部屋の前の扉で立ち止まって俺は小さく息を吐いた。
俺は部下の子守してるわけじゃないんだがな…。

監視官の職務は自分が想像しているよりも遥かに厳しいものだという自覚はあった。確かに。確かに、休みがいつとれるかわからないとか、事件の解決にはメンタル的にもきついとか、そういう意味の厳しさはわかっていた。だがそれは俺の努力でどうにかなる。俺が手を焼いているのはその仕事をする仲間についてである。

監視官という職務は、執行官と呼ばれる潜在犯を管理しつつ事件解決や事務仕事を執り行う。つまりは監視官が執行官を統率しなければならないのだが、それも大した問題ではない。俺の悩みの種は、うちの一係に所属する執行官の一人、東雲暁だ。
十八歳の彼女は、シビュラシステムにより公正に選ばれた執行官の一人である。未成年の登用は今回が初めてだが、人数不足が深刻な刑事課では、ありえなくもない話だ。
彼女は幼い頃に検査で弾かれて以来、ずっと施設で育ったらしく、コミュニケーションを取るのが苦手らしい。というか極度の人間嫌いなようだ。
ギノじゃ手に負えないので俺直属として受け持つことにしたのだが、入局して今日ではや二日目、まだまともに会話をしていない。というか今は朝の八時で、昨日のドラッグの事件に関する問題があるにも関わらずまだオフィスに来ていないのだ。

そして冒頭に至る。
要するに出勤してこない彼女の様子を見に来たのである。監視官とはいえ、女性の部屋に勝手に入るのは気が引けたが、これは仕事だと割りきってドアを開けた。

「東雲、いるか?…入るぞ」

薄暗い室内に入って一先ず電気をつける。
全体的に白い部屋だ。簡素なソファーが置かれているのがわかるが、ホログラムは使っていないらしく、生活するのに必要最低の物を置いているだけという感じがする。
リビングにはおらず、バスルームにも電気はついていない。奥の寝室でまだ眠っているのだろう。
部屋へ踏み込み寝室の引き戸を開けた。予想通りベッドの上の白いシーツの塊がもぞもぞと動いた。

「いつまで寝てる気だ、東雲執行官」

少し怒ったような声音で俺がシーツを捲ると、彼女は頭を押さえて丸まっていた。そこで異変に気づき俺は慌ててシーツから手を離した。
丸まっている彼女は、服を着ていない。
服どころか、下着も身につけていない。裸なのだ。日焼けなど知らないような柔らかな肌がシーツの下で剥き出しになっている。胸のふくらみも、ほっそりした線も女性特有のものだ。

「…っ」

彼女は頭を押さえながらゆっくり目を開いた。薄暗い寝室だったがリビングの光がほんの少し射し込んで彼女の目に反射する。きらきらと輝いていた。

「…狡噛…監視官」
「…」
「?」

彼女は恥じらいなどないとでも言いたげに身体を起こすと、目を細めて俺を見つめた。不機嫌そうな顔をしている。
男の俺に裸を見られたと言うのに、何も気にしていないらしい。

「服を着ろ」

慌てて後ろを向くと、ベッドから降りたらしく、背後で布の擦れる音が聞こえる。着替えているらしい。

「どうしてこんな時間まで寝てたんだ」
「…検査」

ぽつり、と呟く声が聞こえた。ベッドのそばに取り付けてある電子タブレットのカレンダーに目をやると、今日の日付に「09:00〜 メンタルセラピー、その他各種身体検査 13:00〜 日勤」と表示されていた。
そんな連絡、こっちには来ていない。

「聞いてないぞ」

彼女はジャケットを羽織って鏡の前でチェックし、そのまま部屋から出ていこうとする。俺の事などまるで興味がないとでも言いたげだ。
思わず彼女の腕を掴むと、じろりと睨まれた。

「…」
「検査とセラピーが終わったら、すぐにオフィスに来い。あんたにはこれから執行官として職務を全うする義務がある」

俺の顔をじっと見つめると、彼女はそのまま部屋から出ていった。













「初日から散々だなぁオイ、狡噛監視官」

笑う執行官佐々山光留に多少の苛立ちを覚えながらも、俺もデスクに着いた。
朝の九時前、今から報告書を作成しなければならないというときに、もう一人の問題児がぽんぽんと俺の肩を叩いた。こいつも東雲に苦手視されているが、そんなのどこ吹く風とでも言わんばかりのマイペースさだ。

