「最近、よく笑うようになったそうじゃな」


ダンブルドアの指摘によって、初めて自分の表情筋が知らず知らずのうちに緩んでいることに気が付いた。羊皮紙の上を走らせていた羽ペンを動かす手を止め、彼の空の清涼さと海の深遠さとを併せ持つ瞳をじっと見つめる。あの日、初めてリーマスたちに出会ってから既に一ヶ月が経とうとしていた。私の何を気に入ったのかは知らないが、彼らは毎日のように時間を見つけては私に会いに来る。それは非常に嬉しいことだったけれど、一方で心苦しいことでもあった。病状は日に日に悪化していく。近頃はジェームズたちが訪ねてくる間起き上がるだけで精一杯だ。私に残された時間は、あと僅か。親しくなることに対し、私は恐れを抱いていた。未練を残すようなことはしたくない。ずっとそう思っていたはずなのに、瞼を降ろせば浮かんでくるあの時のリーマスの儚い笑顔。なかったことにして誤魔化せるような軽い気持ちじゃなかった。私は、リーマスに惹かれている。


「ダンブルドア先生は、人を好きになったことがありますか?」


気を紛らわせようと私が投げ掛けた質問は思ったよりも衝撃を与えたようで、穏やかに微笑んでいたダンブルドアの表情が一瞬僅かにぴしりと固まる。ダンブルドアは何事もなかったように、そうじゃな…と思案を始めたけれど、私は内心で後悔した。きっと触れられたくない部分に踏み込んでしまったのだろう。ダンブルドアは大人だから、事を荒立てるような真似はしないがやはり申し訳ない。


「わしにだって、若いときは浮いた話もあった」
「そうですか…」


茶目っ気のあるウインクを飛ばすダンブルドアに、無理させているのだと罪悪感がにじり寄る。だけど、私は訊かずにはいられなかった。何が正しい選択なのか、既にわからなくなっていた。


「恋はいけないことですか?夢を見るのは許されないことですか?少しぐらい、誰かに好かれたいって思うのは間違ってますか?」
「…アリア」


ダンブルドアの優しい瞳に映る私は必死そのものな表情で何とも情けない。自分が一番理解してるくせに、他人の同情で安心しようとする弱い私。ダンブルドアはきっとお見通しだろう。自分が酷く矮小な存在に感じる。


「…ごめんなさい。ちゃんと…わかってます。私には、人を好きになる資格なんてないんです」


今や死の池に片足を踏み入れている私に、遺せるものなど何もない。誰も幸せにならない想いなら、潰えてしまえばいいのに。リーマスは、ジェームズは、シリウスは、ピーターは、何も知らない。私は彼らに隠し事をしている。それなのに受け入れてほしい、なんて虫がいい話だ。


「アリア。わしに出来るのはおぬしの手助けだけじゃ。人生を決めるのは全て自分自身。…ただ、悩んでおるのはおぬしだけではないと知ることもまた、大事な勉強だと思うんじゃが」


ダンブルドアはそう言って、懐から顔ぐらいの大きさの丸い手鏡を取り出した。エメラルドの装飾が輝くそれを私に持たせ、ダンブルドアはにっこり目を細める。


「これがわしに出来る唯一の手助けじゃよ。優しいおぬしなら、悪い結果にならないことを信じておる。知りすぎることは無知よりもずっといい!…決めるのはアリアじゃ」


そこまで言うと、ダンブルドアは軽快に笑いながら医務室から出て行った。途端に静かになる狭い部屋。手付かずの課題にちらりと視線を送ってから、誘惑に耐え切れずダンブルドアから貰った手鏡を覗き込んだ。暫くは変な顔をした私が映るだけだったが、数十秒経ったころに何処か他の場所の映像が現れ始め、声らしき音も聞こえるようになった。思わず身を乗り出すと、鏡に見馴れた眼鏡と黒髪と小柄な躯が映し出された。言うまでもない、あの三人だ。どうやらリーマスはいないらしい。三人のひそひそ話が、私にはっきり伝わるぐらいの音量になって響いた。これ、プライバシーの侵害じゃ…反射的に避けようとした手を、ピーターの声が止める。


「リ、リーマス大丈夫かな…」
「もう叫びの屋敷に行った。今晩も止めに行くしかないだろ」
「今日はアリアに会いに行けないね。全く残念だ!」
「ジェームズ。お前はエバンズじゃなかったのかよ?」
「僕はリリー一筋さ!当たり前だろう?君と一緒にしないでほしいね。それにアリアは…」
「まぁ、リーマスが、な」
「こ、こわいよ…ね」


ジェームズの意味ありげな微笑に二人が肩を震わせる。リーマスが怖い?ピーターの表情は正に恐ろしいものに対峙したときのように怯えている。叫びの屋敷と言えば、実際に行ったことはないけれどホグズミード村にある心霊スポットだと専らな噂だ。話が全く掴めない。ほんの一ヶ月ではわからない秘密がリーマスにもあるんだろうか。私、みたいに。


「リーマスは何て言ってんだ?」
「やっぱりあのことを気にしてるみたいだよ。リーマスは少々気にし過ぎたと僕は思うね」
「で、も…差別とか迫害とかで苦しんできたんだよ、ね?それじゃあ過敏になるのも、し…仕方ないんじゃない、かな」
「だけど!」


突然シリウスが椅子を蹴飛ばした。大きな音を立て机と共に吹っ飛んだ椅子は魔法が掛かっていたのか、すぐに元の位置に戻る。シリウスは唇を噛み締め、忌ま忌ましげに悲痛な声を漏らした。


「あいつが人狼なのはあいつのせいじゃねぇだろ!」


あいつって誰?話の流れからいけばリーマスに間違いない。壁に貼り付けてある天文学の課題で作成した月の満ち欠け表を横目で見遣れば、今日の夜は満月だった。全てのピースが繋がって、一つの線になる。


「…人並みの幸せなんか、高望みしすぎたのね…」


いつの間にか中継は途絶えていた。だけど私はそんなことに気付きもせずに、恋心の殺し方を無心に考えながらベッドに横たわる。私には彼の幸せを祈ることしかできない。



ぬくもりを喪った午後

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