「何の用、かな」


わたしは無意識のうちに視線を逸らしていた。こんな表情の栄口くんは初めて見る。死んだ魚のような眼、というのは言い過ぎだけど、そう形容してもおかしくないぐらい暗鬱な瞳だとわたしは思い込んでいた。今は少し違う。まるで同情と偽善の狭間で喘ぐことを受け入れた罪人のような、清々しい表情を浮かべていた。彼の顔を視界に入れないように、ゆっくり一歩後ずさる。それすらも見抜かれているような気がした。


「須藤さんと少し話したいんだけど、だめ?」
「な、に?告白なら人のいないとこでしてくれるかな」
「…違うよ、違う」


この重苦しい空気を吹き飛ばそうと、わざとおちゃらけてみたのに、栄口くんは辛そうに首を振るだけだった。その短い返答には他の意味も含まれているような気がしてならない。違う、こんなのはわたしじゃない、って。


「ごめん、そろそろ帰らないと心配しちゃうから。栄口くんも部活でしょ?早く練習に戻った方が…」
「…わかった。また今度にしとくよ。最後に一つだけいい?」
「うん、なに?」


もう安心だ、そんな安堵からわたしは栄口くんの目を見てしまった。陰で傍観していたときには気付かなかった、強い光。わたしは知ったかぶって、実際には彼のことなんか何にも知らなかった。


「“誰が”心配するの?」


なんて返したのか覚えてない。ただ目の前の得体の知れない脅威から逃げ出したかった。走って、走って、走って、ようやく気付く。栄口くんは何も知らないはずじゃないか。わたしの勝手な同情も共感も、彼は知らない。それなのに、わたしは彼を本能的に怖いと感じた。必死に作り上げたわたしを、彼は指先一本で粉々に崩してしまえる。離れればいい。一組と九組だ、余程のことがない限り、偶然遭遇することもないだろう。わたしがかつてのわたしじゃないように、彼もかつての彼ではない。それだけのことだ。今のわたしはこれでいいから、もう変革なんか望んでいないのだから。


「ほっといてよ…」


人気のない畦道で、わたしの口から出てきた声は、予想よりずっと弱々しかった。

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