『涼華』
「……涼華、か?」
「……すいません、失礼します」
彼女が訪ねたのは淡島のもとだった。
不審そうな声が聞こえ、戸の向こうからはカチャリと不吉な音がする。
警戒されている事は言うまでもなく自覚しており、斬られたとしても文句を言える立場ではない。
「大丈夫だったか?」
「?」
戸を開けると、布団から体を起こした淡島はいつも見せているような元気な笑顔を向けてきた。
おかしいと、思うと同時に。
涼華は自分が彼にどんな攻撃をしてしまったのかを悟る。
頭にも腕にも包帯を巻いている状態の今の彼―――もとい彼女は、人間で言うなら重症だ。人間で言わなくても恐らく重症だ。
誰の所為か? ―――そんなの、訊かれなくてもわかる。
「ごめんなさい、っ。本当に、すいませんでした……!」
「……おい、涼華」
「……はい」
返事は返すが、彼女は頭を上げない。
これで殴られるんでも蹴られるんでも殺されるんでも、涼華は文句を言うつもりはない。
寧ろ、それだけで済むならちゃっちゃと殺してくれればありがたい。
―――そう考えていると。
「頭上げて、こっち向け」
「え」
「おらおら、早くやんねーと団子抜きにするぞ」
「ひっ」
自分の命より団子を優先する自分が怖い。
思わず頭を上げてしまった涼華は、それと同時に突然両頬をつねられた。
ぐにぐにと引っ張られたり戻されたりを繰り返すので、結構痛い。
「お前はさー、なんつーの?」
「……?」
淡島は涼華の頬をぐにぐにと抓りながら、続ける。
「ほら、あれだよ……オレはよ、一応お前の教育係的な事やらされてるけど」
「……はぁ」
殆どサボっている自覚がある。
「やらされてるって事は、つまりよく見てんだよ」
何が言いたいのか良くわからない、と涼華が頭を捻っていると、淡島は笑って彼女の頭をぽんぽんと叩く。
「お前がおかしかった事くらいわかるし、やりたくてやったわけじゃねぇ事くらいわかるっての。なぁ?」
「……そんなの」
わからないじゃないですか、と涼華が言い返すと、淡島は眉間に皺を寄せて、彼女の頭をひっぱたいた。
「!?」
「こんな時ばっかくどいんだよお前! 団子喰ってりゃ幸せそうにしてるクセになんなんだよー!?」
「うっ!?」
否定できないのがかなりもどかしいが、淡島が言っている事は真実である。
涼華は団子と必要最低限の水さえあれば、きっと地球の滅亡だって乗り越えられる。
「謝りに来たんだ、許す!」
気にするなと言いたいという事は、涼華でもわかる。
いつもこうだ。
彼は―――或いは彼女は―――軽いふざけごっこでも付き合ってくれるし、冗談だっていき過ぎなければある程度は通じる。
涼華が修行をサボって川でだらだらしている時だって、始めは怒るが、最後は笑って許してくれていた。
―――甘えるな。
そう自分に言い聞かせる。
淡島がいくら優しかろうが、いつまでもそれに甘えているわけにはいかない。
自立できない、そんな奴にはなりたくない。
それに、責任を取らないでどうするのだ、と。
「まさかお前、此処……出て行くとか言わねーよな」
「……よくおわかりで」
流石教育係、と言ったところか―――どうやら、思考も読み取れるらしい。
「それはオレが許さねえ。逃げるな、目を背けるな」
似たような台詞を子供の時に何度か言われた。
逃げてんじゃねえ、現実をみやがれ、と。
なんだか、その時の光景と今の展開が被って見えてしまうのは、不謹慎だろうか。
「……」
「自分が何をしちまったのかを自覚しろ。それをどう扱うかを知れ!!」
あの黒い炎だってそうだ、と淡島は言う。
「あれはお前のモンなんだろ? それを、お前が使いこなせねーでどうする?」
ごもっとも、と言うように涼華は淡島から少し目を逸らす。
ああ、また逃げた―――自分の意思の弱さにほとほと呆れる。
「ちゃんと使えるようにならねぇと、また暴走するんだぜ?」
「それは……嫌、ですね」
「だろ? だったらせめて、まともに制御できるようになれ」
「これの、事でしょう?」
涼華は軽く掌を上に向けて、自虐的な笑みを見せる。
すると彼女の掌の上に、少しずつ黒い炎が生まれる。
淡島を襲い、涼華が暴走した時に力として使った、あの黒い炎だ。
「!」
また暴走するんじゃないかと思ったらしい淡島が咄嗟に刀に手をかける。
彼女が見たのは、涼華の瞳の色の変化。
水色から、ほんの少し黒味がかかった青へ。
涼華が暴走した時は、瞳が完全な黒だった―――それに限りなく近い、青。
「お前……っ」
淡島に斬られる、とほんの一瞬だけ頭の中で三途の川を見た涼華だったが、生憎疾うに三途の川を渡った身分である。
今更気にしてどうなるというのだろう。
「大丈夫ですよ、消えますから」
すいませんと軽く謝り、涼華は手を握る。
するとたちまちにしてその炎は小さくしぼんでいき、それに比例するように彼女の瞳も水色へと色を戻し始める。
彼女の瞳が正常に戻った時、黒い炎は既に消滅していた。
「なんなんだ、そりゃ?」
妥当な問いである。
涼華がどういう妖怪であり、どんな技を使うのか―――それは本人に聞いたうえで、淡島は体感している。
涼華は風を使い、時として地面から金の刃を繰り出す。
それ以外は、彼女の妖怪の種類としては到底使えない筈だ。
だが、彼女は炎を使って見せた―――しかも通常の炎とは違い、黒い炎を。
普段目にするような赤い炎を普通の炎であるというなら彼女が見せた黒い炎は異常な炎である。
「……呪いとでも、言っておきましょうか」
涼華は悲しそうに嫌そうに、そして懐かしそうに答える。
「私が化物になり果てたキッカケですかねぇ?」
この力を手に入れた時、彼女は一週間近く外界との繋がりを完全に断たれた。
外の景色を見る事も出来ず、空気に触れることもできず、話をする事さえ出来なかった。
ただ、自分を知れと言われ、力の扱い方を覚えるまでは外に出れないと言われた。
何度も何度も、暴走を繰り返したからだ。
その度に彼女は自らの住まいを壊し、人を傷つけ、いちいち騒ぎを起こした。
それはどうやら、今も変われないようで。
「……本当にすいませんでした。斬り捨てたければどうぞそのように」
「だから許すって言ってんだろ? そんな事しねーって」
「すいません、ありがとうございます」
困ったような不自然な笑顔を見せる涼華を、淡島はまた殴る。
「謝んな。いい加減飽きた」
「あはは……」
謝られる事に飽きるとはどういう事だろう。
「で、お前、結局どうすんの? ……出ていくはナシだぜ」
「いや、出ます」
「出るな」
「出ますよ、一応……外には用があるので」
「? そうなのか?」
はい、と頷くと淡島は首を傾げる。
「ちょっと前に言ったじゃないですか―――狐の顔を拝みに、です」
と、ちょっと悪戯っぽい笑顔で軽く小首を傾げた。