これだから女って生き物は
「だからー、来いっつってんの! どっかの馬鹿な
探索部隊の奴らが来てよーが来てなかろうが、あんたには素質がある。だから来てもらうしかねぇの!!」
「私は行かない!
探索部隊だかなんだか知らないけど、私が黒の教団に行く理由にはならない! なんなら私の家の家具全部ひっくり返してイノセンスとかいうの探してみたら? 絶対何処にもないから!!」
テーブルに向かい合っている二人は、自分の台詞を言い終わるとテーブルを思い切り叩く―――ブレイズは、クラヴィスの言葉に反応した。
「へぇ?」
ニヤリとブレイズが笑みを刻む。何処か意地の悪そうなその口元に、クラヴィスはつい近所の悪ガキを連想した。悪戯をする時のガキの表情と殆ど同じ顔を、ブレイズはしていたのである。
―――ヤッバイ、どうしようどうしよう。
クラヴィスはひたすら思考を働かせる。家具を片っ端からひっくり返されたら堪ったもんじゃない。下手したらいくつかの家具が犠牲になってしまう。そんな事になったら家計は大赤字だ。ただでさえ金など無いというのに家具を買い直すだけの金がある筈もない。
「ね、ねぇ」
声が上擦り、極力機嫌を損ねないようにする―――
「どうした? 突然猫なで声出しやがって……気味が悪い」
―――成程逆効果。露骨に嫌悪を見せてきた彼に、クラヴィスの額の筋がビシッと音を立てた。思わず怒鳴りかけて、にっこりと優しげな、けれど目が全く笑っていない笑みを張り付ける。
「そのイノセンスっていうのは、どういう形を?」
彼女の問いに、ブレイズは少し天井を見つめた。
「真黒い立方体っていったらいいか―――ま、加工されちまってる場合が殆どで、ぶっちゃけどんな形になってんのかなんざわかんねぇんだよ」
「真黒い立方体……それってもしかして小さいサイコロサイズ?」
「サイコロ? どうだろうな」
そう答え、彼はニヤリとまた人の悪い笑みを張り付ける。自然とクラヴィスの表情は引き攣り、彼から離れようとつい椅子を後ろに動かした。
「サイズなんかわかったもんじゃねぇが……お前、やっぱりイノセンス持ってんじゃねえかぁ?」
「何の話? そんなの持ってないわ」
「持ってなけりゃイノセンスのサイズなんか訊きやしねぇだろうよ。大方、加工も何もされてねぇイノセンスがなんかの容器に入ってる状態のモンを持ってんだろ?」
う、とクラヴィスは言葉につまる。イノセンスというモノが真黒なサイコロのようなものであるとすれば、心当たりがある。無いと言えば嘘になってしまうくらいには。
だからといって、それをあっさりと言ってしまえば、きっとこの男は黒の教団へ強制連行するのだろう。彼とは違うが、白い服の連中―――所謂
探索部隊という奴だろうが―――は、クラヴィスを強引に連行しようとした。家族も居ず、この家に一人で暮らしている女を攫う事に、どうやら彼らは抵抗を覚えなかったらしい。クラヴィスは抵抗し、やがて
探索部隊と思われる白服の連中は帰って行き、安心した束の間、ブレイズが此処に訪れた。
彼らの目的はきっとイノセンス。そして、恐らく適合者であるクラヴィスも、エクソシストになれるかもしれないという事で目的の一つになっているだろう。
「……っと、そういや此処ってどっかに宿あるか?」
その問いにクラヴィスは街の様子を思い浮かべる。この近所には八百屋や便利屋のような店はあるが、宿はどうだったか。
「無いわよ」
「は?」
ブレイズは頓狂な声をあげる。
探索部隊の連中が数日滞在したと言う話を聞いたため、宿があって当然だと言う考えが頭にあった。そもそも、宿が無いと言うなら彼らは何処に泊まっていたというのだろうか? まさか野宿じゃないだろうな―――いや、大方そうなのだろうが。
仮に野宿をする事になったとして、何故かこの街の周囲にはうじゃうじゃとAKUMAが居た。ブレイズも少なからず追いかけられたし撃退したが―――それでもまだ、AKUMA達はうろついているのだろう。この街に襲撃でもしてこられたら、ブレイズには打つ手がない。
「……嘘だろ…………」
「……いや、私が此処で嘘を吐いてもきっと意味ないわよね?」
「まあ、どうせお前は連れてくからな」
「なッ……」
「何驚いたような面してんだ―――俺の目的は『イノセンス、及びその適合者の連行』だぜ」
