「師匠」


凛とした声は玄南の惚けた話し口とは比べるまでもなく芯が通っており、覚悟も意思も多分に含んでいた。しかし、こやつがいくら修業を積み、技に研きをかけたところで私と肩を並べることはないだろう。李紗は彼女がいくら否定しようとも、生物学上は女に分類されるのだ。女は家庭で夫を支え子を育て祖父母を養うのが当然とされているこの時代では、剣豪になりたいと息巻く李紗の方が異端な存在であった。いくら女のくせにと後ろ指差されようと、私の友人の弟子などから相手にされなかろうと、李紗の決意は変わることはない。ひどく潔い女だった。


「師匠。稽古をつけてもらえませんか?」
「先に玄南の指導がある」
「この間も玄南が先でした。たまには私から見てください!」


熱の篭った視線に一瞬たじろいだが、私の衣の袖を掴む李紗のか細い手首にはっとなって気を締め直す。その先の肉刺だらけの小さな手の平は見ない振りをした。李紗が身体的に不利な条件を乗り越えようと無心で鍛練に励んでいるのは承知している。しかし李紗に剣豪としての未来がない以上、諭し導くのもまた師匠の役目であった。女には女の幸せがある。古臭い考えだと言われようとも、私の信念は堅かった。李紗の腕を取り、そっと下ろさせると、彼女の瞳は非難するように私を映す。


「師匠!」
「李紗。何度も言うようだが剣豪は男しかなれん。お前ももう十五だ。嫁の貰い手がなくなる前に、女としての未来を選べ」
「いやです!」
「李紗」
「私は剣豪になるんです。そのための鍛練だって惜しむつもりはありません!師匠だって私を弟子に取って下さったのは、私に剣豪としての未来を見出だして下さったからではないのですか?」


私が李紗を受け入れたのは、この真っ直ぐすぎて頑なな少女を諭してやらねばならぬ、と義務感に駆られたからだ。何とか平凡に幸せになってほしい。その笑顔を曇らせることなどあってはならない。剣の道を志し、俗世を捨てて以来初めて抱いた人間らしい感情だった。


「…李紗」
「何ですか?」
「月の物が、来たのだろう」
「……っ!」


李紗は初めて苛立ち以外の表情を見せた。ほんのり色付いた薔薇色の頬は年相応に愛らしい。高く結った漆黒の髪が揺れる。紛うことなく、李紗は女なのだ。私が告げた事実もまた、それを真実たらしめる事情だった。


「お前の躯はこれからもっと変わってゆく。子を産める女の躯に、だ。お前の手は刀を持つためにあるのではない。大事なややこを抱くためにあるのだ」
「し、しょう」
「もう師匠と呼ぶな。今日を以て李紗は破門とする」


驚愕と絶望で李紗の顔が真っ青に変わる。しかし私はまたも見ない振りをした。これが正しい師匠としての姿なのだ。先のない幻想に浸る李紗を放っておくことなど出来るはずもあるまい。私は確かにこの年端もいかない娘を我が子のように愛している。李紗の幸福のためならば、いくらでも憎まれ役を買って出る覚悟があった。


「師、匠…」
「……………」
「…師匠!し、しょ…っ!」


李紗が師匠と呼ぶ限り、私は振り向かないつもりだった。鬼だ悪魔だと一生怨まれても構わない。むしろそうすることで李紗の一生に寄り添えるならば、本望だとさえ思う。私は、剣豪失格だ。勿論、師匠としても。


「井溝さん…っ!」


久しぶりに聞く自分の名前であった。振り向くとあの気丈な娘が、涙の膜が張った瞳でこちらを睨みつけていた。私の視線と重なると、まだ弟子となる前に見せたあどけなさの残る笑顔を顔に載せる。震える口許を抑えながら、李紗はゆっくり口を開いた。


「心から愛しております。どんな未来を歩もうとも、私の魂はあなたと共に。…今までありがとうございました、師匠」


深々と頭を下げた後、李紗は一度も振り返ることなく去っていた。小刻みに揺れていた肩は彼女の意地の表れだろう。何か大切なものを一挙に失った空虚さに、長らく渇いていた涙腺が緩むのを感じつつ、私は唯一の弟子の元へと向かうのだった。


とはかくあるべきか

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