「何だっけ?局長の連絡ミス?」
「だそうだ」
「へぇ〜…あの若作りのババアがねぇ」

佐々山は煙草の煙をふっと天井に向かって吐いた。煙草臭いが仕方がない。佐々山を無視して報告書の作成に集中することにした。
ギノは管財課に呼ばれたらしく、今はここにはいない。とっつぁんと佐々山と俺と三人でこの空間を占めているのだが、佐々山はそれが耐えられないらしかった。

「暁ちゃん、顔はカワイイのにな。俺結構好みだわ」
「お前には無理だ」
「何でだよ」
「…人間扱いされてないだろ」
「そんなことねぇよ、昨日部屋戻るときに手振ったら振り返してくれたし!」

違うぞ佐々山、それは髪の毛についたゴミを払っていたのが手を振っているように見えただけだ、という真実は告げないでおいた。そこまで俺も鬼ではない。













「あら、おはよう」
「おはようございます」

冷たい、と思った。

局長室に入るのは初めてじゃない。禾生局長は私の爪先から頭まで舐めるようにじっくり眺めると、手で来客用のソファーに座るように示した。
彼女は長身長髪の若い女性で、いつも微笑んでいた。なのにどこか威厳のある人で、威圧感もある。でも、そんな彼女をなぜか懐かしく感じる私もいた。
一礼して腰かけると、彼女も私の向いに座る。

「検査の結果が出たわよ。数値に異常はない。予定通り、順調のようね。一係の面々とはうまくやれそうかしら?」
「はい」
「そう、それは良いわ」

禾生局長は笑みを濃く浮かべると、じっと私の目を見た。俯いて目をそらすと、彼女は鼻で笑う。

本来潜在犯である執行官が監視官なしで局長と面会することなど有り得ない。規定でも決められている。しかし私が執行官になれるように手配してくれたのは他でもない目の前のこの人で、私をいたく気に入ってくれているようなのだ。
だから特例で、私の様子を見るためによくここに通してくれる。保護者であり、主治医でもあるような人。その優しい気持ちは嬉しいのだが、私はこの人の目が苦手だった。

「でも」
「何か?」
「…」
「ああ…狡噛慎也か、それとも佐々山光留?」
「前者」

です、と頷くと、禾生局長はふむと少し考えるように顎に手をやった。

「狡噛監視官が君に何かしたの?」

首を横に振った。

「狡噛監視官は、やさしいです」
「もちろん。わかってるわ、だからこそ君を彼に預けているんだもの」
「でも、こわい」
「彼の何が怖いのかしら?」
「彼がこわいんじゃなくて…どう、接すればいいのか…あの…監視官がこわいんです」

なるほど、と彼女は頷いた。

「狡噛慎也は誰にでも優しい男よ」
「はい」
「でも反対に言えば、彼はどんな人にも平等に接する男でもある」

何が言いたいのだろう。私は禾生局長の次の言葉を待った。

「そこが問題なのよね…彼なら君を受け入れてくれるんだけど、君達はもう一歩先に進まなければならないの。幸福のためには…それも二人だけで」
「?」

彼女は最後の方は殆ど一人言のように呟いた。

「…話が脱線したわ。要するに狡噛慎也は優しい男なのよ。彼は君を拒絶したりしないし、君のことを受け入れようとしてくれてる」
「は、い」
「確かに執行官から見たら、監視官の考えは温いと感じることも多々あるだろうけどね。それが本来、外の世界の人間というものなのよ。執行官の熱さと監視官の温さで中和されるわけ、この職務はね」

禾生局長は笑みを浮かべたまま、デスクのホログラムを投射して、先ほどの検査結果を表示させた。

「歩み寄るということは、大切なことなのよ」















「あ、暁ちゃーん!」
「おう、おはよう嬢ちゃん。昼からじゃなかったのか?」
「おはようございます。…ちょっと」

デバイスで時間を確認すると、11時だった。東雲は少し俯きながら俺のところまで来ると、形式だけの今朝はすみませんでしたという謝罪を述べた。

「構わない。こっちにも不備があったみたいだしな」
「いえ」
「一時まで休んでていい。昼は?」

まだです、と首を横に振った。

「一緒に食うか?」
「おっ!狡噛監視官熱烈アタックですねぇ!俺も俺も!なあ暁、上のカレーうどん美味いぞー、一緒に食お」

親睦を深めるために勇気を出して東雲を誘ったのに、佐々山が横から入ってきたせいで少し東雲の表情が曇った。佐々山ぶん殴りたい。
そこで管財課から帰ってきたギノが俺達三人を見て分析結果が出たと報告した。

