突沸寸前




わたしがお風呂から出て、リビングへと行くと先生は丸テーブルでお茶を飲んでいた。落ち着いたブラウンの二人掛けワッフルソファーの端にあぐらをかいた先生は、わたしに気がつくと立ち上がり、キッチンからマグカップを持ってきて、わたしに差し出した。座るように言われ、そのままわたしもソファーに座る。渡されたのはホットココアだった。あたたかい。

「あの……服、ありがとうございます」
「いや、いいよ」

わたしが着ているのは先生のスウェットだ。脱衣所に並べて置いてあった。華奢だと思っていた先生の服は意外にも大きく、袖があまる。ズボンだってぶかぶかだ。ああ、男の人なんだ。改めてそう思うと顔が熱くなった。恥ずかしさからわたしがなにも言わずココアをすすると、先生はそのままお風呂場へと足を向けた。振り返り、俺も入ってくるから、テレビを見ていてもいいし、本も好きにしてもいいと言う。

「それから……」

親御さんに、キチンと連絡しておいて。
それだけ言うと、先生は奥へと消えてしまった。やっぱり。やっぱりわたしは今日ここに泊まるんだ。改めて考えると、とてつもなく恥ずかしい。わたしは鞄から携帯を取り出すと、仕事中であろう母親にメールを打った。『今日は友達のところに泊まるね、いつものクラスの子だよ』『明日は創立記念日でしょ? 授業はないよ』明日、水曜日は確かに創立記念日だけど、友達にも連絡して口裏を……いや、それともキチンと、ってことはちゃんと正直に書いたほうが。いやいやさすがにそれは。うん……まぁ、気づかれないよね。
 数分後『わかった。明日また連絡しなさいね』との返信メール。よかった。わたしは携帯を置いてまたココアをひとくち飲んだ。リモコンに手をのばし、テレビをつける。えっ、もうこんな時間なの? だいぶ長くお風呂に入っていたようだ。時刻はすでに二十一時を過ぎていた。いま流行っている月9のドラマが流れてる。……あ。

「……格好良いかも」

主演の男性がすこし、堺先生に似ている気がしたから。雰囲気だけ。でもやっぱり堺先生がいいな。

「誰が?」
「わっ! びっ……くり、したぁ」

突然の声に驚いて振り向くと、先生が後ろに立っていた。
先生はテレビを見遣ると、ふうん、となんだか納得いかないと言った声を出して唇をとがらせた。いつもの顔だ。なんかすこし情けなさそうな顔だよね。先生がそんなことを言うものだからわたしは笑いが耐えられなかった。そこが似てると思ったんですよ、先生。心の中でそう答える。

「なんで笑ってるの〜」
「いえ、別に……ふふ」
「なぁに」

タオルを首にかけて髪をガシガシと拭きながら先生が左隣に座ると、ソファが軋んだ。
白の薄手のTシャツ、すこし肌が透けている。スウェットはわたしと同じズボン。それだけのことにわたしはまた恥ずかしくなって下を向いた。ピタッと先生とわたしの腕がくっつく。あたたかい。先生の濡れた髪がわたしの頬に触れて水滴が落ちた。ごめん、と先生が親指で水滴を拭う。カァッと顔が熱くなる。

「いえ……」
「喪山さん、こっち見て」

顔、真っ赤。堺先生がなんだか嬉しそうに笑った。目をそらすと、だめだよと顎を掴まれて、次の瞬間にくちびるが重なる。触れたかもわからないような、軽いキス。ついばむようにまたくちびるが降ってくる。何度目かの口づけが終わるころには、わたしの思考は完全に停止していた。ソファの上に押し倒される。わたしに跨がる堺先生をただ受け止めることしか、できない。
――ふいに、先生の口づけが深くなった。食いつくようにわたしのくちびるを含む。舌先が、くちびるに触れた。

「んっ、んん」
「喪子……喪子さん」

その瞬間頭に浮かんだのは、西島先生の、舌の感触。やだ、いやだ。思い出す。西島先生の悲しそうな顔。それに重なる堺先生への罪悪感。だめだよ先生、わたしは……。目を見開いたわたしに、先生はハッとしたようにくちびるを離した。

「喪子さん」
「ごめ、ごめんなさい。ごめんなさい先生」
「……キス、されたの」

顔が歪む。答えに詰まるということで、先生にはわかっているだろう。

「これも……西島先生がしたんだ」

先生がわたしのスウェットの襟を引っ張る。ごめんなさい。わたしは先生の胸を押して、離れようとする。重たい。先生はわたしに体重をかけたまま、目をそらさない。ごめんなさい先生。今さら気がついた。こんなわたし、もう先生のそばにいられない。バカだ。不本意だとしても、他の男性にキスされるなんて。そんな女性を、きっと先生は嫌う。

「いやですよね、こんな……先生に似合わない」

喋ってて、悲しくなってきた。また泣いてしまう。今日は泣いてばっかりだ。だめだってば。面倒な女だと思われるよ、きっと。なのに涙は止まってくれない。なんで、なんで止まらないの。必死に目を閉じる。
――影が濃くなった気がした。体に感じている重みが増したその瞬間、わたしのまぶたに、ぬるい舌の温度。柔らかいくちびるの感触。涙が消えた。

「……ごめん、泣かせて」

先生がわたしを抱きしめた。

「似合わないわけがないでしょ。俺が一番大切にしている人なんだから」

大丈夫、好きだから。先生が言う。そんなこと、そんなこと言われたら、また涙が出るじゃないですか。
先生の体が離れた。そう思った瞬間に、腕をぐっと引っ張られ、立ち上がる。引かれるままに数歩進み、また押し倒された。背中に柔らかい布団の感触。ベッド。なにが起きたのかわからない。

「ねえ、キスしてもいい」

答えを待たないで、先生のくちびるが触れる。
押し付けられたくちびるは激しくわたしのくちびるを貪った。アッという間のことで、舌を奪われたわたしはついていくのが精一杯で。両手を抑え込まれる。恋人繋ぎで握られた両手が布団に食い込む。体を捩ると先生の足がそれを抑えるように絡む。息ができない。強く咳込んだわたしにようやくくちびるが離れた。こぼれた唾液。わたしの舌と先生の舌を繋ぐ糸。半開きの先生の口から舌がだらりと見えている。ぬるつき光るくちびるが官能的で、わたしはくちびるを噛んで顔を背けてしまう。
ドラマのエンディングテーマがテレビから聞こえる。先生がテレビを消した。

「もう、耐えられない」

首筋に当たる先生の吐息に、わたしは覚悟した。






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