「…黒木くん」


躊躇いがちに掛けられた声に振り向くと、あどけなさを残したままの少女が心配そうな顔付きで立っていた。清楚という言葉を体言するような真っ白のニットアンサンブルに膝丈の裾が凝ったレースになっている濃紺のスカートを合わせ、彼女の周りだけ浄化されているかのような神聖な輝きを放っている。ボクはふと気付いた。彼女の目許が少し赤らんでいること、透明な膜が大きなアーモンド型の瞳を被っていること。


「見に来てたのかい?」


こくり、あくまでも控えめに彼女は頷いた。自分のため、なんていう自惚れはしない。彼女は音楽とは無縁の大学に通ってはいるが、空いた時間はすべて鑑賞に費やすほどのクラシックファンであることを知っているからだ。今日もその一貫としてたまたまボクの出たコンクールを観覧に来たのだろう。そこであんな悲惨な演奏を耳にし、ボクを心配して来てくれた。下心なんか挟む余地もない、彼女の優しさの現れだ。男と話すのは苦手って言ってたのにな。


「ひどい演奏だったろう?」
「そんなこと…」
「…オーボエ奏者がリードの手入れを怠るなんて情けないよ」
「…っ」


彼女は何も言わない。いや、言えないのか。こんな言い訳がましいことは決して口にしないつもりだった。だって問題はボクの心の在り方にあるのだから。失態を晒して初めて気付いた。ボクはどちらかしか選べない不器用な人間だと。過去の作曲家たちは恋に大いにインスピレーションをもらって名曲を書いたというのに、ボクは片想いですらこうなってしまう。オーボエと生きていくと決めた以上、この感情はきっと不要なもの。彼女はようやっと口を開いた。


「最近、ね。黒木くんの音、変わってたの。前はこう、ストイック〜って感じだったのが、相手を想定した誰かのための音楽に。わたしはそれ、いいなあ…って思ってたんだけど、でも…」
「でも?」
「でも、黒木くんの音楽に深みが出るのはいいことだけど、それが他の女の子のためなら、ちょっとだけ…嫌だなあ、って思ったの。あれ、わたし何言ってるんだろうね…ごめん、忘れて」


彼女はそれだけ言い残して、足早に去って行った。ボクの音楽というものが確立しているならば、次こそはボクの音を聴衆に聴かせてやりたいと思う。これで終わりだとは思わない。オーボエと生きる人生は、まだ始まったばかりなのだから。成る程、彼女の背中はまるでひっそりと咲く一輪の鈴蘭のようであった。














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