るがない。ただ、あたしを見つめて気遣おうとする。穏やかな口許も、柔らかい声音も今のあたしには息苦しい。本当にこの人が苦手だ。彼は、優しすぎる。


「無理はしないほうがいい、よ」


背中に視線を感じたまま、優しさから成り立った声が鼓膜を撫でた。ああ、だから、苦手なんだ。


さくら の はな の
はな から はな へ



「何しに来たんだ」


伊賀崎は人間に厳しい。彼が愛するのは生物委員が飼ってる動物のような、言語なんていう余計な機能を持たない純粋な存在だけだ。だから話をしているはずの今もあたしを見ないまま鶏小屋を掃除している。質問の答えも彼は求めていない。あたしに興味がないから。声を掛けたことすら、ただの気まぐれだろう。


「ねえ、伊賀崎」
「何だ」


あたしにはそれが心地いい。彼とは生温さも優しさも痛みもなにもかも分け合わなくて済むから。ただ問い掛けるだけ、ただ答えを求めるだけ。そこには人間同士の煩わしさなどなく、物と物の間の化学反応に似た冷淡な正確さがあった。


「菜の葉は桜になれないかな」
「…無理だろうな」


伊賀崎はにべもなく言い切った。箒を動かす手は休む気配も見せない。予想通りとはいえ落胆を隠せないあたしに伊賀崎は珍しく笑う。本当に顔が異常に整っている男だ。


「三之助は鮭なんだよ」
「どういう意味?」
「蝶だと移り気すぎるし、柄でもないだろう。鮭なら川が変わらない限りいつか戻ってくるさ」


ここにいるのが伊賀崎でよかったと、改めて思った。絶対に本人には言わないけど。


とまれよ あそべ
あそべよ とまれ



「三之助はやっぱり鮭だね」


意味わかんねえ、そう表情で語る三之助はあたしの気持ちの半分の半分も理解していないだろう。せっかく伊賀崎がくれた言葉も届いてはくれないみたいだ。苦い笑顔を貼り付けてごまかすが、三之助は特に気にしてない。このままいても仕方ないから手を振って呆気なく別れた。彼は遠く廊下の角にふわり消えてゆく。あたしはそのままおいてけぼり。移動教室の組やトイレに向かう生徒の集団とごちゃごちゃになって飲み込まれる。


「次屋って田中と付き合ってんじゃねえの?昨日他の科の女とスタバにいたぜ」


聞こえてきた名前に身体が勝手に反応して、俯いていた顔が前を向く。話していた男子はあたしの姿を認めると、眉をハの字にして同情するように声を潜めた。


「田中も大変だな」


胸が鉛を落としたかの如く重い。ばかみたいだ、無意識に自重の笑みが洩れる。あたしはまた浦風を傷つけ、授業をサボって三反田に心配させ、最後に伊賀崎に縋るんだろう。それでも変われない、変えれない。いつになったら帰ってくるの。ここにはいない彼を想い、浮かんでくるのは、やはり愛しさと寸分も違わぬ確かな慕情だけだった。



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