「気持ち悪いなあ」


髪、顔、爪、外から見えるところ全てに気合いを入れた可愛い女の子が丹精込めて作ったのであろうクッキーの詰まった、ピンクのリボンが飾る小箱を無惨にも教室のごみ箱に投げ捨てている笹山を見てしまった瞬間、恐怖にも近い感情がわたしの胸に息づいた。おまけに聞いてはいけないような辛辣な言葉まで耳に届く。笹山は整った顔立ちにクールな性格、というテンプレートな女子の憧れる王子様キャラではあるが、まさか腹黒まで兼ね備えてるとは思いもしなかった。クラスの馬鹿な男子とは一線を画す大人びた横顔に、こっそり憧れていた自分を返してほしい。別に性格がいいなんて期待してもなかったから、口が悪くても何とか割り切れる。だけどあのクッキーは今日の昼休みにわざわざ笑顔まで取り繕ってにこやかに受け取っていたものだ。二面性も構わないけど、陰で他人の好意を踏みにじるのは違う。笹山を神か何かのように崇め奉っていた気持ちが急速に萎んでいくのを感じた。明日提出のノートを取りに来ただけなのに、どうしてこうも運が悪いのか。わたしは明日から笹山を真っ直ぐ見れないだろう。全ての行為に偽善を見つけて、全ての感情に胡散臭さを感じて、ああ、面倒臭い。そろりと退がって、逃げ出そうとした矢先。

「で、いつまでそこにいるわけ?」

笹山は独り言が多いようだ。知りたくはなかった事実を突き付けられたわたしの頬を冷や汗が流れる。まさか、いやまさか、わたしに話しかけてるなんてことはないはずだ。今ならまだ知らない振りで通せる。明日からもがんばるから、だから、神様!ちらりと覗いた笹山の手には見覚えのある桃色のキャンパスのノートがあった。

「あーあ、このノート燃やしちゃってもいいよね」
「……だっ、だめ!」

思わず扉を勢いよく開けたわたしに、笹山はにんまりお世辞にも良いとは言えない顔で笑った。

「お前って馬鹿でしょ」

返す言葉もない。





「うわ何にやついてんのきもいしねばいいのに」
「…一息で言わないでくれる」
「うわ、何にやついてんの?きもい。しねばいいのに」
「わざわざありがとう!」

本当にカンに障るやつだ。あの日以来、わたしは笹山に虐げられている。弱みを握ったのはこちらであるにも関わらず、笹山は当然のようにわたしが買って来たジュースを奪ったり、購買でパンを買って来させたり、一言でいうとパシられていた。こんな底無しの腹黒を脅したところで百害あって一利無し、と速やかに判断したわたしは彼からなるべく離れようとしたのだけど、笹山は執拗にわたしに構ってくる。勿論、実はわたしのことが…なんて馬鹿な妄想はしない。素を出せて、しかも便利なカモを見つけたぐらいにしか思ってないだろう。だけど彼にパシられるようになって、わたしにもひとつだけ得があった。それが、例えば今だ。教室の入口からきょろきょろ中を見回している赤茶けた髪の利発そうな男の子に、わたしは喜び勇んで声を掛ける。

「伝七くんこっちこっち!」
「あぁ教科書ありがとう!おかげで助かったよ」
「ううん、困ったときはお互いさまだよ〜気にしないで」
「…ぶりっこ」

ぼそりと囁かれた笹山の言葉をシカトして、わたしは伝七くんとつかの間の会話を楽しむ。何を隠そう、わたしは伝七くんのことが入学した頃から好きなのだ。彼が在籍するのは隣の進学クラスだから、接点もないわたしは話したことすらなかったが、笹山と幼馴染みらしい彼はよく忘れ物を、わたしを弄っている笹山に借りに来る。意地悪から貸し渋る笹山に代わってわたしが貸せば、ほら接点の出来上がり。ということで、わたしは笹山の仕打ちを愛のために甘んじて受け入れているのだった。思春期の恋する気持ちとは何と偉大なことだろう。

「お前さ、わかりやすすぎ」
「…なんのこと?」
「伝七のこと好きだろ」
「…ささやまくん、その冗談笑えなーい」
「へぇ、僕にそんな態度取っちゃうんだ」
「すみませんでした!」