ブレイズはあっさり言いきってしまう。彼はきっと諦めてくれない。会って―――否、遭ってまだ一日と経過していないが、何故かそんな気がした。
背筋に悪寒が走る。
「嫌よ―――私はこの家から絶対に離れない……此処に居れば大丈夫だもの、出る理由の方がないわ……」
「安全な場所なんかねぇんだよ。家だろうが地下だろうが教団だろうが教会だろうが空中だろうかこの世だろうが大臣の家だろうが水の中だろうが―――この世界に生きている限り、安全な場所はねぇ。山奥に居たってやがて死ぬ。それこそ、運が悪ければAKUMAに殺される」
「……そのアクマとかいうのが何なのかは知らないけれど、」
クラヴィスは深呼吸をして、紅茶を口に含む。その表情は何処か強張っていて、手は自然と胸で組まれていた。
「この家は街が燃えても燃えなかった―――私を守ってくれた。だからきっと……」
「無理だ」
「っ」
溜息を吐いたブレイズは、クラヴィスの気まずそうな顔を見ながら淡々と口を開く。
「俺が生まれたのは街じゃねえ」
「……?」
唐突に彼は自分の話を始めた。先程まではクラヴィスの話だった―――だから今度は自分の番だとでも言うように、目を鋭く細め、殺意を滲ませてクラヴィスを睨んでいた。
「川辺とでもいうのか―――まあ、よくわかりゃしねぇが、山の中の、細っこい川の近くにある家で暮らしてた。周りに街はねぇ、徒歩で大体半日ほど……人気もねぇ、クッソつまんねぇトコだったよ」
つまるところ彼の故郷というのは山の中ということだろうか。彼の説明は少しまどろっこしいなとなんとなく感じていたクラヴィスだったが、やはりブレイズの説明はややこしい。もう少し簡潔に纏めて喋れないのだろうか。
「つまりはド田舎」
「山の中って言ってなかった!?」
「山の中のド田舎」
「何故言い直す!」
言い直したところで結局意味も場所も大して変わらないのだが、ブレイズにとっては彼の尊厳とかに関わる大事なことだったのかもしれない。あくまで『かも』だけれど。
「でまあ、そんなトコだったんだけどよ―――AKUMAに襲われちまってな、家族は離散どころか俺以外全員死んだ」
「人が居ない所に突然AKUMAが来たって事?」
「つーか、偶々AKUMA共のルートと俺の家が被ってたらしくてな、それで見事に襲われた。ハハハ、いやぁ、一瞬だったな〜」
しみじみと語ってくれるところ悪いのだが、家族が死んだと言う悲惨な話じゃないのだろうか。大昔の思い出を語る老人が彼の背後にいるような気がしてならない。
ともかく、とブレイズはまだ続ける。
「何処にいよーが結局襲われちまうのは間違いねぇ。此処にイノセンスがあるとすれば尚更だ」
「だから黒の教団に行けと? 行く理由のほうが無いというものよ。此処は普通の街。自警団もある」
特に治安も悪くない。犯罪はどちらかと言うと少ない―――静かな街。この街を初めて訪れた旅人などは、此処を廃墟と勘違いするほど。
けれど人間は居るし、生活もしている。静かなだけで、此処は普通の街なのだ。
「ただの人間がAKUMAに勝てるとでも? ハハハ、なんだ、此処には勇者の剣でも存在するってか」
「馬鹿にしないでくれる?」
「馬鹿にしたくもなるぜ。仮にこの街に、いつか魔王を斬り殺した勇者の剣っていう伝説の剣があったとして―――AKUMAに瞬殺されんのがオチだろ。使い手の実力が伴わなきゃタダの宝の持ち腐れ、ってな」
勇者の剣が本当にあるとはクラヴィスは思っていない。そんな伝説の代物が此処にあるならもっと有名になっている筈だ―――それ以前に、その剣を持って勇者が魔王討伐にでも出かけている筈だ。この場合、魔王とはAKUMAの事になるだろうが。そして剣とはイノセンスであり、大方勇者はエクソシストの事だろう。
「私は! 絶対に行かない―――家に泊まるんなら勝手にすればいいわ。其処のソファーだったら使っていいから」
「……いいのか?」
「止まる分にはご勝手に。どうせ此処の住人は私だけだから―――決定権は私にあるの」
「悪い。助かった」
「でも教団とやらには行かないわ、勘違いしないでね」
吐き捨てると、ブレイズが口の端をあげた。
「誰が二十代半ばのおばはんに勘違いするって」
「誰がおばさんですって!? まだ二十二よこのクソガキ!!」
本性でたぁ、とガキのように楽しそうに笑うブレイズを見たクラヴィスは、心底疲れたように溜息を吐いた。
