穏やかな風がながれ、揺れた枝からはらりはらりと桃色の花びらが散る。空は晴れ日差しも心地よく、一面桃色に染まった大阪城の長く続く縁側の傍で湯飲みを傾けながら白い髪の少女が静かに息を吐く。
「…やれ、随分さわがしいな」
「きっとワシのせいだろうな」
「!! …いえやす…?」
ふと上から掛かった声に顔を上げれば屋根の上に影が一つ。その久しい顔に思わず少女は顔を綻ばせ、家康と呼ばれた人物はホッ、と勢い良く屋根から少女の元に降り立つと目深に被っていた帽子を取る。そして少女に誘われるままに隣に腰を下ろすと二人の間に少しの沈黙が流れた。
「…久しいな」
「うん」
「元気にしていたか」
「うん」
「…聞いたか、ワシの事」
「…うん。とと様を、ぬしが討ったと」
「…ああ、討った」
「ん、そうか、ならば良い」
てっきり一発頬に食らうとでも思っていたのに、あっけらかんと答えた白に家康が目を丸くすると、白はさして興味が無いと茶を口に運ぶ。
「みつなりとぎょーぶから聞いた時にもう覚悟はきめたから、もう良い。少し嘘であってほしかったけど、それに戦は討つか討たれるかであろ?」
「…」
「それよりどうして今日はここへ?大変だったであろ」
「…ああ、今も下で忠勝が三成を止めてるとこだろう。今日はな、お前に話があって来たんだ」
「ましろに?」
今度は白が目を丸くすると、家康は意を決する様に身体の向きを白に向けて目と目を交わす。白の大きな瞳に映る家康はぐるぐると揺れては蠢き、瞬きをする度にかき消されて消えた。
「徳川に、来ないか」
「!」
「お前は此処に居るべきじゃない、お前は無垢すぎる。三成は純粋だが、お前はそれよりも無垢だ」
「いえやす、ましろは…」
「ワシは、お前を守りたいんだ。お前に、ワシの成す世を見て欲しい」
白の手のひらを包む様に握ると、白は目を反らして小さく俯く。そして次に顔をあげた時、その瞳には強い意思が映されていた。
「ましろは、行かない」
「白、」
「ましろはとよとみの人間よ、とくがわには行かない。それに、きっとぬしがましろに来て欲しいのは、罪滅ぼしのためであろ」
「ち、違う!」
「たがわぬ、…ましろには、ぬしが成す世ととと様が成そうとした世、どちらが良いのかわからぬ。もしかしたらぬしが成そうとしている世が、みんなには良いのかも知れない。…それでも、ましろはみつなりとぎょーぶが大好きだから、ぬしの所には行けない」
はっきりと告げられた否定の言葉。幼い幼いと思っていた姿は何時の間にか大人びていて、しっかりと見据えられた瞳の奥は揺るぎない。そっと握った手を離せば傷だらけの篭手に小さな手が重ねられる。
「……そうか、分かった」
「…ごめんな、でも守りたいと言ってくれたのはうれしい。なぁいえやす、これからも…これからも、ましろと友だちでいてくれるか?」
「当たり前だろう…!」
「…ありがとう、さ、早に行きやれじきにみつなりとぎょーぶが来る。さよならよ、次に会うときは、」
「…ああ、次に会うときは、ワシと三成どちらかの最期だ」
初めは我慢をしていたが、次第に堪えきれなかった涙がぽろぽろと白の頬を流れる。篭手をはずして瞳をぬぐえば小さな腕が首に回され、そっと抱きしめれば小さな嗚咽が漏れる。
「お前には、辛い思いをさせてばかりだ。三成にも、ワシは失望しか与えられない」
「…この道を選んだのはましろよ。ぬしはぬし、みつなりはみつなり、ましろはただ、この世界のゆくすえを見ると約束したの」
「…すまない。…だがワシは、いつまでもお前を待っているから」
「……さ、行きやれ、はやに、はやく、」
言葉を遮る様に回された腕が外されると、合図にしていた忠勝の砲撃が空に上がる。それと同時にこちらに駆けてくる足音が近づいて、時間だ、と呟けばさぁさ鬼が来たと白が笑う。
「さらばよ、現実の友」
「ああ、さらばだ、」
笑顔なのに、白からこぼれるのは涙ばかりで。もう自分がその涙を拭うことは二度と無いのだと、ならば彼女が涙を流さない世を作ろうと、静かに迎えにきた友の背で誓う。
どんどん遠くなる大阪の城。袂を別ち己を憎むかつての友、大事な物を奪った自分と未だに絆を持ってくれている小さな友、この場所で得た様々な絆に最期の別れを告げて、三河の地へと家康は消えた。
食って泣いて笑って生きろ
(酷な事だとわかっていても、)