君はそれが普通だっていうけれど
「目ぇ合わせてから喋ろうとは思わないのかね鶴喰鴎君」
始まりは彼女のその言葉だった。
私の場合は目を合わせないんじゃなくて目を合わせられないの方が正しいのだけど―――ううん、どうしたものか。
そもそも挙動不審になるからと私はできる限り他人と目をあらせないようにと努力しているというのに、この子は、もう……ね。
人のことを考えていないというか、興味本意があらぬところまで迫ってくるというか。
「え……と、零? 近いんだけど」
「だって誰かさんが一向にそっぽ向いてるからさあ」
「だからって顔の距離十センチはまずいんじゃないかな、と私は大人だから提案を一つ述べてみるわけだけど―――とにかく、離れてくれない?」
「それはあくまで貴方の提案であって、未だに精神が子供である私は、しっかりとした大人の言うことがきけないのです。ご容赦くださいねー」
あはは、と彼女は笑うけれど―――近い。
距離が近すぎて、最早恥ずかしいどころの問題じゃない。
目を合わせる合わせないそれ以前に、そろそろ挙動不審に陥りそうだ。
目を合わせれば多分彼女は離れてくれるのだろうけど、それはいくらなんでも無理。
キョドっちゃったらまともに会話だって出来ないって言うのに―――ああもう、どうしたものだろう。
取り敢えず、此処が学校じゃないのだけが唯一の救いだ。
知り合いに会ってしまったら絶対に終わる、学校生活に終止符が打たれてしまうところだった。
ただ、一方で結構な問題もある。
此処が、彼女の家であるということだ。
私の家だったら、いっそ隠れてしまえば見つからないんだろうけど―――此処が彼女の家であるがために、逃げるも何もない。
だからといって―――それこそ私が大人だからといって目を合わせるのは、絶対に無理。
「いや、あの、だから―――」
「目ぇ合わせるまで動かないつもりだけど」
もういっそ、彼女の目の方を閉じればいいんじゃないか。
……どうやって?
考えてみれば、これは村人レベル1が魔王レベル100を倒しに行くような、半端じゃなく無理なことじゃないの。
そんなの絶対に無理無理無理。さあどうしようか。
「………」
「………」
長い沈黙が訪れた。
やばい、これは非常にやばい。
きっと零はこのままの姿勢で動くなと言えば三日くらい平気だろう。
けれど、私はそろそろ色々と限界だ。
羞恥心やら意味不明に背中に走る痛みやら―――何かの拷問だろうかと疑いたくなってきた。
そりゃ、私だって彼女が嫌いなわけではない―――嫌いなんかじゃ、絶対にないけれど。
「君、私が男だってこと忘れてないかい?」
「いやいや、忘れちゃいないけど? どしたの、突然」
「いや、離れてくれないかなと……」
「ヤだよ?」
「そろそろ羞恥で顔が赤く……」
「大丈夫、いつも通りの無表情だから」
これならいっそ、ジャンプを否定し続けていた方がマシかもしれない。
この子には羞恥という感情がないんだろうか。
というか、他人がどう思っているのか思考する能力がないんだろうか。
「そりゃあんたでしょうよ」
「心を読まないでくれないかな」
私がそう返すと、零は疲れたように浅く溜息を吐く。
悪いんだけど、溜息をつきたいのはこっちだよ。
「あんたは多分私に羞恥の類の感情がないんじゃないかだとか、他人の心情を察する能力が欠落してるんじゃないかとか、失礼なことを思考してるんだろうけど、私には……まあ一応それなりの羞恥もあるし、それなりに人間の感情を読む能力も付属してるから」
「付属、ってことは……」
「まあ、そんなに期待はするなよという意味で」
「無いようなもんじゃないの」
「あ、それ言っちゃう?」
「言っちゃう。だから離れて」
「良いよ? でもあんたが一回でも目ぇ合わせたらね」
楽しそうに零は綺麗な笑顔を見せてくれるけれど、正直、私は恥ずかしくて仕方がない。
いくら私が大人だといっても、そんなに女の子に免疫があるわけでもないということを彼女に理解してほしいと切実に願うよ。
なんだかんだで、時間というものは勝手に流れていく。
零は相変わらず鶴喰が目を合わせるまで動かないつもりらしく、鶴喰は彼女に目を合わせまいと少しずつ後ろに逃げていた。
「……あのさ、いつまで目を合わせてくれないのでしょうか、鶴喰君」
「そりゃいつまででも。目を合わせるとか考えられな……」
「あ」
そのまま鶴喰の動きは停止し、固まってしまった。
え、ちょっと待って、こういうときっていったいなんて言えば?
というか、本当に近いんだけど……十センチも離れてないよ。
一方零は心底嬉しそうに笑って、鶴喰に抱きついた。
「やああっと目ぇ合わせたあああ!」
「え、あ、う……? 零!? ちょっと、何してんの!?」
君は視線を合わせて会話するのが普通なのだと言ったけれど。
私みたいに挙動不審になるような奴に、目を合わせろと?
そんな無茶苦茶な事、言わないでよね。