書庫
「……おお」
思わず感嘆の声をあげる涼華。
何故か全身に包帯を巻いており、文字通り真っ白になった彼女は遠野の倉、もとい書庫へ訪れていた。
彼女の体に包帯が巻き付けられている事はさておくとして、彼女は今回だらけに来たのではない。
これはれっきとした調べものであり仕事である。
彼女が言うには、に過ぎないが。
「い゛っ!」
高い所にある書物を取ろうとしたら、ぐきりと痛々しい音が彼女の腰辺りから響く。
「うぐぁぁぁ……」
およそ人語とは思えない呻き声を発し、床に突っ伏す。
目は潤み、視界がぐにゃりと歪んでいた。
視界だけを見るならば、目眩にでもあっているような感覚になる。
目尻に滲んできた涙を拭って、高い位置にある本を睨みつけた。……泣きそうになりながら。
手を伸ばして取ろうとしたら腰を痛めるという悲劇に見舞われたばかりの彼女は、数秒だけ思考して、ある事を思いつく。
「何も手で取る必要ないか」
人間だった頃の習性なのか、ついつい手を伸ばして物を取ろうとしてしまうのだが、思い返してみればそんな事をする必要はないじゃないか。
「よ、」
軽く手を本の方へ伸ばすと、彼女の指の先から透明な布のような物が揺れたように見えた。しかしそれは布ではない。勿論、糸の類でもない。
「よしっ」
手元に本が落ちてきた事により、満足そうに笑う涼華。
此処がいくら倉といえども、風が少なからず流れている。
そう、『風』。
空気が流れるところには必ず流れ、密閉された空間でなければ―――其処に動く物体が無ければに限られるが―――何処にでも存在するような極々身近なものだ。
涼華という妖は風を操る。
やろうと思えば風で大岩を持ち上げることだって出来るだろう。
いつも髪を切られたり不意打ちを食らったりするイタクの鎌だって、払いのける事が出来ないわけではない。
……言いかえれば鈍いのである。
「♪」
目当ての本を取れて大分上機嫌になった彼女は、小さく鼻歌を歌いながら床に腰を下ろす。
そして本へと視線を落とし、歌を歌うのをやめた。
一気にしんとした倉のなかで、彼女が紙をめくる音だけが響く。
―――白虎は西方を守護する聖獣なり。
白虎、朱雀、青龍、玄武からなる四獣の頂点である。
「……おお?」
なにやら凄い文章を見つけてしまった。
自分の正体調べと言うワケで書庫に来ていた私だったが、まさか突然自分の事について滔々と書かれている本に出会えるとは。
ありがたい。探す手間が結構省けたかな。
……四獣、ねえ。
そういえば、私がまだ妖怪じゃなかった頃にそういう類の文章を読んだ事があったと思う。どうにもその時期の記憶は曖昧で―――といっても理由は分かっているんだけど―――はっきり思い出す事が出来ない。
思い出そうとしても、頭に霧がかかったような妙な気分になるわで、思い出す事を断念した。
勿論、はっきりと覚えている記憶もあるけれど、それだけに過ぎない。
大事な部分が私のなかから欠落している。それを自覚して、そろそろ二年ほどか。
妖怪になって十年ほどになる私だが、そんな大事な事を八年も気付けなかったのは、成程私は鈍いのだと感じさせてくれる。
「……面倒臭そうだなぁ」
私は面倒臭がりで責任は放棄する奴で、面倒な事には極力関わりたくないと思っている奴だ。
面倒事に関わると良い事がない事は、百年以上生きていれば誰にでもわかってくることだと思う。
私は白虎である。
現在は人間の姿をしているが、妖怪の姿になったら、まあ、原形をとどめていない。
その名の通り、白虎とは白い虎だ。そのまま過ぎてある意味驚いた。
淡島さんに勘違いされて危うく退治されかかったのは良くない思い出だ。
あれは本気で死ぬかと思った。というかあの人目がマジだったね。
「青龍に朱雀に玄武たぁ、名前聞くのも嫌になるよ」
私が人間だった頃も、四獣は大分有名だった。
あの頃はナリを潜めていてそんなに名が出る事は無かったが、書物を漁れば必ず四獣という単語が出てくるほどだ。
千年前なんかとんでもないことがあってから、四獣の動きが殆どなくなった、という話も聞いたことが有る。
千年前と言えば、思い当たる節が一つあるけれど、今は伏せておこう。
「……」
四獣の役割。
それは地を、人を護る事。
―――改めて考えると、余計に面倒臭そうに感じられる。
かつては『彼ら』と対立していた四獣となると、思考がどうなっているのかを探らなきゃならない。
それに、時が来れば嫌嫌といえども私だって戦う羽目になる。
だって、四獣は人間を護るんだろう?
あの野郎が復活すれば、恐らく不要な人間も妖怪も掃討しようとするだろう。
世の中を綺麗にするとか言う大義名分の名のもとに。
そんな事されたら遠野とか京都とかあうとじゃないか。
人間も掃討される、なら私達は戦え―――人を護るために。
妖怪が人間を護る、という響きはどうにもしっくりこない。
妖怪は人間を襲う生き物……というか、存在だと教えられてきた身分である。
妖怪を見たら殺せだのと、物騒な事を言われ続けた事もある。
それはあの時代には必要な思想だったんだと思って納得している。
「憂鬱だ」
さっきからひたすら独りごとを続けている私は傍から見れば変質者だろう。否定できないのがもどかしい。
がっくりと肩を落とせば、どうにも見慣れない銀髪にはっとするが。
……例の如くその銀髪は私の物だ。
ある日突然銀髪になってしまったせいで、未だにこの髪の色に慣れない私がいる。
こうやって驚くのはもう何回目になるだろう。
因みに、鏡を見るたびに「誰コイツ」となったりするが、それは私が赤っ恥をかくだけになってしまって大損な話なので、心の奥底に沈める。一生浮かんでこないでくれ。
ああ、そういえば。
あの狐が復活するとか、もうしただとかっていう話を聞いたような気がするが―――私はどうしようか。