愛の力は魔王の前に五秒で敗れた。笹山はきっと死ぬほど、いや死んだ方がマシだと思うほどからかうだろうと予想したのに、ふーんなんて漏らして興味無さそうに携帯を弄る。予想外だ。

「まぁ僕は止めはしないけど」
「う、うん…?」
「お前って馬鹿だから、多分泣くことになると思うよ」

そう言った笹山はいつもと違って真剣な眼差しで黒板の上の掛け時計を眺める。いつかは憧れた横顔は、ひどく遠くに感じた。





今朝は見逃したけれど、星占いはきっと一位だったに違いない。隣で意気揚々と日本の裁判員制度について語る伝七くんに適当に相槌を打ちながら、わたしはにんまりほくそ笑む。話の内容は全くわからないけれど、あの伝七くんと一緒に下校している。その事実だけでわたしはもう満足だ。

「だけどプライバシー保護の観点から見ると…「あ、あの!」

いつまでも続きそうな伝七くんの話を申し訳ないが遮って、意を決して気になっていたことを尋ねることにした。せっかくの二人での下校、何の収穫もなければ女が廃る。きょとんと目を瞬かせる伝七くん。訊くなら今だ。

「わたしなんかと一緒に帰っちゃって、伝七くんの彼女さん怒らないかな?」

我ながら何と臆病な尋ね方だろう。どちらとも取れる意地汚いやり方に辟易する。だけどわたしは心臓の高鳴りを抑えつつ、何食わぬ顔で伝七くんの返事を待った。

「え?大丈夫だよ」
「じゃあ…!」
「あいつはこんなことぐらいで怒るようなやつじゃないからね」





「だから言ったじゃん」
「…うるさい」

虚無感に襲われて学校近くの公園に設置されたブランコを雑に漕いでいると、最も聞きたくない声が頭の上から聞こえる。嫌々右隣りを見ると、立ち漕ぎをしている笹山がいた。その顔は普段通りに熱を感じさせない冷めたものだが、瞳には僅かに憐憫の情が滲んでいるような気もする。わたしがそうであってほしい、と思っているからかもしれない。

「知ってたなら、教えてくれればよかったのに」
「僕は優しい人間だから、他人の恋路に口を出すような真似はしたくなかったんでね」
「わたし、ばかみたいじゃん。話せるだけで満足して、一緒に帰れるだけではしゃいじゃって」

既に確固たる信頼を積んだ想い人がいたというのに。わたしは箸にも掛からないような存在だった。唯一救われるのは、伝七くんが持ち前の鈍感さでわたしの好意なんか露程も気付いていないことだ。ただの友達にもなれる、わたし一人が諦めれば。

「馬鹿でいいんじゃないの」
「なんでよ」
「人は恋すると誰しも馬鹿になるってこと。別にお前だけじゃないよ。この経験も次に活かせれば無駄にはならない」
「…慰めてくれてるの?」
「残念な頭がそう思いたいなら、勝手にすればいいよ」
「…じゃあ勝手にする。ありがとう、笹山」
「別に。便利なパシリに暗くされると、こっちまで暗くなって不快だしね」

笹山の捻くれた言葉の中に、僅かながらも同情や優しさや、何となく生温い気持ちが感じられたので、彼の慰めを有り難く受け入れることにした。これで笹山の言うことを聞く利点は失くなってしまったわけだけど、それでもまだ少しだけ、笹山といてもいいかな、と思う。パシリでもいい、落ち込んでいるわたしを予想してわざわざ放課後に残っていてくれた笹山も、わたしが新しく知った笹山だ。離れて見上げているだけじゃ見つけられなかった、本当の笹山。それは伝七くんを好きになったわたしだからこそ出会えたものだ。

「あーあ、初めて伝七くん見たときに『絶対に運命の人だ!』って思ったのになあ…」
「運命とかうすら寒いね」
「笹山には一生わかんないよ。あの胸の高鳴る感じは」
「わかんなくて結構」
「夢のないやつー!」
「はいはい。でもまあ…僕はお前に見つけてもらった運命は信じてるよ」
「へ…?」
「あの日教室を覗いたのがお前でよかったって意味。馬鹿には理解できないかもしれないけどね」

わたしも、笹山も、同じように悩み、違うように苦しみ、また新しい自分と出会う。つんとそっぽを向いた笹山の頬が夕日で赤いのも、それを見るわたしの視界が揺らぐのも、きっと神様が取り計らったことなのだ。






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