己が此処に来て早くも七つ日が登った。

任務の最中、突如として飛ばされた名も知れない場所。其処に住む男に拾われ、今に至る。


「おはよう小太郎ちゃん」

「…」

「はは、まだ眠たそうだなぁ。そんな無理して早起きせんでも良いのに」


そういって己の頭を撫でる男の名を己は知らない。別に知らずとも声を無くした己にはどちらにせよ関係無いのだが、何故かどことなく居心地が悪かった。

「風魔小太郎」とは代々受け継がれる忍の長の名。だが戦が無いと言うこの地では忍の存在ももはや過去の物であり、此処では風魔なんて名字は只個人を表す名称にしか過ぎない。伝説の肩書きなど役に立ちはしないのだ。


「小太郎ちゃん、今日はコンビニ行くぞ!」

「…」


いつの間にか着替えた男に、己も与えられた衣服に着替える。そうすれば手を引かれて外に出れば「駐車場」とやらへ向かう道とは反対へ進む。なるほど、今日は歩きか。

戦国の世では、己を小太郎と呼ぶ者も手を握る者も居なかった。「風魔」の姿を見た者は消す、と言う掟があったのもあるが大体の者は己を化け物として扱い不用意に近付きはしなかったからだ。

だが、「風魔」の肩書きが意味をなさないこの世で、男は己を小太郎と呼ぶ。はぐれぬように、と要らぬ世話を掛けて手を繋ぐ。文字でしか返事を返さぬのに己に話し掛け、撫で、触れ、笑い、そしてまた話し掛ける。

元居た所では決して知ることは無かったであろうむず痒い感覚。己は此れをなんと言うのかさえ知らぬ。まるで赤子の様だ、と男には聞こえぬ様に息を吐いた。


「此処がコンビニって言って、大体の物が買えちゃうすげぇ便利な店。なんか欲しかったらカゴに入れて良いかんな?」

「…」


こくり、と頷けば男は満足した様に笑って店の中をぶらぶら歩き始める。己も後ろに着いて物を見れば色とりどりの文字や外装が幾重にも並んで目を奪われる。最近学び少しずつだが読める様になった平仮名片仮名でその物の名称はわかるが中身までは分かる筈もなく。手を取る事はしなかった。


「ありゃ、小太郎ちゃんなんも欲しくねーの?」

「…」

「ああ、初めて見るモンばっかだもんな、ごめんごめん。んじゃなんか気になったのとりま買っちゃおうか、下手な鉄砲数打ちゃあ当たる!」


男が手当たり次第に籠に品を入れるのを見て、とりあえず己も「ポテトチップス」と呼ばれる物を幾つか籠に入れた。


「小太郎ちゃん見事に塩辛いのばっかだなー、甘いのとか好きじゃないの?」

「…」


甘いの、と言われてしばし考える。手にした物が塩辛い事も知らなかったのだが、生まれてから今まで忍になるべく過ごして来た己は、考えてみれば甘味と呼ばれる様な物など口にしたことが無かった。それどころか子供らしい事もしたことが無ければ、産声以外で声を上げた覚えも無い、そんな己が甘味など。そもそも食べると言う考えもつかない。


「チョコとか食ってみる?アイスも飴ちゃんも美味いぞー?」


此方の返答も待たずにどさどさと品を足す男はあまり話を聞く気は無いらしい。確実に幾つか自分が食べたくて入れたであろう物も入った籠はぎゅうぎゅうであった。



「アイス溶けない内に食っちゃおうぜ、はいパピコはんぶんこ」

「…」

「上の引っ張って開けるの」


店番の挨拶に背を送られ店を出た。帰り道、男に渡されたアイスとやらは酷く冷たい。見よう見まねで外装を開けて一口吸えばひんやりと口の熱が奪われてすぅっと溶けてしまった。…あまい、これがあまい味なのか。


「美味しいだろー?小太郎ちゃんの知らないモンまだまだいっぱい買ってやるからさ、楽しみにしとけな?」

「…」


男に袋を持った反対の手で撫でられ、言葉に頷けば、男はそれにまた嬉しそうに笑うのだ。


心などとうに捨てた筈なのに、知らない事を知っただけで無くした筈の心が少しだけ色付いた気がした。吐く息はだんだんと白んで来ているのに撫でられた事の無い頭が酷く暖かい。

己はこの感情をなんと言うのかすら知らぬ。知ってはならぬのに。


(…この世界ならば、少しくらい人らしく生きてみても許されるだろうか)

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