信じ難くとも幻覚ではない
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 「うあ゛あぁぁぁああああああ……」

 目の前に大量の残骸を積んだブレイズは、近くの木にもたれかかって唸った。これで全ての異形の始末は済んだようだが―――先程不意打ちされただけに、安心できない。だからといってずっとピリピリしているのも性に合わないので、一旦警戒を解く。銃を腿にホルスターに仕舞って、ぺたんと地面に座り込んだ。

 「面倒クセェ……つーか眠い……」

 此処で寝ると、気付いたら永眠してました―――なんて事もありえそうで寒気がする。現実味を妙に帯びているので、余計だ。
 懐を少し漁って地図を引っ張り出し、適当に広げる。

 「……ヤベェ、もうちょい北に行かねぇと」

 目的地の南側に走ってきていたようで、今度は北に行かなければならないらしい。ルートを途中から逆走していた可能性が高い。というかそれ以外に理由が思い浮かばない。仕方なしに立ち上がって、周囲を見回しながら北へと歩む。方角はよくわからないので、ブレイズの勘だ。
 恐らく北だろう方向へひたすら歩くが、何も見えてこない。ひたすら森森森。森しかない。生物の気配もまるでない。

 ―――道間違っちまったか? ンなことあってたまるかよ。

 舌打ちしつつ、森を突き進む。先程までの異形達の気配もないので、特に警戒もしていない。眉間に深く皺を寄せながら、ずんずん進んでいく。

 「クス……」

 「!」

 何処からともなく、人の気配が無いというのに笑い声が聞こえてきた。幼い少女の声だと思われるその声の主を探してみても、そんな存在は見えない。

 「ねぇ」

 「なっ……?」

 声をかけられて、漸く声の主が何処にいるのか特定する。―――木の上だった。
 髪が短いので一瞬男かとも思ったが、その格好は女のそれだった。褐色の肌と黄金色の瞳が随分と目に付く少女である。年としては、十代前半、といったところだろうか。

 「君が『ブレイズ』ぅ?」

 「……誰だ、お嬢さん」

 「初めましてぇ〜」

 木の上からブレイズの前へと着地する少女。
 フリルのついたブラウスに、ミニスカート、ボーダーの柄が入ったハイソックスを履いているその少女は、ブレイズの事をじっと見つめていた。

 「イノセンス……探してるんでしょぉ?」

 問いに答えるつもりはないらしい。

 「……」

 何故かこの少女はブレイズの仕事内容を知っていた。彼の仕事は、『イノセンス』の発見、及び回収―――なのだが、それを知っているのはブレイズと同業の人間達くらいだ。部外者が知っている筈はない。―――例外を除いて。

 「この先にそんなモンないよ?」

 「どうだろうな」

 「フフ♪ これ、なんでしょうかぁ〜」

 と、少女がすっと手を差し出してくる。その掌のなかにあったのは、淡い翡翠色の光を放つ物体。

 「……!」

 正方形の結晶を囲むように交差する金色の歯車―――これこそがイノセンスであり、少女が持っている物体である。
 ねぇ、と少女が再びブレイズに話しかける。少し思考が混乱してきたブレイズを現実に還したその声に、少なからず寒気を覚えた。触れてはいけないものに触れてしまった感覚によく似ていて―――これが恐怖から来る感覚である事を、ブレイズは瞬間的に理解する。数歩後退しようとして、彼のプライドに近い何かが、足を押しとどめた。

 「アハハッ、何ぃ? 僕が怖いのぉ?」

 「うっざいガキ……」

 なんとか口元に笑みを刻む。強がりでしかないその笑みは、今にでも警戒に変わりそうだった―――もう既に、体は少女の事を警戒してしまっているが。
 少女は心底楽しそうに腹を抱えて笑っていた―――嗤っていた。

 「それ、あの子も言ってたなぁ」

 「あ?」

 わけのわからない事をこの少女は言いだす。笑いすぎて涙でも出たのか、目を服の袖でごしごしと擦っていた。因みに、尚もクスクスと笑っている。馬鹿にされている気がしてならなくて、先程こんな少女に恐怖を覚えた自分を情けなく思う。いや、馬鹿にされている気がする、ではない。馬鹿にされているのだ。

