壊滅的なシンクロ率
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 ―――なんでよ、なんでなんでなんでなんでなんで!! 此処は何処より安全な筈、安全な筈なの! なのになんで、なんで……!

 「い、やぁああああああああああ!!」

 なんでこんな化物共に囲まれなきゃならないのよ!?





 ―――クラヴィスの叫び声が聞こえた。俺の目の前のアクマの掃除はついに終わり、あたりに散らばるアクマだった残骸が異臭を放っている。

 「ッチ」

 堪らず舌打ちする。なんなんだあいつは―――本当に手間がかかる。アクマの残骸を踏みつけ部屋から廊下へと移動する。クラヴィスの物なのか、廊下には点々と赤い雫が続いていた。それを辿っていくと―――突然視界が真っ白になった。

 「!?」

 訳が分からずとにかく目を閉じ、腕を顔の前にやった。

 「嫌、」

 声。

 「イヤイヤイヤイヤイヤイヤああああああ!!!」

 クラヴィスが叫ぶと同時に爆音が轟き、床が激しく揺れた。何何何何、何が―――

 キィィィイインッッ!!

 頭が割れるような甲高い音と、前方から感じる異様な冷気。ヤベェ、もしもこれがアクマの攻撃だったら、十中八九クラヴィスは助からない。―――あー、クソが!!
 一気に駆けだし、冷気の元へと向かう。途中廊下が凍りついていたので、スケートをする要領で進むと目の前にあったのは―――

 ―――氷に閉ざされた部屋だった。吐く息は白く、そして寒い。

 「……なんじゃこりゃ?」

 何がなんだかわからなくなる。クラヴィスの姿を探してもどこにも見当たらない。ただし、クラヴィスの代わりに、凍りついたアクマが俺の前に突っ立っていた。成程、訳がわからない。なんだこりゃ。俺の目の前で現在進行形で凍りついて動かないアクマは、俺が暫くガン見しているうちに勝手に内部から砕け、粉々になった。降りかかってくる氷の粒を払いながら、俺は氷の部屋の中をぐるりと見回す。それにしても、寒いなクソッ。
 すると、四、五体のアクマが何かを中心にして円を書くような配置で凍りついているのを見つけた。恐らくはレベル2。逆卵型の気持ち悪い見た目の奴がいないあたり、クラヴィスを追いかけていたのはレベル2の、そこそこ強い連中だったんだろう。アクマ達はやがて内部から破裂し、破壊される。

 「ゲホッ、カハ……ッ!」

 ヒューヒューと隙間風のような音と咳の音。先程破裂したアクマ達の、丁度中央にクラヴィスは居た。ぺたんと座り込み、苦しそうに胸を押さえている。その手首には、何やらブレスレットのような歪な輪がついていた。……さっきこんな変な腕輪付けてたっけ? その事を不審に思いながら、声をかける。

 「おい、クラヴィス」

 「……」

 クラヴィスがゆっくりと顔を上げる。その目からは―――血が流れていた。

 「おいおいおい!?」

 冗談じゃない。慌てて駆け寄り、抱き上げるとクラヴィスの目を覗き込む。涙が流れるように流れ落ちる血は止まる様子を見せない。クラヴィスの白い頬に赤い筋を作り、やがて床へと落ちて行く。

 「私、は―――」

 クラヴィスが何か言おうとするのを止めようとするが、彼女は俺がバタついているのを見ると楽しそうに口元を歪める。

 「あんたを出し抜く事が……出来たかしら?」





 クラヴィスが住んでいた街は壊滅状態だった。俺がクラヴィスの家にお邪魔したときにはちらほら人間がいたのだが、さあ帰るか、というときには人なんて一人もいなかった。シンとした静寂が耳に痛い。街は完全に廃墟と化してしまっていたのだ。……そーいや、この街でクラヴィス以外の人間を見たっけか、俺は。まあいいや。とくにもかくにも、俺ら以外に人間はいなかった。家々に灯っていたはずの明かりも、すっかり無くなってしまっていたのだから驚きである。うん、ビビったビビった。
 不思議なもので、一日にして廃墟と化した、本来であれば少しくらい生活感が残っていそうな此処に、生活感なんて感じられなかった。長きに渡って人が住みついていない、まさにゴーストタウン、それがこの街の本当の姿だったのかもしれないと、今ならそう思える。もしそうなら、という仮定を付け加えると、クラヴィスが妙にお家にご執心だった理由もわからなくもない。何せ、人のいないゴーストタウンなら、誰かに襲われることなんかまずないのだ。そりゃ安全に決まってるよなあ。
 だがまあ、何が腑に落ちないって……クラヴィスが今日まで何不自由なくこの街で生活出来ていたことだ。人のいない街に食べ物が流通するわけがない。だがクラヴィスは食べ物にも服にも困らず生きていた。これが何を表すのか、そんな事は俺にはわからない。イノセンスが起こした異常な現象、ということにでもしておこうか。イノセンスがある場所に異常な現象アリ、だし。……ちょっとこじつけ臭いけどな。

