「邪魔……」
「が、ああああああああああああああああっ!!」
轟っ、と突如風が吹き荒ぶ。
台風を通り越し、最早竜巻レベルの暴風が、畳や戸を吹き飛ばした。
―――許さない。
―――あの野郎は、絶対に!
今の彼女に理性と言う概念は存在していなかった。否、消えてしまっていた。
故に、周りが全く見えていない。
いくら暴風が周りを襲おうが、
深刻な被害が出てしまおうが、
今の彼女には、全てが他人事。
「涼華!」
冷麗が部屋に飛び込んでくるが、涼華の目には入らない。
―――ふざけるな。
―――殺す。
―――殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すッッ!!
「下がってろ」
冷麗を下がらせ、涼華の後頭部を勢いよく殴り付けたのは淡島だ。
風が突然強くなり、不思議がって此方に来てみればこの状態。
手を出す以外に何をするというのだ。
「……」
グルン、と涼華の首が傾いて、その光を失った目が淡島を見据える。
いつも明るく笑っている彼女の表情とは、まるで正反対なそれに―――ゾクリと悪寒が走る。
「なんだっ……!?」
「……」
涼華は何も口にせず―――そして有無を言わせず、淡島の胸元をゆらりと突然掴んだと思えば、床に投げるような調子で叩き付けた。
「カッ、ハ……」
「……ねえ、貴方なに?」
涼華は問う。
冷え切った感情の無い瞳で、淡島を見つめる。
彼女のその目は虚ろで、何処を見ているとも判別がつかない。
「涼華……なのよ、ね?」
冷麗が問うも、涼華は首を傾げるばかり。
「……そうだけど。ねえ、貴女達はなに?」
「え?」
「妖怪、だよね」
「だったら何だって―――」
「うるさいよ」
轟ッ、と涼華を中心にして渦を描くように、黒い炎と風が吹き荒ぶ。
「何此処、誰貴方達。妖怪なら、殺さなきゃ……」
その刹那、涼華を強引に地面に組み伏せ、淡島は叫ぶ。
「誰か呼んで来い、早く!!」
「っ」
驚いたような表情をした冷麗だったが、事態を重く受け取り急いで廊下の向こうへと消えていく。
「……邪ん魔」
軽く腕を振るその動作で、涼華は黒い炎で淡島を薙いだ。
壁に激突した彼は、カハッと肺のなかの空気を吐きだす。
尚も涼華を睨みつけているあたり、流石は遠野の妖といったところか。
「オイ、てめぇよぉ……」
「……何か」
「誰だ?」
「……涼華……なんつってね、涼華かもしれないしそうじゃないかもしれない。僕はなんなんだろうねえ。僕にもわからないな」
淡島は静かに目を伏せ、「そうか」と返す。
どうにも彼女が嘘を吐いているようには見えない。
寧ろ、本当の事をさらりと述べ―――何故疑われているのかを思考しているように思える。
その、黒い瞳は確かに淡島を捉え、映している。
ただし、いつもの『仲間』としてではなく、彼を一体の妖怪として見ている。
「……で? 此処は何処で、あんたらは一体なんだ?」
「此処は遠野で、十年前からお前が居る場所だ!! 忘れたとは、言わせねぇ!」
抜刀し涼華に斬りかかる淡島。
涼華は、ただつまらなさそうな瞳でそれを眺めていた。
肩からざっくりと淡島の刃が彼女の体を斬る。
彼女は反応を示さず、淡島の事を見つめていた。
傷口からは、血など一滴も流れない。
ゆらりと漂うような危なっかしい立ち方をしているのは変わらず、斬られた瞬間にほんの少し揺らぎはしたが、すぐにゆらゆらとした幽霊のような立ち方に戻る。
肩から胸にかけて刃が体を通っていたのにも関わらず、涼華は平然としていた。
否。
まるで攻撃に気づいていないかのようだった。
「っ!!」
虚ろで、驚きもしない瞳。
感情を映さない、黒々とした瞳。
光が無く、いつもの天真爛漫さが消えうせた瞳。
―――嫌だ。
―――なんでこいつがこんな面してんだよ!?
