ナミダの海 | ナノ
predicament [ 3/6 ]

今日の分の授業が終わり、花宮くんに家を教える約束をしていたから一応教えとかないとな、と思い携帯を開く。一時間目の間に交換しあったメルアドを選択しメール作成画面を開いて〔校門で待ってます〕と短いメールを送り、校門へ向かう。今日は部活がオフらしい。この学校のバスケ部はかなり盛んだからオフとかないもんだと思ってた。よくよく考えればありえないんだけどね。下駄箱で靴を履き替えてると、携帯が震えたので見てみればメールが来ている。花宮くんからだ。軽い気持ちで開き、内容を読んで私は顔が真っ青になるのが自分でも分かった。
携帯を持つ手が震える。足がガクガクと震え気を抜けば崩れ落ちそうになる感覚。
液晶に映し出されたのは短い文面。私と同じく顔文字も絵文字もないそのメールにはただ一言。〔今吉先輩に呼び出されたので遅れます〕とだけあった。
部活のことかもしれない。私と花宮くんが仲いいのは誰も知らないはずだから。でも、でも。私は携帯をポケットにしまい込み、走り出す。
探さなきゃ……!!
どこにいるかなんてわからない。だから虱潰しになるけれど、早く、早く見つけなきゃ……!!
焦る私は、すでに冷静さを欠けていた。それを後から後悔することになる。






先輩にメールを送り、目の前にいる今吉に愛想よく笑いかける。糸はもう撒いた。あとは無様にオレの巣にかかってくれるのを待つだけだ。


「で、なんですか?今吉センパイ」

「わかっとるやろ?」


今吉も相変わらずの笑みを浮かべているが、腹の底では何を考えているか分からない。まあそれはお互い様か。


「みょうじのことや」


低い声で切り出された話。まあなまえ先輩以外の話だったらなんなんだコイツってなるから当たり前だよな。そして分かりやすいくらい不機嫌だな。だけどな、今吉。不機嫌なのはアンタだけじゃない。お前に計画を邪魔されたオレも不機嫌なんだよ。


「お前が全部仕組んだんやろ?」


言いたいことは分かる。でもまだ時間じゃない。


「なんのことですか?」

「みょうじが苛められることも、お前を頼ることも。全部、お前の計算やろ?たいがい最悪なヤツやな」


最悪?俺が?


「ふはっ」


我慢できずに笑いが漏れる。そうだ、全部オレの計算だ。けどな、今吉。


「違うな」

「……」

「あの時、なまえ先輩は傷ついていた。誰でもいい、優しくしてって。けどそれをアンタは突っ撥ねた。さらに深くなまえ先輩を傷つけることしかしなかった」

「……ッ」

「同じ穴の狢なんだよ、お前も」


最悪だな。笑いながらそう吐き捨てれば、今吉は俺の胸倉を掴み、拳を振り上げた。アンタらしくないな。まるで冷静じゃない。だから、


「やめて!!」


俺の蜘蛛の巣に囚われるんだよ。頬に衝撃が走り、わざと体勢を崩させ尻餅をつく。こうした方が威力がでかいと勘違いさせやすいからだ。実際静止の声が響いたとき、拳の威力はほとんど落ちていた。けれど振りぬかれた拳は止まらない。避けることもできたが、俺はこのときのために甘んじたのだ。
静止の声をかけた人―――なまえ先輩が俺に背中を向け、庇うように両腕を左右に広げた。


「やめて、もう、やめて……」


震える先輩の声。今吉の絶望したような顔。


「私のことは嫌いでもいい、けど花宮くんを傷つけないで!!」





呼び出し、ときてまさかなと思った体育館裏。走っている途中に今吉くんと花宮くんの声が聞こえ、ベタすぎるとか思いながら足を速めた。話はほとんど聞こえなかったけれど、所々で私の名前が聞こえてやっぱり私のせいなんだと実感する。
そうして見えたのは、今吉くんが拳を振りかぶり、花宮くんに殴りかかっている場面だった。


