憎しみの記憶
「ねぇ、兄様」
「んー? どした、涼」
「んーん、なんでもないっ」
懐かしいと正直に思える。
いつの記憶だろう、百何十年も前の物だったっけ。
あのときは兄様が居て、私もまだ、普通の人間で。
楽しかったんだよなあ、あの頃は。
でも。
兄様は―――
×××
パチリ、と目が覚めた。
懐かしい夢を見ていた気がする。暖かくて、楽しい記憶。
けれど、あの記憶は最悪な結末によって幕を閉じる。
なら、思い出さない方がいい。
「……あれっ」
そう言えば、私は淡島さんに修行に付き合ってもらってたんじゃなかったっけ。
だが此処は明らかに私の部屋だ。
三畳ほどの広さに、木目の天井。
ああ、そうか……私は途中で気分が悪くなって、それから。
それから、どうなったんだっけ?
そうだ、あの『黒』。
あれが出てきてからだ、私の意識がぐちゃぐちゃに掻きまわされたのは。
あのクソ野郎。
一体何処にいやがる。
今度こそぶっ殺して―――
「良かった、起きたのね、涼華」
「! 冷麗さん……」
此処に入ってきたのは冷麗さんだった。
いつも朝起こしてくれる時と同じような、ふんわりとした笑顔を向けてきてくれる。
「気分はどう?」
「あまり良くないですね、ちょっとイライラしてます」
そう言って苦笑すれば、冷麗さんはにこと笑う。
「今日は休んだ方がいいかもしれないわね……」
「え、嫌ですけど」
「いつもなら喜ぶのに」
「今日は特別なんです」
起き上がって立とうとしたら、目の前にあった壁に顔面から激突した。
ヤバっ、と思った瞬間に、ゴンと直撃する。
避ける間もなかった、というか壁の存在をすっかり忘れていた私が反応できるわけもなく、
「〜〜!」
布団に転がって悶絶していると、冷麗さんの涼やかな笑い声が聞こえてきた。
笑いごとじゃないんだ、痛いんだぞ畜生!
しかも鼻強打したし、人前での大失態だし。
「やっぱり今日は休みなさい」
「……はい」
大人しく従っておこう。……少なくとも今日だけは。
ちょっと寝て、ダラダラと無気力に過ごそうかな。
×××
「ちょ……なんかの冗談じゃないの」
覚えている。
忘れもしない、嫌な記憶。
周りは黒ばかり。
鼻につく異臭は、死体の臭いだ。
人の肉体が朽ち、腐った臭いだ。
「あ? 何かと思いや……よぉ、涼華!」
笑顔で話しかけてくる兄様。
まだ、彼の笑顔を覚えている。
いつまで経っても、私はまだ、彼にすがっているのかもしれない。
もう、あれから百何十年も経っているというのに。
情けない話だ。死人に頼っているだなんて。
「でっかくなりやがって、こっち来いよ」
違う。
これは兄様じゃない。わかりきっているだろう。
あの人は死んだ。否、殺された。
これは夢なんだろう。
どうせ、忘れかけているあの日の再現に過ぎないんだろう。
私への呪いなのか、戒めなのか。
それは分からない。
けれど、分かる事が一つ。
私を呪おうとするのは、恐らく兄様だけなのだろうと。
私さえいなければ、きっとぐだぐだ考える事もなかった。
私がいなければ、無駄に虚栄心を張る必要もなかった。
変な風に気張る必要だってなかった。
もしかしたら、やりようによっては―――彼は死なないで済んだはずだ。
嫌だ。
なんで私はもう一度あの日を見なければならない。
嫌だ。
なんで、私はこんな目に遭わされなきゃならない。
そもそも。
あいつさえいなければ、私達がこんな厄介な事をやらされることはなかったんじゃないか。
なんでだよ。なんで私達ばかりが。
こんな目に遭わなきゃならない。
「お前の番が次だからさ……待ってたんだ」
「っ」
兄様は死んだ。死んだんだ。
死人は戻ってこない。
死人に口なしだ、この人が喋れる筈は無かった。
あの時の私は一体何を考えていたのだろう。
きっと、兄様に会って頭の螺子が外れていたのだ。
そうとしか、考えられないじゃないか。
「なあ、―――」
「くそ、が」
刃を抜いた。
兄の体から黒い物が滲んでいるのが見えた。
あの空間は暗かったが、その暗さよりも黒く、禍々しい物。
あれは炎だったと思う。
闇よりも暗く黒い、炎。
彼の体から滲んでいたそれは正に炎で、闇の権化のようにも思えた。
「……、」
そうだ、忘れるな。
私は人殺しだ。
大事な人を殺した人でなしだ。
守ってくれた人を殺した馬鹿だ。
私は呪おう。
あの日から決めてた事だった。
あのクソ野郎をぶっ殺すと。
利用したとして、利用はされないと。
あいつだけは、絶対に。
許さない。