いつも面倒臭いだのとほざいている涼華の顔つきとはまるで違う。
表情も感情も全く感じられない。
例えるなら、生きる死体だ。
「……甘いかなあ」
いつの間に持っていたのか、涼華は刃を振りかざす。
一瞬の逡巡が命取りだのとイタクが良く言っていたが―――正にその通りだと淡島は初めて感じた。
普段刀という物を扱わない涼華の刃は見事に錆び切っている。
そんな刀で肉体を裂こうものなら、激痛が走るだろう。
鋸で体を切断されるようなものだ―――いいや、錆びている分彼女の刀の方がよっぽどタチが悪い。
ただで斬られる事だけはあっちゃならねぇ、と淡島はもう一度、彼女を斬ろうとする。
ギィンッ!! と耳障りな金属音。
どうやら防御だけは間に合ったようだと胸を撫で下ろしたのも束の間、
「……“不知火”」
涼華の周りに、球を形取った黒い炎が浮かび上がる。
それは不安定で、今にでも崩れてしまいそうだったが、一方で確かな存在感を放っていた。
刀なんかよりもよっぽど脅威を感じるそれは不規則に瞬く。
そして淡島へと襲いかかった。
―――ヤベェ、こんなのどうやって避けるんだよ!?
刀では炎は斬れない。
仮に斬れたとしても、真っ二つにできる程度で、消えてくれるワケじゃない。
息を呑んだ。
生きた心地が全くしない。
ヒュッ、と風を切り裂いていく音。
「……?」
涼華が不思議そうに首をかしげていた。
淡島は死んじゃいなかった。殺されてはいない。
「おい、てめぇ」
聞き慣れた声と、淡島と涼華の間に割って入ってきた青年。
頭にはバンダナ、背には鎌を負っている彼の事を、淡島は良く知っている。
鎌鼬のイタク。
涼華が言う所の「鬼畜教官」である。
「……くっそ、このくそガキが手…」
涼華がぽつりと呟く。
その目はやはり、暗く黒々としている。
「あ?」
興味がないとばかりイタクは即攻撃に移る。
別にこいつの話を聞いている時間は要らない、そう判断しただけだ。
それに、どうだってかまわない。
「……」
涼華はゆらゆらしながらイタクの攻撃を避けている。
紙一重でギリギリ避けている彼女の頬や髪が偶に鎌の刃に掠め、小さく傷を作る。
―――これくらいじゃやられてくれそうにねぇな。
―――……仕方ねぇ。
「―――うっ!?」
涼華の首にイタクの鎌が迫ったとき、彼女の表情が豹変する。
驚愕を露骨に表情に出した彼女の顔には、訳がわからないと書かれているようで。
壁に背中があたり、彼女の首には鎌が食い込む。
「な、んっ……」
どういうつもりだという抗議の色を滲ませる涼華を、イタクは睨みつける。
「どういうつもりだとは言わせねえ。てめぇが何したと思ってやがる」
「……じゃあ言葉を変えますよ。何でこんな状況になってんですか、なんなんですか。なんでこんなに部屋ぼろっぼろなんですか。何が起きてるんですか、どういう事ですか」
彼女の水色の瞳がイタクを真っ直ぐ見つめる。
―――目の色、戻ってるのか?
ほんの少しの変化に気付いたのは淡島だった。
彼女の声の調子も、喋り方も、彼女のその瞳の色の変化も。
いつも彼女を見ているからか、些細な物でも良くわかる。
「イタク!」
「なんだ」
「さっきと様子が違う。……多分、涼華はもう何もしねぇよ」
「さっき?」
その言葉に反応したのは涼華で、彼女は困惑を浮かべていた。
「どういう事です、何で部屋がこんなボロッボロに……」
「お前がやったんじゃねぇのか」
イタクの言葉に、涼華は余計に訳が分からなくなったようで。
「……そんな事をする理由がない」
「無かったとしても、さっきまで暴れてたのはお前だ」
「……」
涼華はもう言葉を返さなかった。
きっと、イタクが言っている事は事実なのだろう。
そうでなければ、こんな風に首に鎌を突き付けられる理由にならない。
理由があるから、こんな状況に陥っているのだ。
部屋はボロボロになり、淡島だって怪我を負っている。
手には刃が錆び切った刀……犯人は誰か、と問われれば答えは明瞭だ。
―――ああ、またか。…………やっぱりなあ、やっぱりだめかあ。