 「ってワケだよ、室長」

 In my room.
 目の前でコーヒーを啜るコムイに伝えると、俺は団服の上着を脱ぎ、床へと投げる。そのままベットへ横になると、頭の後ろで腕を組んだ。

 「……で、ブレイズ君、キミは知っているかい?」

 「教団七不思議の事か? あれ、大体お前が犯人だろ?」

 闇の中に光るメガネとか、コーヒーを探し求めて彷徨う亡霊とか。

 「その事じゃないんだなー、ブレイズ君」

 チッチッチ、とあえて口で言い、俺の顔の前で人差し指を左右に動かすコムイ。なんのこっちゃ。

 「本来ならキミがボクの所に、任務の報告に来るべきだって知ってるかい?」

 「え、知りません」

 なんだその衝撃の事実。……あー、そういやリナリーが「任務の報告があるから兄さんの所に行ってくるわ」とか、任務終わった頃あたりに言ってたような……。成程、そういうことか。俺らエクソシストの義務ってわけね。納得納得。そういやコムイって室長か。ってことは、っつーか当然だけど、俺の上司に当たるんだよなー、うん、忘れがち。偶に自覚して、また忘れるのが俺の悪いトコです。改善しない俺も俺だが。

 「いーじゃん。今回は適合者とイノセンス、両方見っけたんだからさー」

 お手柄だろーがよー、と間延びした声で言うと、熱々のコーヒーをぶっかけられた。

 「あっづうううう!!」

 「ああ、ボクのコーヒーが……」

 残念そうに空になったカップを見つめるコムイ―――じゃねぇよ、痛い痛い痛い熱いいいいい!! 火傷する、皮膚めくれる!! 顔面火傷になりかけだぞ、顔あたり盛大にコーヒー被ったぞ!!

 「てめぇ!!」

 「ん?」

 新しいコーヒーを注いで改めて飲みなおしているコムイを見ると、なんだか自分がかなり不毛な事でキレているような気がしてこないでもない……でも熱い。痛い。

 「ああ、そうだ。キミが連れてきたクラヴィス君の事だけど」

 「あ?」

 あー、あの二十二歳か。家依存症のおかしな人ね。あいつが目から血ィ流してたのは、イノセンスを原石のまんまで使用してた所為で体に過剰な不可がかかっちまってたから、ってのはなんとなく察しがつくし―――あいつの事で俺が聞かなきゃなんない事ってあるか?

 「シンクロ率、キミより高いんだって」

 「それ普通じゃねえの?」

 「どうせなら君も調べに来いだって。ヘブラスカが言ってたよ」

 「俺が? どうせ調べたところでどんな数字が出るかなんかわかってんじゃねぇか」

 「それでも、だよ。キミ、一体どれだけ調べてないと思ってるんだい?」

 「……二年くらい?」

 そう考えると、随分長い間へブラスカに会ってねぇんだな。いー加減に顔見せにでも行かねえと……でもなあ、適合(シンクロ)率調べられんのはちょっとなぁ……。へブラスカとチェスするとか話するくらいだったらいいんだけど。……また下がってたらどーすっかな、流石に言いワケ効かねえよなぁ……。

 「じゃ、行こうか」

 「……えー」

 「上司命令です」

 メガネをかけ直してキリッとした顔をすると、どんなシスコンでもまともな人間に見えてしまうのが不思議でならない。……キリっと顔の効果すげぇ。
 グダグダと嫌だ嫌だと言っていたら、やがてコムイは俺の腕を持って、ずるずると引き摺りながら歩こうとする。

 「面倒クセェ、腹減った……」

 そんな暢気な声は誰に聞かれるでもなく、ただ俺に溜息を吐かせるだけだった。

 ×××

 へブラスカの間という場所がある。……俺の大嫌いな場所だ。其処へは逆三角錐型の昇降機(エレベーター)を使って降りて行くわけなんだが……周りが少々暗いので、地獄にでも落ちて行くような感じがする。いや、俺にとっての地獄はへブラスカの間なので、実際地獄に行くようなもんなんだが。

 「嫌だああああああああ!!」

 「ホラホラブレイズ君、今更抵抗しないで」

 「てめえは適合者じゃねぇからわかんねぇんだよ!!」

 はっはっは、と笑うコムイに腹が立つ。畜生、なんで俺がこんな目に遭わなきゃ……。

 「じゃ、宜しくね。へブラスカ」

 コムイの声が聞こえてきたと思えば、突然後ろの何かから体を掴まれて宙に浮く俺の体。頭に疑問符を浮かべるまでもない。俺の腹あたりに巻きつくようにしている太い触手を見ればわかる。

