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足りぬ、タリヌ。
この胸に空いた穴はなんだ、われは昔よりこんなにも満ち足りて居ると言うのにこの胸の空虚はなんだ。

息をすればひゅうひゅうと穴から酸素が抜けて行く。
その度に泡となって空気は上へ昇る。
まるで自分は水底に沈んでいるかの様だ。
嗚呼誰かわれを此処より引き揚げてくれやれ、此のままでは酸素が無くて溺れ死んでしまう。あと幾年涙を増やせば空虚は埋まりやるのか、体の中が冷たい水で満たされる。冷たい、ツメタイ。

冷たい、


「…部、刑部!」

「っ、ああ…すまなんだ寝過ごしたか?」

「魘されていた、また例の夢か」

「……水がな、どんどん増えてわれは海の底なのよ」


前世からの親友に背中を擦られながらそっと手を握り、開く。
病んで色も変わっていた皮膚は今の世では少し日に焼かれてかさついては居るが良く動く。輿に乗らねば満足に動けなかった足も生活に支障はない。
ほうら、こんなにも満ち足りているのに。まだ何かが足りぬのか。

時たま脳内を駆け行く己に手を伸ばす男の顔。思い出したいのにすとん、と其処だけ切り取られた記憶が酷く憎らしい。ただ記憶がちらつく度に手を伸ばし、その都度空いた穴が一瞬だけ埋まる様な感覚がした。そして指先が触れ、夢が覚めるを繰り返す。


「…三成よ」

「なんだ」

「前に話したであろ、われの夢に出やる男をぬしは知っていてわれは忘れている。教えやれ、奴は誰ぞ」

「…それは貴様自身が思い出さねばなんの意味もなさん」

「…」

「ただ、」

「…?」

「貴様の待つ男は案外貴様の近くにいる。分かったら早く支度を済ませろ仕事に行くぞ」

「…あい、わかった」


すたすたと先を行く友の言葉に軽く息を吐いて上着を羽織った。まぁ、奴がそう言うのなれば急く事もあるまい。


(嗚呼、恋しや)


顔も知らぬ相手に、400年分の想いを。

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