どうやら―――今日は随分と一日が長い。
×××
日は完全に落ち、月光が夜空を彩っている。何故か今日は星が見えない。そういえば、今日の昼ごろには雲が随分と分厚かったな―――これから雨でも降るのかしら。
机に置いてある砂時計もどき(中身は砂ではなく黒い立方体)をベットに寝そべりながら眺めていると、なんとなく思い出したのがブレイズとか言うエクソシストの言葉。
―――安全な場所なんかない、ね。そうは言っても、この家は私にとっては一番安全なんだ。此処なら、きっと私は生きていける、だから私はずっとこの街で、この家に留まっている。
例え家族が変死していった家だったとしても、私はきっといつまでもこの家に居るのだろう。
「大丈夫……大丈夫」
カシャ、と窓を叩く音がした。なんだろうかとカーテンを開ける。其処には―――
「ひっ……!?」
―――見たこともないような化物が居た。
「キャアアアアアアアアア!!!?」
二階から聞こえてきた絶叫に目を覚ます。緊急時の覚醒は早い方なので、状況理解―――するその前に、二階にクラヴィスがいる事を思い出す。想定していたうちの最悪の事態が起きていると言うならば―――本気でヤバい。
二階まで一気に駆け上がり、腿のホルスターから銃を抜き両手に持つ。あいつが出てくるのを待っていては遅い。故に扉を蹴破り、部屋に入ると同時に銃を部屋に向ける。
「ひ、ぃあ……うぅ」
クラヴィス・フェーリークスは生きていた。生きてはいるが、こいつは盾にされていた。クラヴィスの後ろにはレベル2とみられるAKUMAが一体―――ではなく、数体。視認出来ている数は最低三匹。
「マジ最悪だぜ、なぁ?」
クラヴィスは恐らく返事などできねぇだろう。歯の根が噛みあっていない、みっともないが、ガチガチと音を立てている。
「どウスる、エクソシストォ! てメーが動いたら、この女殺スゼェ!」
クラヴィスの影にいるちっさめのAKUMAが吠える。煩い。そして耳障りだ。
「……ハァ」
仕方ないので銃を降ろす。だらんと腕をさげ、部屋の状態を確認する。荒らされている、ということは。
「やっぱてめーイノセンス持ってんじゃねえか!!」
「……」
クラヴィスは当然のように視線を逸らすが、俺としては大問題だ―――こいつにとってはかなりちっぽけな問題かもしれないが、俺的に超大問題。なんせエクソシストが一人でも増えてくんねえと俺ら数少ないエクソシストが戦場に駆り出される回数が増えちまうんだ。イノセンスが一つなくなくなりゃつまり適合者―――すなわちエクソシストも一人いなくなっちまう。
「三体、か」
思考を巡らせ、部屋の状態は先程確認。AKUMAの数は四体。どうやら一体は俺の後ろにいる。しかもレベル1ときた―――あんな大砲で撃ち抜かれたらひとたまりもない。舌打ちしないように細心の注意を払いながら、静かにイノセンスを発動させる。俺の銃はイノセンスであり―――発動すると、黒から銀へと色を変える。
クラヴィスは俺を見ている―――なら、あれがいける。
「! ……」
クラヴィスは頷き、目をつぶって体勢を低くした。
「動くナ女!!」
「黙れクソ虫」
左手に持った銃を後ろのレベル1へ発砲、右に持った銃はクラヴィスの真後ろにいたレベル2へ。残るごみは二匹。両方ともクラヴィスの近くにいる。問答無用だ、ちゃっちゃと死ね。
直撃―――そして爆発。部屋にいるアクマの掃除は、ひとまず終わり。
「オイ、馬鹿女」
「っ、何よ……」
今にも泣きそうなほど顔はぐっしゃぐっしゃである。見るに堪えん。
「どっかに隠れてろ、見つからないで済みそうな場所に」
「わかってるわよ! そんな、事……」
泣きながら部屋を出て行くクラヴィス。……どっかの恋愛小説でこんな奇妙なシーンと出くわした事があるような。あくまで恋愛小説は俺の趣味ではない。どこぞのシスコンの兄がいる妹ちゃんの趣味であり、こんな感想を目をきらっきらさせながら述べてきたのだ。聞きたくて聞いたわけではない―――さて、そろそろ下らない話は終わろう。
先程クラヴィスの部屋に侵入してきたアクマはどうやら窓を壊して入って来たらしく、窓ガラスは割れ、床に散乱している。割れた窓は最早窓として機能しておらず、外からの虫や埃が入り放題。
「……時間は日が出るまで」
設定する。
「一匹たりとも生きて帰さねえ」
―――目の前のアクマ掃除は、まだ終わりそうにない。