触れた手の温かさ
あれから一ヶ月。
私は必要以上に松岡くんに近付かなかった。彼は傷ついた目をしていた。どうして、と思うくらいに傷ついた目。

今日は大会で、松岡くんは私が初めてみた大会で話していた男の子達とリレーをした。それはもう、楽しそうに。なにかふっきれたように。

そのときの彼の泳ぎは、初めてみたときの何倍も綺麗で、自由に、どこまでも泳いでいきそうなくらいに。あぁ、


「…すき、」
「ちょ、梓泣いてるの…?」


あぁ、笑ってる。
松岡くんが笑ってる。嬉しそうに笑って、泣いてる。それが嬉しい、なのに、涙が止まらない。その笑顔を、私に見せてほしいと思うのはいけないことかなぁ。


「わたし、松岡くんのこと、すきだよ…大好きなんだよ、」
「うん、」
「抱かれて、嬉しかった、でも

松岡くんはずっと悲しそうで、」


私じゃ無理なんだと思った。だから近付けなかった。怖かった、


「松岡くんが、心から笑ってるのに、嬉しいのに…悲しいよ…!」


声が震える。視界はもうぼやけて見えない。ぼろぼろと流れる涙を拭おうともせずに、ただずっと松岡くんを見つめつづけた。

す、とこっちを向いた松岡くんと目が合ったような錯覚。松岡くんははっとして、バツが悪そうに眉を下げた。松岡くん、松岡くん。


すきだよ、大好き。
私、笑ってほしかったんだと思う。すきとか、そんなことの前に、笑わせたかったんだよ私。


「辞めさせてください」


松岡くんは部長に頭を下げる。他校の生徒とリレーなんて、前代未聞だと怒られたらしい。部長は、松岡くんの退部を良しとしなかった。あの時の泳ぎを、このチームでしろと。


「藍」
「はい、凛先輩!」


松岡くんの後ろを、似鳥くんが嬉しそうについていった。あ、また松岡くんと目が、合った、な。


「梓」
「ん?」
「あのね、アンタに話しがあるって人がいるんだけど…」

「え、どこ?」


あそこ、と指さされた場所には松岡くんが一緒にリレーを泳いだ岩鳶高校の人がいた。あ、あの日松岡くんと話してた人だ。


「部長ー、私呼び出されたからちょっと行ってきます」
「おー、帰り道わかるか?」
「大丈夫です」


許可を貰ってその人のところまで歩く。こんにちは、お疲れ様ですと言えば不思議な雰囲気の彼は「アンタは凛のなんだ」と唐突に聞かれた。


「…ただのマネージャーですよ」
「そんなはずはない」


ぐ、と腕を引かれてぼすりと彼の腕の中にダイブした。細い感じだけどしっかりと筋肉はついていた。


「あの、」
「凛が…あんなに嫌悪をあらわにするのはよっぽどアンタを気に入ってるからだ」


彼、七瀬さんの言葉に混乱する。気に入ってる?ただ私がウザいから、あぁやって無理矢理抱いて、近付くなといったんだろう、私ももうそろそろ諦めかけている。傷つくのはやはり嫌だもの。


「…小さいな」
「え、七瀬くん?」


きたか、と小さな声が聞こえた。


「ハル…!お前なにして…」
「…凛には、関係ない」
「コイツはただのうぜぇ女だぞ、お前にはあわねぇよハル」

「けど俺は梓がいい」


七瀬くんの言葉に返事を詰まらせた松岡くんを見れば、眉を寄せて…泣きそうな顔を、していた。


「駄目だ」
「凛?」
「コイツは、駄目だ」


ぐい、と腕を引かれて七瀬くんから離れる。その時、小さな声で「がんばれ」と言われた。ものすごく、優しい声色で。七瀬くんを見ると、一瞬笑ったように見えた。


「…来い」
「え、あの…」
「いいから、来い」


引かれる腕、松岡くんが触ってるところが、妙に熱かった。

触れた手の
温かさ


(どくん、どくんと)
(心臓がうるさいよ)


20131018
次辺りで終わりそう