「分析結果によると」

ギノが全員のデバイスに資料を送り、説明を始める。各々がデスクに座り、ギノの声に耳を傾けていた。

「まずこのアタッシュケースの中身についてだが。ホン酸ジクロリドとイソプロピルアルコール、それからフッ素であることがわかった」
「なんだよそれ?暁ちゃんわかる?」
「馴れ馴れしく名前で呼ばないで」

佐々山の問いに東雲が不快そうに首を横に振った。

「ホン酸ジクロリドは特定の遺伝子の働きを止めるのに使われる特殊な薬品だ。日本では販売されてない」
「で、その三つをあわせるとどうなるんだ?」

ギノの説明にとっつぁんが手をあげた。

「調合の仕方によるが、サリンが生成できる」

その時、一瞬だけ東雲の目が見開かれた。

「サリンて何、暁ちゃん」

何でもかんでも東雲に聞く佐々山に少し呆れつつも、彼女は渋々といった様子で口を開いた。

「化学兵器の中の神経剤に区分される有機リン系化合物。日本においては毒劇物取締法における規定はないけど、サリン取締法にて中間生成物質ならびにサリンの生成・保持を一応は禁じてる。百年くらい前に、なんとかって宗教が起こしたテロで使用されてたから」
「東雲の言う通りだ。今はこの手の化学物質に対する取り締まりが甘い。このサリンに関しても、法律そのものが百年前のものを適用してる」
「作ろうと思えば作れる。使おうと思えば使えるってことか?」
「そうだ。テロなんかも起こそうと思えば起こせる」
「なるほどな。つまりはサリンを何の目的で使う気だったのかもポイントになるわけか」
「そんなことより」

そんなことより、彼女はそう言った。東雲はさして興味がないとでも言いたげな口調で資料に目を通す。

「例の男の胃から出てきたペンダントの分析結果は」
「ああ、それについてだが」

東雲の態度が気に食わなかったらしいギノが一瞬黙るが、またすぐに説明を始めた。今度は別の資料をデバイスに表示させる。

「ペンダントはプラチナ製で、東雲の言う通り容疑者の原幸助の胃から検出されたということだ。プラチナに胃液がついていて、そのDNAが本人のサンプルと一致した」
「で?」
「ペンダントそのものについてだが、現在行方不明とみられている女子高生の佐和山香織のものとメーカーが一致した。ブランド品で最近出たものだから大量生産品ではない。これは佐和山香織本人のもので間違いないだろう」
「佐和山香織は殺されてる」

東雲がうつむいてデバイスを真剣に眺めていた。佐和山香織の個人情報をじっと見詰めている。オフィスが静まり返った。

「どうしてそう思うんだ?」
「原幸助の胃の中に、佐和山香織のペンダントがあったから」

彼女は淡々と言ってのけるが、俺達には理解できなかった。

「原幸助はどうして彼女のペンダントを食べたんだと思う?」
「…腹でも減ってたんじゃねーの」

適当に答えた佐々山の声に、彼女は大きく頷いた。

「お腹が減ってたの。だから、食べた。単純なこと」
「訳のわからないことを言うな!」

東雲の推理にギノが抗議するが、俺はそれを手で制した。確かに一見滅茶苦茶で支離滅裂な推理に聞こえる。だが、これが東雲暁の才能なのかもしれない。彼女は自らが執行し、殺めた犯人の心を理解しているかもしれないのだ。

「続けろ、東雲。俺はお前の考えが知りたい」

東雲は少し驚いたような顔をすると、小さく頷いた。そんな彼女を佐々山は横目で見やると、俺の顔を見てニヤニヤしだした。ギノは不満そうだったが、とっつぁんは黙って耳を傾けていた。

「彼女がしていたペンダントと、原幸助が持っていた時計、同じブランドのものだった」

そこまで見ていたのか、と俺は驚いた。確かに検査結果にもそれは載っていたが、執行官には開示していない情報だった。彼女はそこまで相手を観察し、分析し、理解していたのだ。あの時、感情的に現場に突っ込んでいったように見えたが、それだけではなかったということか。

「…今ここで話していても時間の無駄だから、原の家か職場かを洗った方が早いと思う」
「どうして?」

「…そこに佐和山香織がいるから」


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