舞われまわれ | ナノ







「ただいま。」
「おかえり。」
返ってきた返事はひとつだけ。
向けられた笑顔もひとつだけ。


玄関の脇には、もう誰にも座られることのない車椅子がひとつ、ぽつんと置いてある。
テーブルの上のカップはたったひとつ。
思わず、ブチャラティに向ける笑顔がぎこちなくなった。

「大丈夫か?」
「うん、ちょっと…実感中。」
手を洗いに洗面所に行く。
歯ブラシは一本だけ。
廊下を振り返っても、狭いこの通路を通りにくそうにしてた背中は見えない。
床に残る車輪の小さな跡が、夕日に照らされてキラキラ光ってた。

「ブチャラティ。」
リビングに戻る。
「お父さん、いないね。」
「あぁ。」
「この家ってこんなに広かったんだね。」
一人いないだけでこんなにも寂しい。

「普段はお前もいないから広すぎるくらいだ。」
食卓に座り、肘を着いたブチャラティは少しやつれた顔で笑った。
「静かだね。」
キュルキュルキュル、車椅子の車輪が床に擦れる音はこの家の何処を捜してももうしない。
「そうだな。」

「明日、晴れるといいな。」
「そう、だな。」
彼の体が小さく揺れた。

「ブチャラティ。」
「なんだ?」
「ありがとう。」
「急に、どうした。」
先ほどの私みたいな、ぎこちない笑顔だ。

「私の分もお父さんを見送ってくれて、ありがとう。」
「…マキナ。」
「泣きたいときは泣いていいんだよね?」

以前、夜中泣いていた私に彼が言ってくれた言葉だ。
「それは、今の貴方にこそある言葉だと思うの。」
ブチャラティはもっと、自分を甘やかすべきだ。

「傍にいてあげられなくてごめんなさい。でも今ならいるから、もっと頼って。心もとないかもしれないけど。」
途中から照れくさくなってしまい、視線は床の轍をなぞった。

式も一人で手配したのだろう。
彼は一人で頑張ったんだ。
それくらいのことが分からないほど、私も子供じゃ無い。
彼は優しいけれどあくまでもギャングだから、凛と毅然と振舞っただろう。

「マキナ、…俺は…っ。」
ブチャラティは口許を覆いながら静かに泣いていた。
上品な泣き方だな、なんて私のときと比べて感動したりしながらも、堰をきったように泣くブチャラティにきっかけを与えてあげられて良かったと思う。

「俺は、父さんを…父さんは、幸せだっただろうかっ…。」