 「……マジでやんの?」

 敢えて確かめると、後ろに居る異様に巨大な……なんて形容すべきだろうか。蛇と植物を足したような―――およそ人とは言えない異形の姿。敢えてサイズを言うなら、大体十五メートルから十六メートルほど。見た目はアクマに近い。……そう言うと彼女に少し失礼かもしれないが。しかし顔にあたる部分には人間の女の顔。とはいえ上半分が隠れてしまっているので、どんな顔立ちをしているのかは想像するしかない。こんな姿じゃなけりゃあそれなりに美人のような気もする。

 「久しぶりだな……ブレイズ……」

 「……ども、ご無沙汰してます……」

 語尾が聞こえないほど声が小さくなってしまう。出来る事なら今すぐ帰りたい、と言いたいところだが―――へブラスカに掴まってしまっている以上、もう逃れる術は無い。
 やがて、体の中に何かが入ってくる―――体内で何かが這っている感覚に悪寒を覚える。
 ……うん? へブラスカよ何故だ。なんで俺の腰あたりに触手が……。

 「……イノセンスは何処へ……?」

 「あ、ゴメン。ボクが持ってるよ」

 ……どうやらへブラスカは俺のイノセンスを探していたらしい。今日の俺は腰にホルスターをつけてないので、自然とイノセンスも何処かへ―――というわけではなく、しっかりコムイの野郎が持ってきていた。

 「大丈夫か……?」

 俺の顔色が相当悪いのか、へブラスカはそう声をかけてくれた。うん、大丈夫じゃねぇよ。大丈夫なわけあるか。
 へブラスカの額が俺の額に重なり、その場所から何故か発光。こういうのを人工的な超常現象と言うのだろうか……それとも人体自然発光現象と言うんだろうか……。眩しかったので目を閉じた。見ない見ない。

 「0……2%……8……11……16……」

 ペースがとんでもなく遅いような気がする。

 「18%……25……27……28……」

 以前やってもらった時はもうちょい大きな数字をカウントしてもらってたハズなんだが。なんで今日はこんなに遅いんだ? へブラスカにも不調の時があるんだろうか。

 「29……32……36%!」

 やがて体の中を這いまわる何かの感覚が消え、俺は|昇降機《エレベーター》に降ろされた。やっと終わった、と胸を撫で下ろし、近くの手すりに体を預ける。

 「シンクロ率の最大値は36%……以前より更に低くなっているぞ……」

 「……前って50超えてたっけ? ヤベェな、どんどんシンクロ率下がってんじゃねぇか?」

 正に右肩下がりのシンクロ率。

 「シンクロ率が低いという事は、その分『咎落ち』し易くなるって事だよ。わかってるのかい?」

 コムイの忠告にも似た言葉に、俺は思わず笑ってしまう。

 「上等だっての。教団に一矢報いて死ねるんだったら……歓迎するぜ?」

 「……ブレイズ君」

 「冗談だ。ったく、こんな下らねえ理由で死にたかねぇっつーんだよ。ああクソ、面倒クセェ……」

 頭を掻いて、いつもの調子に戻る。

 「にしても36か……いつ0になっちまうんだか」

 本当にシンクロ率が0になっちまうか、ってのは謎だが……もしもそうなっちまった時は、ブレイズ・スカーレットという人間はこの世から消える。シンクロ率が0になったら―――死んじまう。
 なんで俺がこんな深刻な事考えなきゃなんないんだ。どれもこれも、皆神サマとやらの所為じゃねぇのか? ったく、なんでイノセンスなんて作ったんだよ。イノセンスが無けりゃアクマも生まれなかったんじゃねえのかって思っちまう俺はおかしいんだろうか。

 「ブレイズ……」

 へブラスカに呼ばれ、俺は彼女を見上げた。

 「シンクロ率が低いほど……適合者は危険にさらされてしまう……」

 「わーってるって」

 「軽く……考えるな……。もしもシンクロ率が0になってしまったら……」

 「確実に死ぬだろうな。シンクロ率が0って事は不適合者だって事だ。適合者じゃない奴にイノセンスを扱う権利なんかねぇ」

 不適合者。適合者を『イノセンスに選ばれた者』と言い換えるならば、不適合者は『イノセンスに選ばれなかった者』。悪く言えばハズレ者。例をあげると、此処にいる俺やへブラスカはイノセンスの適合者であり、エクソシストだ。だが一方、コムイは違う。ただの、普通の人間だ。

 「……つーか腹減った…………」

 面倒クセェ事を考えていると、シーンとしたこの場所で、一匹の腹の虫が鳴いた。

第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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