安心院さんのおふざけターイム(笑)
時は―――まあ、結構前。
それは、とある人外の思いつきによって始まった。
誰よりも快楽主義者で、誰よりも傍観が好きな彼女は、とある事を思いついたのだ。
木々の隙間から洩れる木漏れ日をうけながら、黒い長髪を腰の辺りで束ねた美少女がくすりと笑った。
何処の学校の制服だろうか―――とにかく、中学生や高校生くらいの背丈の彼女は、ふと空を見上げながら、パチンと指を鳴らした。
「―――じゃ、皆行ってらっしゃい」
×××
長屋の家が無数に立ち並んでいる、風情のあるこの街を、とある一組の男女が歩いていた。
人々が寝静まったこの京の都で、彼らが見回りをするのは特に珍しい事ではない。
男も女も、両方とも年は十五〜十六程度と思われ、女の方は長い藍色の髪を高い位置で束ねている。
水色の、袖の所が山形に白く染め抜かれた羽織を二人は見につけていて、同じく袴を穿いている。
腰に刀を携えているのも特徴といえるだろう。
「なぁめだかちゃ……じゃなかった、局長」
「む? なんだ、善吉」
男の方は女のほうをめだかと呼び、女は男を善吉と呼んだ。
女の名は黒神めだか。
男の名は人吉善吉。
女―――黒神めだかは、周囲を見回しながら、人吉善吉の言葉に応える。
善吉は周囲を見回しつつ、少しめだかへと目を向けて、
「いや……流石に今日は見回りしなくっても良いんじゃ?」
「何を言うか。こういう時にこそ我ら新撰組の出番であろうが。今動かんでいつ動く」
そう力強く胸を張って言い切る新撰組局長、黒神めだか。
幼い頃より彼女に頑張ってついてきても、なんか結局下っ端止まりな人吉善吉という名のお人好しは盛大に溜息を吐き、煌々と光る青白い月を見上げる。
なんだかもう、疲れたよ後眠いよ。
なんて言葉をめだかの前で洩らせば何処かにぶん投げられてしまう事は間違いないので、黒神めだかの行動の規則性をある程度は把握している憐れな幼馴染は口を噤む。
よくよく考えてみれば、こんなとこでなにしてんの俺。
『あれ、善吉ちゃんにめだかちゃん。ねぇねぇ、志布志ちゃんと蛾ヶ丸ちゃん見てない?』
そう言いながらにこやかな笑顔を見せて近付いて来るのは、めだかと善吉と同じように水色の羽織を適当に着た男だった。
黒髪で、まあ、顔立ちは整っているというよりは幼く、愛らしいと言った方が正しい。
彼の名は球磨川禊。
「む、球磨川ではないか。……志布志飛沫と蝶ヶ崎蛾ヶ丸? そういえば昨日から見てないな」
めだかの言葉に、人吉善吉は眉根を寄せた。
今黒神めだかと球磨川禊から出た、『志布志飛沫』『蝶ヶ崎蛾ヶ丸』という名は、人吉善吉よりも遅くに新撰組に入った筈なのに、何故か人吉善吉よりも上の階級にいるという、奇妙な二人である。
複雑そうな表情をし続けている善吉を見て、球磨川は楽しそうに肩を竦めた。
『やっぱりその顔。……僕があの二人を君より上の階級につけた事、不服なんでしょ?』
「カッ! んなワケあるかよ!」
なんて事を言いつつ、彼は内心イラついていた。
何で俺より後に入った奴が俺より上の階級なのか。
何で俺より後に入ってしかも碌に仕事をしない様な奴が上の階級にいるのか。
何でいっつも働いてばっかの俺は当然の如く階級が上がらないのか。
正直、いくら頑張ってみても下っ端止まりな様な気がしてなんないんだよなあ俺ってば。
『あっはっは、善吉ちゃんってば分かり易ーい! それだから後から入った人に抜かれちゃうんだぜ?』
「う……うっせえな! そもそもあんたが階級上げ過ぎなんだよ、なぁめだかちゃん!?」
なんて感じで名を呼ばれためだかは、
「だから局長だと言っておるだろうが。まあ良いが……私は、まあ別に?」
「別に!? え、嘘」
「まあ、別に良いではないか。じゃあ、次行くぞ、次!」
「……報われねえなぁ、俺…………」
「何か言ったか?」
「いや、別に」
報われない黒神めだかの幼馴染、人吉善吉は深々と溜息を吐いた。
いつもこうだ。
いっつもいっつも、俺がどれだけ頑張ってみても、結果も功績も残らない。
そう、何一つ。
昨日だってそうだった―――昨日?
