君を抱きしめたい




「おはよう」
「……おはようございます」

朝日がまぶしい。
気恥ずかしさやら、いろんな感情で返答が遅れた。腰が鈍く痛んで、体がうごかせないので、顔だけ向けて答える。ベッドに座る先生を見上げると、めずらしくヒゲが生えていて、ついじっと見てしまう。はじめて見た。

「なに?」
「いえ、なんでも」
「……いまお風呂溜めてるから、先に入っておいで」

いえ、先生がおさきにどうぞと言うと疲れてるでしょ、僕なにか作っておくからと気を使ってくれた。正直、腰はガチガチに固まったみたいになっていたし、わたしは先生に甘えて、さきに入らせてもらうことにした。
立てる? と手を取られたので、お礼を言って体を浮かせ布団から出た瞬間、肌寒さを感じた。それは気温のせいだけじゃなくって。服を着ていなかったから、で。先生の目がまんまるくなる。わたしはその一瞬のできごとに思考がすこし停止した。あれ。わたし。はだか。裸!?

「ひゃ! あああのっすみませんっ」
「いやっあの、ごめん! こちらこそ」

慌てて体を手で隠すと、先生は見てないからはやくと言って顔を背けた。うう……すみません。さっとベッドからおりて、お風呂場に向かう。乱れた服が昨日の情事を思い出させて、照れてしまった。
 ……夢じゃなかったんだ。
ポチャンと湯舟に浸かる。デジャヴュみたいだ。そういえば、前にもここで同じことを考えた。はじめて先生の家に泊まった夜。ふと思い出し、重なる記憶。またドキドキが強くなって、鼓動がはやくなる。目をつぶると、微かになにか作業をしている音がキッチンから聞こえてくる。先生に任せてばっかりだなぁ。次はわたしがなにか作ろう。先生に負けないくらいの。決心して湯舟から出る。体を軽く洗って、先生と同じにおいをまとう。幸せなのと恥ずかしいので、わたしは気持ちがいっぱいいっぱいになった。


***


「おさきにいただきました」

そう言ってリビングに戻ると、先生はテレビを見ながらシチューを食べていた。

「うん。あ、昨日のシチューをあたためたのとパンだけど、よかったら」

先生の隣に座って、差し出されたパンとシチューを受け取り、ちぎったパンを食べる。
シチューはあたたかくて胃にじんわりと染み入った。わたしと先生との間に会話はなく、ただ黙々と食べ続ける。ちらりと見た先生の横顔は整っていて、大きく口を開けて食べる仕草とのギャップが、なんだか可愛く思えた。いいなぁ、なんか。あ、ヒゲ剃っちゃったんだ。すこし残念に思いつつ、スプーンでシチューをかきまぜ、柔らかく、というより煮崩れたジャガイモを口に運ぶ。やっぱり美味しい。わたし、勝てるかな、料理……。さきほどの決心が揺るぎそうになったとき、先生がこちらを向いた。やばい。見つめてたのバレたのかな。

「どうしたらいいのかな……」

目を伏せて、くちびるを尖らせながらそう言ったきり、先生の言葉は止まってしまった。詰まった言葉を吐き出したいのか、うーんと顎に手を当てて首を傾げる。ひとり百面相だ。ふっと笑ってしまう。それに気づいた先生が、ハッとしたようにまたこちらを見た。

「喪子さん」
「あっ、すみません、つい笑っちゃって……」
「ううん、いいよ。そうだ……あのね、僕はそれがいいと思う」

言葉の意味がわからず、今度はわたしが首を傾げた。けれど先生は自分ひとり納得して、そのまま続ける。

「考えてたんだ。どうして、どうやってだとかもそうだけど、これから僕はなにをしてあげたいんだろうとか、僕はなにを見て、なにをしてほしいんだろう。自分がなにを求めてるのかって」

こういうときの先生は止まらない。静かに、相槌もせず、ただ先生の言葉をしっかり聞くのが一番いい。
いまはわからなくても、きっと最後にはわかる。だっていままでがそうだ。わたしのわからないことはとことん教えてくれた。勉強だって、なんだって。自分語りだと笑う先生が、わたしは好きだ。

「何度も考えたりしたけど、結局のところ、答えは簡単なんじゃないかって。君だったんだ。君のことでいちいち一喜一憂してる自分を見て、そうして笑ってくれていれば僕はいま充分に幸せだから、それでいいんじゃないかなって……そう思った。

結局は僕は君とこうしていることを望んだし、それを受け入れてくれてっていう……。その、なんていうか、僕たちの関係って、ただ学校っていう環境の中でつながってるだけでは満足できなくなったからこそできたものでしょ。それがどうしてなのかとか、こう、考えていて。ごめん、わかりにくいよね」
「……いえ……」
「えっ……と、ごめんね?」

こんなこと話したって面白くもないねと先生は明るく笑ってパンを食べた。違います、先生。そういうことじゃなくって。気づいてないんですか。

「……やっぱり、先生はずるいです」
「えっ?」

わたしだって、先生が笑っているのを見たり、それだけで幸せな気分になって。先生が他の人としゃべってるだけで悲しくなったり、嫉妬したりして。
……でも、それは自分だけなんだとばっかり思ってた。やっぱりわたしは子供だ。先生はいつだってわたしを見ていてくれた。いつだってわたしのことを考えてくれていたんだ。わたしはいつも自分のことばっかりで。敵わないなぁ。先生のやさしさがあふれるような言葉に包みこまれて、幸せになる。
先生からしたら、ただ自分の考えを言っただけだ。飾りつけたりとか、そんなものが一切ない先生の言葉は、わたしに直に触れて、染みる。ずるい。そんなふうになんてことないって顔で、こんなこと言うなんて。

「……好きです」

こぼれた言葉は、わたしの本心だった。

「わたしも、先生が笑ってくれると楽しいし、うれしいし、幸せな気持ちになります。わたしは卒業したくせにまだ子供で、自分のことばっかりで……でも、先生、その……」

上手く言葉に表せない。幼稚園児みたいに、たどたどしく言葉を区切りながらしゃべる自分が情けなくって。でも伝えたくて。いまの気持ちを表情する方法、言葉と言ったら、わたしにはひとつしかない。

「……ずっと、ずっとわたしは先生のそばにいたいです。先生のことが、好きだから……」

緊張のあまりにぎゅっと握った拳を開いて先生の膝の上に乗せる。そのうえから、そっと重なる先生の手。あたたかい。撫でるようにして触れられた手から伝わる体温が先生の存在を強く示す。喪子さん。名前を呼ばれる。

「……ねえ、抱きしめてもいい」
「え……」
「なんだか、どうしようもなくって」

いまはただ、君を抱きしめたいんだ。

奪うように抱き寄せられた体は、先生の腕に包まれる。それは、苦しくって息もできなくなるきつい抱擁にも、やさしくってとけてしまうようなゆるい抱擁の、どちらにも思えた。しなやかさを持つ体はピタリと離れない。回し返したわたしの腕も、先生の腕も。もしかしたら、こうして体がとけあい、ひとつのものになっていくのかもしれない。なんて、バカな考えすら浮かぶほどに。
 首筋に触れる先生の髪がゆれるのがわかった。耳に響くのは、キレイな、通る声。静かに瞼を閉じる。濃く感じる影がわたしにかかった。
幸せとはなにかってふたりで考えて、見つけた答えが一緒なら、なにもおそれることはないんですよね。
気持ちを確かめ合うようなキス。さらに強くなる腕の力。わたしは体を任せて、また夢の中に入っていくようなまどろみを感じた。

――これからさきもずっと、ふたり同じ答えでありますように。






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