栴檀草



「ただいまー」
返事を期待せず、いつものようにドアを開けると露伴先生が待ち構えていた。
仁王立ちで。
どこか自分の母親の姿とデジャヴを感じ、思わず笑いそうになるのを必死に隠した。
しかし、この分だと今週提出分の原稿は終わっているようだ。

「今日は遅かったな。どこをほっつき歩いてたんだ」
「どこか」
「…一人でか?」
「…そうですよ」
ふざけて答えたつもりが、露伴先生はノッてこなかった。
さびしいなぁ。
ぷい、と彼から顔を背けると玄関の時計が目に入る。
なんだ、まだ10時じゃないですか。
成人女性の帰宅時間としては大変健康的な時間だと思います。

今日は土曜日で、明日は休み。
ちょっと一杯ひっかけて来ただけで、別にへべれけで帰ってきたわけじゃない。
それなのに、どうしてこんな玄関で尋問されるのだ。
私は夜遊びを叱られる子供か。

「本当に?」
「信じる気がないなら聞かないでください」

ヒールを脱いで、彼の横を通り過ぎる形でリビングへと入る。
冬のバーゲンが始まった私の職場、亀有デパートはその最初の土曜日ということもあり大盛況だった。
満身創痍のくたくたである。
明日がたまたま非番で本当に良かった。
同僚や上司の舌打ちを私の地獄耳はこれでもかという程拾ってくれた。
聞こえてますよ、決めたのは上なんですから文句ならそちらに。
なんて、といえたらどんなにいいことか。

連日の寒さに加えてそんな事があったものだから、少しお酒に逃げたくなるというのも仕方がないことじゃないだろうか。

いや、露伴先生には理解してもらえないだろう。

「…フン。別に僕はお前のその行動の実証をできるだけの証拠を求めるほど興味ないんでね」
「どっちやねん」

じゃあ聞くなよ。
この人はリアルを追及している割に人の表情から感情を察することはしないのだろうか。

「大体、お前の言葉は八割適当で中身のないものばかり。端から信頼度0だ」
「それが疲れ切った恋人に言うセリフですかー…」
会話を放棄する意味もこめて倒れこむようにソファに沈む。
重力から解放された足は、もう暫く立つ気にはなれなさそうだ。
温かいコーヒーが飲みたいのだけれど。

「しっかり座れよ。みっともない」
「…無理っす」
せめてあと10分、いやひと眠りするまでこうさせてくれないだろうか。
「…本当に僕のこと好きなのか」
「いえす、まいろーど」
「…どうだか」
それとこれとは話が全く別な気がするのだけれど、言い返せば長い議論に発展するだろう。
そういうのは好きだけれど、それはまた明日でいい。
今じゃあろくな会話ができそうにない。

しかし、探るような視線がこちらに向けられたままではゆっくり休めない。
私はその視線から逃げるようにソファのクッションに顔をうずめて抗議した。

「もう、そんなに気になるならヘブンズ・ドアーしたらどうですか?」

この際それが一番手っ取り早かろう。
浮気か何かを疑われているのなら、彼には口で言うより読んでもらった方が早いに違いない。
「…書いてなかったら、どうするんだ…」
後ろから呟くような声が聞こえた。

なんとまぁ。

「…ふへへ」

あまりの可愛い発言に変な笑いが口の端から零れた。
クッションに顔をうずめてて本当に良かった。
彼の耳には届かなかったようだ。
私は気を取り直してソファの上で体を反転させ露伴先生のほうを向いた。

「露伴先生って変なところで素直ですよね」
「うるさいなッ!」
にやける顔を隠そうともせず、私は起き上がった。
どうやら聞かれたことに気付いたらしい。
ばつの悪そうな顔で叫ばれた。

「その締りのない顔をどうにかしろッ!」
「大丈夫ですよー。露伴先生のこと大好きですから」
面と向かって言えば、彼の顔はみるみる赤くなっていく。

「露伴先生はどうなんですか。私のこと好きですかー?」
そう言って上目づかいで近づけば彼はみるみる狼狽えはじめる。
「ちょ、調子に乗るな!」
露伴先生はリビングから出て行ってしまった。
だが、いつもの調子に戻ったようなので安心する。

あの人は、本当に人づきあいがへたくそだ。

「そんなとこも好きですよー」
出て行った扉に投げかければ、すぐ向こうから焦った声が聞こえた。
てっきり二階に上がったと思っていたのだけれど。

コーヒーを淹れようと、軽く足を揉んで立ち上がる。
「…僕もだ」
すると、扉の向こうからそんな小さな声が聞こえた。
私の地獄耳はそれをはっきりと拾ってくれた。

聞こえてますよ、といえたなら。
…いや、やめておこう。

(人体発火現象なんて見たくないわ)

コシロノセンダングサ:不器用



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