銀木犀



いよいよ冬の到来を思わせるほど肌寒くなった頃、私は一つくしゃみした。
それは決して甘い花の華やかな香りに咽たわけではなく、セーターを着ていないことが原因だ。

お母さんがセーターを土日に洗濯しなければ・・・。

無残にも縮んでしまった愛用のそれを思い出し私はため息を一つ吐いた。
とぼとぼと俯きながら歩いていると、足元には小さな白い花びら。
しょげた顔を上げれば目線の高さに真っ白な花たち。
ああ、この花の匂いだったのか。
深く吸えば胸いっぱいに甘い香りが入ってくる。
これは、確か銀木犀といっただろうか。
花には詳しくないのでいまいち確信が持てない。
眺めていると、強い風が容赦なく隙だらけの私に吹き抜け私は盛大なくしゃみを一つした。

「へ〜っくしょん!」
ガサッ。
背後の茂みが揺れた。
狸かなにかかと思ったら、そこから現れたのはガタイの良い男子生徒であった。
その生徒がいわゆる日ごろから私が目を合わせないように気を付けているような不良風であることも気になったが、何よりあのくしゃみを聞かれたことが恥ずかしくてたまらない私は俯くしかなかった。
まさか、『あの盛大なくしゃみをばらされたくなかったら金持って来いよ』とか言われるんじゃないだろうか。やばい、死ぬ。
問答無用で殴られるかも、本当に死ぬ。
逃げるか、でも不良って逃げたら追っかけてくるんじゃないっけ。
…それは、犬か。
なんにせよもう逃げ出すことままならず、私は蛇に睨まれた蛙のように固まるしかなかった。

「お前…。」
「ひゃい!?」
声が裏返った。
「風邪か?」
「いえ、あの。」

顔を上げるのが怖くて俯いたまましどろもどろになりながら言葉を探すが良いことなんて浮かんで来やしない。
オーラで『随分デカかったが』とか言われてる気がしてきてますます視線は地を這うばかり。

そのとき、目の前の大きな影がこちらに近づき、手を伸ばしてきた。
やばい、胸倉つかまれる!
「へ…。」
しかし、予想していた強い衝撃は来ず、代わりに額には大きな掌の温もり。
「熱は無いみたいだが、とっとと帰れ。」
「…は、はい…。」

掌が離れていく。
どうしてか、少し惜しいと思った自分がいた。
その手につられて顔を上げると、すでに彼は私の脇を通り過ぎていた。
「あ、ありがとうございます!」
何に御礼しているのか自分でも分からないが、声をかけずにはいられなかった。
遠のく背中に声をかけると、右手をあげて返してくれた。
怖いはずの長ラン、少し草臥れた学帽。
それらから、どうしてか視線は外せなかった。

この胸のどきどきはきっと恐怖からじゃない。

どうしようお母さん、初恋です。


(相手の顔を知らないことに気付いたのは、家に着いてからだった。)

ギンモクセイ:初恋
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