 「こんの……」

 「え〜? ボクの事撃つのぉ?」

 「うげ……」

 突然可愛らしく上目づかいになってきた少女。何を考えているのかわからないので、どう対応すればいいのかもわからない。気付けば、イノセンスは何処かへと消えていた。

 「止まるんだぁ?」

 「止まるに決まってんだろ」

 何やらその辺にいるような普通の少女に見えてきたので、そんな言葉が口から出てくる。今ならこの少女の事を罵倒できそうだが、そんな趣味は無い。行く場の無くなった感情を抑えようと、口の中に飴を放り込んだ。
 得体のしれない何かを目の前にしているというのに、何処か心には余裕があった。少なくとも、殺されることはなさそうだ、というだけに過ぎないが、それでも先程までの得体のしれない感は少し消えていた。

 「……」

 「……なんだよ」

 もごもごと飴を食べていると、少女がじいっと此方を凝視してくる。なんなんだろうかと少し思考を巡らせた。ブレイズの手には飴玉が一つ。

 「……」

 もしかして―――と、ブレイズは飴を持った手を右にずらしてみる。と、少女の視線も動く。左に動かせば左に。上に動かせば上に。

 「食う?」

 「いいの?」

 どうやら凝視されていたのは飴欲しさだったらしい。飴を渡してみると、包み紙を飴手すぐに口に放り込んだ。

 「……葡萄だ」

 「桃とかメロンとかあるぞ。あとパイナップルとか」

 「! ねえ、それちょうだい!」

 と、口をもごもごさせ、目をキラキラと輝かせた少女に問われて、誰が断れるだろう。

 「やるよ。食いきれねえし」

 苦笑しながら、ブレイズはベルトにつけられた袋を少女に渡す。袋の中身は飴玉だ。先程ブレイズが言ったように、味は葡萄や桃、メロン―――変わり種としてはトマトがある。

 「ありがとぉ〜♪」

 なんてキャッキャと笑う彼女を見ていると、本当に普通の子供に見えてくる。だが、違う。イノセンスを何故か所有していたことに加え、先程感じた『異様さ』は普通の子供が持っているものではない。警戒は、まだ解いていない。

 「お礼に教えてあげる」

 「?」

 「この先はアクマしかいないよぉ」

 「―――!!」

 アクマ、それはブレイズが倒してきた異形の事だ。猫の頭に蟷螂の体といった奇妙な物や、ボールに大砲をくっつけたような物など、見た目だけなら様々だ。

 「オイ、ガキ―――」

 「飴、ありがとねぇ」

 少女は飴を食べながら礼を言う。そしてくるりと背を向けると、目の前に現れた扉を開けて、その中へと消えて行った。

 「……」

 ぽかんとしながら、少女が消えて行った場所を見つめる。突然現れた扉も消え、少女の姿も消え、イノセンスは持って行かれてしまった。―――何が起きたのか理解できない。
 よく考えてみれば、何もないところに突然扉が現れるわけがなく、仮に此処に扉が現れたとして、室内に行けるわけでもない。此処には家なんてないのだから。けれど、現に少女は扉の向こうに足を踏み入れ、此処から姿を消した。彼女が入って行った扉の向こうは真っ黒だった。
 もう居なくなってしまったものは仕方ない―――何処に行ったのかもわからないのだから、追いようがない。気を取り直して、目的地の方角へ目を向ける。少女が言っていたことが事実なら、この先にいるのはアクマだけ。探し求めていたイノセンスは持って行かれてしまったので、アクマ退治ばかりをする事になるだろう。

 「どうすっかなぁ……」

 少女の言葉を信じてちゃっちゃと帰るという手もある。一方、信用しないで目的地まで行ってみると言う手もある。確実なのは後者だろう。あの少女がイノセンスやアクマの事を知っていた事は引っ掛かるが、今はそんな事を気にしている場合ではない。

 「行かなきゃなんねーか」

 シンと静まりかえった森の中で、ブレイズの声が妙に響いた。

 ×××

 ―――結局のところ、少女の言葉は真実だった。
 目的地に付いてみれば其処に居たのはボールに大砲を付けたアクマ。一体だけならまだいいにせよ、それだけでは済まなかった。二十体を優に超えている、大群だった。

