「君ってあんまり賢くないんだね」
「うん…?でも、家庭教師の人には飲み込みが早いって褒められたことあるよ」
「そういう意味じゃなくてさ」
「はっきり言ってくれないとわかんない。臨也くんの言葉はまわりくどくて遠回しで難しいの」
「…新羅に惚れるなんてばかじゃないの?」
「ほれる?」
「新羅のこと好きだろう?」
「うん、好き」
「喧嘩野郎は?」
「静雄くん?好き」
「俺のことは」
「好き」
「セルティのことは?」
「…好き、かな」
「ほら、一瞬躊躇したね。それは君の嫉妬のせいだ。新羅の心を独り占めしてるセルティに少なからず嫌悪感があるんだよ」


羽衣はきょとんとしたまま瞬きを繰り返して、俺の言葉の意味を咀嚼していた。初めて生まれた憎悪の類の感情に、清廉に育ってきた彼女がどんな対処をするのか実に興味深い。


「新羅は、セルティのもの」
「セルティは、新羅のもの」
「じゃあ、君は?」


畳み掛けるように彼女にとって残酷であろう事実を突き付けてみても、彼女はいつもの表情を崩さなかった。自分の理解の範疇を超えたものをただ見つめるだけの、無垢な瞳。ああつまらない。


「臨也くん、哲学的な話がしたいなら他の人に相手してもらって。わたしもう寝る」
「ああ、よく眠るといい」


彼女の心に悪意の種だけでも植えつけられただろうか。前例がないだけに羽衣の一挙一動が気になって仕方がない。彼女が惹かれたのが俺ではなくて新羅だったという点が多少不満ではあるが、それでも彼女の思考に何らかの異物が混入したのは間違いないだろう。これから、羽衣はどう狂っていくのか。


「実におもしろいよ、羽衣ちゃん」


君もやはり、人間に過ぎない。







何かがおかしい。歯磨きをして床に就いたのに、一向に眠気がやってこなかった。頭の中でうごめいているのは、臨也くんが先程囁いた問い掛け。新羅くんはセルティのもの、セルティは新羅くんのもの、そんなのここに来て以来ずっとそうだったんだからわかっている。恋も愛も知らないけれど、相手を大切にするという気持ちだけは何となく理解できた。あの二人にはそれがある。そのことを、わたしがどう感じているのか。そんなこと考えたこともなかった。


─もう大丈夫だからね、お嬢さん。


わたしが池袋に来て最初に出会ったのが新羅くんだった。わたしに絡んでいた顔も覚えていない男の人は、新羅くんの姿を目に留めるなり悲鳴を上げて逃げ出した。新羅くんはそれなりに裏の世界に通じているらしいから、そのせいだったようだ。新羅くんはわたしが家を飛び出してきたことを直ぐさま見抜き、自宅に連れて行ってくれた。そこでセルティに会った。首から上が無いセルティを見ても、わたしは驚いたり逃げたりしなかった。そのときのわたしには常識なんか一つもなくて、ただ彼女が"そういう人"なのだと認識した。二人ともわたしの反応が意外だったように思われる。PDAに打ち込まれた文面にも彼女のきまじめさ、優しさ、その他もろもろの温かい気持ちが篭っていて、わたしは彼女が大好きになった。暫くは三人で暮らした。セルティは運び屋の仕事、新羅くんは出張手術に出掛けている間、わたしは何もしていなかった。正確に言うと出来なかったのだ。身の回りのことは全てお手伝いさんがやってくれていたし、そう考えると池袋まで来れたのが奇跡なほど、わたしは無知であった。二人は気にするなと、少しずつ覚えていけばいいと言ってくれた。わたしは彼らに甘えた。甘えても甘えても突き放さない優しさを、当然のものだと思っている愚か者だった。


「なに、この娘?もしかしてデキちゃったわけ?」


折原臨也がわたしの前に現れたのは、わたしが彼らに"寄生"してから一ヶ月後のことだった。あからさまな冗談に笑ってあげることも出来ず、わたしは首を傾けた。


「羽衣ちゃんっていうんだ。みなしごみたいだったから連れて来ちゃった」
「へー…俺のこと知らない?」
「教えてないからね」
「別に君たちが教えなくても、俺を知る術はいくらでもあると思うよ」
「それがね、その娘本当に何にも知らないんだ。純真無垢にして清廉潔白。ある意味では人間らしさの欠如と言える」


その言葉に興味を抱いたのか、折原臨也はわたしを覗き込んできた。わたしは何の反応も返さない。彼は面白そうに喉を鳴らした。


「ねえ、これ俺にちょうだい」
「何を言って…」
「だって気になっちゃったんだもん」
「…本人とセルティの意思次第だね。僕は君が安全を保証してくれる男だと信用しているから、口は出さないよ」
「またまたー嘘ばっかり」


わたしはあの時どう考えていたのだろう。今思い返してみると、あの時点で既に新羅くんとセルティの仲睦まじい様子を避けていたような気もする。見たくなかった、瞼を下ろした。聞きたくなかった、耳を塞いだ。だからわたしは、いまここにいるのではないか。


「わたし、あなたのとこに行きたい」


いつの間にか頬を冷たい液体が流れていた。羽毛布団をぎゅっと握りしめ、枕に顔を押し付ける。臨也くんの言う通りだ。わたしはセルティに羨望を感じていた。わたしじゃ行けない場所にいるのに、敢えて腰を据えようとしない彼女を憎んでいた。これが、誰かを見つめるということなのか。自分が世界で一番汚い存在になったかのような重苦しい気分が、わたしの呼吸を鈍らせる。ごめんなさい、かみさま。わたしもあなたを裏切った人間であるようです。

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