「昨日……昨日、ね」
ぽつりと人吉善吉は呟く。
何かが。
何かがおかしいぞ、と。
しかし、何がおかしいのかは全く分からない。
「善吉?」
不思議そうにめだかが善吉に問うが、当の人吉善吉は上の空だった。
「善吉!!」
「ん? あぁ、めだかちゃん……何?」
鋭いめだかの声に反応した善吉ではあったが、やはりその目は何かを考え続けていた。
首を傾げながら、めだかは問う。
「どうかしたのか」
「んーいや、昨日って……何したっけな、って思って」
「昨日? 昨日は……」
言って、めだかも考え込む。
『えー? なになに、なにを二人とも考え込んでるの?』
能天気に、球磨川禊は首を傾げている。
二人とも答えないので、彼は不服そうな顔をしながら、その手に大きな螺子を取り出す。
が、そんな危ない恰好をした球磨川に、二人は反応してくれない。
本当に、上の空―――といった感じで。
『ねえ、めだかちゃん? どうしたっていうのさ』
「む? あ、いや……」
『もしかして、恋の悩みとか?』
その言葉を言った途端、彼はめだかに前方数十メートルほど殴り飛ばされた。
情けなくも一発でダウンしてしまった球磨川禊は、道のド真ん中で小さな呻き声を上げた。
「昨日、昨日……?」
黒神めだかは、首を傾げる。
何かがおかしい。
何かがおかしい。
何かが、壊れている。
昨日、何をしただろう。
昨日、何を話しただろう。
昨日、何を食べただろう。
昨日、誰と一緒にいたのだろう。
昨日、私は一体、何処に居たっけか―――。
「あれ? どうやら随分とお困りの様だね、めだかちゃん」
あはは、と楽しそうに笑う女の声がした。
俯いていためだかは顔を上げて、声の主の姿を確認しようとする。
そして、その女の姿を―――見た。
彼女は、実に奇妙な格好をしていた。
上下共に、めだかや善吉が見た事も無い、変わった服を着ていて。
時代が時代なら、この服は制服というのだが、今の彼らにそれを知る手段は無い。
めだかは、この女を―――知らない。
見ず知らずの筈の女が自分の名を知っていて、気安く話しかけて来た。
そんなのは初めてだった。
初めての―――筈だった。
しかしめだかは知っている。
この女の事を、何故か知っている。
覚えていたのだ。
この女の声を、顔を、匂いを、恰好を、口調を、特徴を。
そして―――
「安心院さんではないか」
名と姿だけを知っているめだかは、彼女の名を―――否、愛称で彼女を呼ぶ。
安心院なじみ―――通称安心院さんは、あっはっは、と笑って、
「どうだい? この世界を―――満喫出来ているかな?」
唐突に意味不明な事を言った。
めだかや、善吉や、球磨川でさえ理解できない言葉を。
彼女は笑いながら、続ける。
「いやはや、ちょっとした暇潰しにでもなると思って君らをタイムスリップさせてみたんだけど―――楽しそうで何より」
言って、安心院なじみは微笑む。
天使の様に明るく、悪魔の様に妖艶な笑みだ。
「タイムスリップ……?」
「暇潰し?」
めだかと善吉は、揃って首を傾げた。
そうだよ、と言って、安心院さんは笑う。
「僕だってちょっと暇だったからね―――もしも、君らが幕末……だっけ? にタイムスリップしたら面白いかなって」
「「何してんだあんたはぁぁあああああ!?」」
二人して安心院なじみに食ってかかる。
しかし安心院さんは楽しそうに笑う。
「で、どうだい? この時代は楽しいかな?」
「んな訳あるか! さっさと帰してくれよ安心院さん!!」
お願いしますとばかり、善吉は安心院さんの肩を揺する。
あはは、と安心院さんは笑う。
「残念だけど、帰してあげないよ。頑張って帰り方を模索すると良いさ」
それだけ言うと、安心院さんの姿が消えて行く。
人がいた筈の空間を見て、ぽかんと口を開ける人吉善吉。
「嘘だああああああああああ!!!」
結局、彼らは安心院さんのおふざけから、彼女の気まぐれによって運よく解放されたと言う。
……が、彼らに一切の記憶は無かったとさ。