ドタバタ茶番劇



ケーキが倒れた。

それは数秒前の私にとっての最大の悲劇で、それを避けるべく私は手先に全神経を集中していたのだ。

ケーキが倒れた。

しかしそれが悲劇だったのはあくまで数秒前の話である。
そう、そんなことは今はどうでもいいんだ。
その悲劇がどうでもよくなるくらいの発言を、今しがた目の前の男―東方仗助はしなかったか。

「…」
「…え」

真っ直ぐこちらを見る目が痛い。
すいません、貴方が精一杯の気持ちを伝えようというとき私は思いっきりケーキの事で頭が一杯でした。
あまりの事態に思考回路がショート寸前です。

とにかく、何かいわなければ…。
「あ、りがとう」
「いやすみません、いきなり…」
俺もまさかこんな形で言う事になるとは、と予想外に真っ赤な顔で東方仗助は笑った。

そう、私は彼をフルネームでいつも呼んでいた。
というか実際に名前を呼んだ事が過去にあっただろうか。
あくまで独白の上で彼をフルネームで毎度呼んでいた。
認識していたというべきか。

思い返せば彼はいつも私を気付けば下の名前で呼んでいた。
いつからだ?わからない。
「…………マジで?」

ようやく振り絞れた感想が、これだった。
もう何処に頭を下げたらいいのか分からない。

穴があったら立てこもって脳内会議に専念したいところだが生憎そんな現実逃避をしている暇があったら一点集中で考えねばならないことがある。

「マジっす」
「いやだって、そんな関わりなかったでしょ。えっとだって絶対、私なんかより他にいるでしょ。ちょ、…え?」
文芸部員とは名乗れないくらい壊滅的な日本語を繰り出す。
あれ、この日本語もおかしい?
メーデー、メーデー、メーデー。
救助隊はどこですか。

そんな現実逃避をしている間にも世界の時は動いてる。
時とか止められたら便利だろうなぁ。
ああ、ほらまたそうやって逃避を開始するなんて。

私が今答えるべきことは?
そうだYesかNoかだ。
つまり、何が「はい」か「いいえ」かっていうと、それはつまりだ。

「ごめん、こういうの初めてだから」
頭の中がぐるぐるしてくる。
なんだか頭は整理がつかないのに気持ちばかりが先走って目頭が熱くなる。
自己嫌悪からでしょうか。
「ちょ、せ、先輩!?」

いきなり泣き出した私を見てぎょっとしたひがしが…彼は慌てふためいている。
自力でハンカチを取り出し、何とか平静を保とうとする。

「ほんと、ごめん。なんかいろいろ。あまりのことに頭が追いつかなくて」
一言一言整理しながら言葉を振り絞る。
「えっと私、今まで…えーっと…あなたのことをそういう対象として見てなかったって言うか」

そもそも対等な人間として見ていたかどうかも怪しいのだ。
同じ位置に立っているようでそうじゃなかった。
同じ部室で過ごしていても、どこか遠いものを見ているような感覚だったのだと振り返った今思う。
なんだかんだ、雲の上の人としてみてたのだ。
だからフルネームで認識していたんだ。

丁度、歴史上の人物を認識するときみたいに。

「だって女の子に追っかけされてるとか私にしてみれば別次元の人間みたいだったから」
改めて聞かれると私の中の彼の存在の位置が分からない。
本当に、予想外すぎた。

「だから驚いちゃって。年上なのに恥ずかしいところ見せちゃったね。私なんかの事そんな風に思ってくれてありがとう」
とりあえず、今の私が出せる答えはここまでだ。
怒られるか呆れられるかするだろうなと思ったが、仗助の顔は優しかった。

「よかったぁ…。俺なんかもう、嫌われたかと思っちゃいました。いや、焦ったーっ」
「あのね、まだその」
「わかってます、俺も言いたい事言って、それに先輩しっかり答えてくれたんじゃないですか。でもほんと、断られなくてよかったっす。あー、勢いって怖ぇ〜…!」
心底ホッとしたような顔で言われると、問題を先送りにした罪悪感が少し和らいだ。

「でも、今ここで断らないってことは脈ありってことでいいんすよね!」
「は?」
先ほどまでとは一転、いたずらを思いついた子供のような笑顔に変わる仗助。

「絶対振り向かせて見せますから、覚悟しといてください!」
「……お手、柔らかに…」
更なる急展開に、頭が処理落ちを起こしてしまいそうだ。


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