 「嘘っ……」

 冗談だと信じたいが、目の前にいる大群は現実のものであり、ブレイズが見ている幻覚ではない。不眠による疲れでもない。無論、気のせいでも何でもない。頬を抓って確認したのだから、間違いない。

 「クッソ……なんだったんだよあのガキは!」

 さっきの少女の楽しそうな顔を思い出し、苛立ったところで八つ当たりをするように銃を連射する。一体を壊せば、その後ろのアクマが顔を出す―――その繰り返し。一体壊すごとにいちいち爆発するので、もうその爆風も熱も無視してひたすら標的めがけて銃を撃つ。翡翠色の光が何度も明滅し、その度に爆発が生じる。
 アクマの掃除が終わったころになると、ブレイズの息は荒くなっていた。苛立ちと不眠による疲れがどっと襲ってくる。相手がいくら弱いアクマであったからといって、それを倒すのにも体力が要るのだ。

 「……」

 息が整わないので、そのまま目的地を徘徊する。めぼしい物も無く、イノセンスもない。人間と言う人間も、何処にも居やしなかった。

 ―――怪奇現象もねぇし……イノセンスはねぇな。

 怪奇現象があるところにイノセンスがある、と言われるくらいで―――此処で怪奇現象が起きていないと言う事は、つまりイノセンスも此処にはないということになる。此処で発生している怪奇現象と言うのは、渡された資料曰く『時刻による異常な寒暖差』だったが、此処は暑くもなければ寒くもなく、どちらかといえば過ごしやすい空気だ。
 少し歩いて見ると、墓地らしい所に辿り着いた。何故街のなかに墓地があるのかはわからないが、教会が近くにあるところを見ると、教会が設置した墓地だろう。無数に並ぶ墓の数々を見ながら、墓地のなかをのんびりと歩く。
 この墓地に誰か生きている人間が訪れる事はもうないのだろう。この街に生きている人間は誰もいなかった。アクマに殺されてしまったか、アクマにされてしまったか―――或いは、全員街から逃げ出したか。

 ―――辛気クセェ……。

 乱暴に頭を掻いて、墓地を見回す。
 手を合わせる人間も最早居ない此処は、やがて草木が生い茂って森と同化するのだろう。此処に葬られた人間達の存在も、やがて忘れ去られてしまうのだろう。そして、この街の存在さえも忘れられてしまうのだろう。

 「……」

 空を見上げ、青白く光りを放っている三日月を睨みつける。今日は随分と大きな三日月だ。三日月はもう少しスリムで小さい方が綺麗なのだが、大きくても悪くは無い。
 それにしても、今日はいくら目を凝らしても星が見えない。雲があるわけでもないのに、不思議な物だ。

 「しゃーねー……今日は帰るか」

 飴もないし、此処に留まっていても腹をすかせるのがオチだろう。墓地を一瞥するでもなく踵を返すと、ブレイズは元来た道を欠伸をしながら戻って行った。

 ×××

 「収穫なし。OK?」

 司令室という、随分と紙が床に散乱した部屋で、ブレイズはソファーに腰掛け、紙を一枚差し出す。紙を受け取ったのはコムイで、例の如く湯気のたつコーヒーを啜っている。

 「街はどんなところだった?」

 「どんなとこも何も……アクマの巣窟だったな。だがまあ、外見だけなら普通の街だったぜ」

 「……怪奇現象の原因は?」

 「不明。イノセンスも何もありゃしなかった」

 「そっか。それは残念だ。―――お疲れ様、ブレイズ君」

 ところで、とコムイが続ける。

 「ボクのリナリーに興味ない発言は撤回してもらえるかい?」

 「しない」

 「リナリーが可愛くないっていうのかい!?」

 お疲れ様といったわりに、この上司はブレイズを逃がすつもりはないらしい。彼の肩を掴んで、前後にグラグラと揺らす。頭だけ馬車にでも乗ったような気分になる。

 「可愛いかもしんねぇけどよー」

 「でしょ!?」

 「別にどうでもいいな」

 リナリーが少し怒ったようにブレイズを見ていた事に、当の本人は気付かない。

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