「やめて!!」

反射的に声を張り上げる。けど振りかぶられた拳は止まらない。花宮くんの左頬に今吉くんの右拳が入り、ガッ、と鈍い音が聞こえる。
勢いがあったのか、花宮くんが尻餅をついて、頬を押さえるのを見て思わず花宮くんと今吉くんの間に体を躍りだした。


「やめて、もう、やめて……」


怖い、怖い、怖い。今吉くんならきっと躊躇わず私を殴る。だって彼は私のことが嫌いだから。でも嫌だった。私のことで優しい花宮くんが傷つくのは、嫌だった。それなら私が傷ついたほうが良い。


「私のことは嫌いでもいい、けど花宮くんを傷つけないで!!」


心の底から来た言葉を必死に叫ぶ。今吉くんの絶望したような表情を脳は一瞬拾い上げたがすぐさま必要ないことだと切り捨てた。
私を嫌いでもいい。むしろすぐ好きになれと言う方が無理な話だ。でも花宮くんは今吉くんの後輩でしょ?なんで?私が花宮くんを頼ったから?私が楽にできる場所があるのが気に食わないの?そんなに―――私が嫌いなの?


「お前……これが目的やったんか……ッ!!」

「え?」


小さく呟かれた言葉。聞き取れはしたけれど意味が分からなかった。目的?なんの?今吉くんはなにを言っているの?

混乱する私の肩に手が置かれ、後ろを見れば花宮くんが真剣な顔で、でもどこか苦しそうな表情で「下がっててください」と私を後ろに庇う。そうだよね。部活の先輩だもんね。殴られて平気なわけないよね。ごめんね、ごめん、ごめんなさい。私なんかのせいで。本当にごめんなさい。


「みょうじ、花宮から離れぇや」

「え?」


いきなりかけられた言葉にぽかんとする私を今吉くんは鋭い目で睨みつけ、言葉を続けた。


「お前これ以上花宮とおったら壊されてええおもちゃにされんで?それでもええんか?」

「ッ!?」


なんで?なに言ってるの?花宮くんに私が壊される?おもちゃにされる?


「何言ってるの、」


なにも知らないくせに。私がどんなに傷ついたかも、どんなに花宮くんに救われたかも、どんなに彼が優しいかも。なにも知らないくせに。なにも、なにも―――……


「花宮くんがそんなことするわけないじゃない……っ、今吉くん最低だよ……!!」


嫌い、嫌い、大嫌い!!睨みつけてそう言えば、今吉くんは悔しそうな顔で荒々しく言葉を吐き捨てた。


「……っ、なら好きにせえや!!せいぜい傷つけられんよう花宮に頼むんやな!!」


花宮くんは、頼まなくても私を傷つけない。今吉くんとは違う!!
そう叫びたかったけれど、花宮くんがくるりとこちらへ体を反転させ、腰へ腕を回してきたから言葉にならずのど元ですべて掻き消えた。


「先輩、行きましょう」

「うん…」


私の背中を押しながらその場を去ろうと歩き出す花宮くんの表情はやっぱり優しくて。
私は間違っていないのだと自分自身を納得させるには充分で。充分なはずで。
でもどこかで今吉くんの言葉とあの表情が離れなかった。









「くそっ……」


なまえと花宮がその場を去り、今吉はギリっと強く拳をにぎりしめ歯を食いしばる。
去り際に花宮が顔だけこちらを向き、見せた笑顔。ざまあみろと言わんばかりのあの顔が憎憎しかった。
なまえは花宮を絶対的に信頼している。自分が入ってどうこうするのは容易なことではないだろう。けれど、だとしても。


「絶対好きにはさせへん……みょうじをガラクタにさせてたまるかいな……!!」


それでも、今吉は自分のためにやらなくてはならないのだ。みょうじを自分の手で守り抜きたいという、自分の我侭のために。
握り締めた拳。手のひらにきつく爪が立ち、じわりと血が滲む。
花宮には壊させない。二人を引き裂くことでなまえに恨まれてもいい。ただ、彼女が壊れるのだけは阻止するんだ。
今吉は覚悟を決め、宙を睨みつける。


「なにをしてでも……」


花宮の邪魔を、しなければ。そう小さく呟いた声は風に掻き消え、誰にも届かないまま風化した。





predicament
苦境/窮地




2012/09/01

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