「配属初日から事件とはな」

ギノの言葉に全く、と俺も頷いた。
本日付で公安局刑事課一係に監視官として配属された俺と宜野座伸元は、やまない雨を防ぐテントの下で待機していた。肌寒い空気が身を刺すようだ。

夕方だが雨のせいで空が暗い。これからの仕事に若干の不安を抱いていると、護送車が到着したのに気付く。
扉が開き、中から三人の人間が降りたのを確認した。男が二人、女は一人。年配の男と若い男、それと少女のような女。たしかもう一人男がいるはずなのだが、少し前の事件で身体を壊したらしく入院中で、今日は不在とのことだった。

「本日付で公安局刑事課一係に配属になった、狡噛慎也だ」
「同じく、公安局刑事課一係に監視官として配属された、宜野座伸元だ」

俺とギノが軽く自己紹介すると、年配の男─────征陸智巳が朗らかに笑った。ちなみに征陸のとっつぁんはギノの実の父親である。訳あって今は執行官の職についているが、昔は刑事だったのだ。

「よろしくなぁ、まあそんなに畏まらなくていいさ」
「そそ!良いこと言うなとっつぁんー!」
「……」

佐々山という男はとっつぁんの肩をぽんぽんと叩くと、側に置かれていたドミネーターを手に取り、手際よく認証を始めた。

「…状況は」

そこで初めて少女───いや、執行官の女が無表情のまま口を開いた。彼女はそれまでテントの鉄の柱に凭れて退屈そうに空を眺めていた。ずっと黙っていたが、仕事だけはやる気らしい。
名前はたしか、東雲…そう、東雲暁だ。

「廃棄区画で違法ドラッグの取引が行われているらしい。それと娘の女子高生が行方不明だと両親から通報があった。関係している可能性がある。我々の目的は、ドラッグ取引の現場を押さえることと、女子高生の保護だ」

行方不明の女子高生の画像データを東雲に送ると、彼女はホログラムで投射しながら黙ってそれを眺めていた。女子高生と言っても雰囲気は一般的なそれよりも大人っぽい。画像の彼女は黒いシャツに十字架がついたプラチナのペンダントをつけていた。

「…最優先事項は」
「…現場を押さえることだな」
「じゃあ、エリミネーターに切り替わったら女子高生を殺してもいいってこと」

一瞬空気が凍り付いた。
東雲の声はひどく冷淡だった。ギノに至っては声も出ないようだったが、代わりに俺が頷くと、彼女はじろりと俺を一瞥してドミネーターを手に取った。
彼女の大きな瞳がエメラルド色に輝く。認証を終えると、東雲は監視官の指示も無視してそのまま廃棄区画へ入っていこうとする。

「おい、ちょっと待て」
「…他に命令は?」
「ない。だがお前も俺達と同じ今日来たばかりの新人だ、特に執行官の単独行動は」
「訓練なら施設で受けてる」
「だが、」
「…足手まとい」

ぶっきらぼうに言い捨てると、彼女はドミネーターを携えてそのまま廃棄区画へ入っていってしまった。

「あーあ、期待の超大型新人登場って感じだなぁ、こりゃ」
「言ってる場合か…!」
「えー、んなカリカリすんなよ…もう行っちゃったしなぁ、あの新入りちゃん。…どうすんの、監視官様?」

















「待て、東雲!」

仕方なく俺が東雲を追いかけ、その間ギノが他の執行官と共に現場に向かうことになった。ギノにはとっつぁんがついているから心配はしていないが、東雲はまだ十八歳の女の子なのだ。
一人では無理なこともある、それに何より彼女も俺と同じで今日が初仕事なのだ。

「おい、」

東雲は廃棄区画のビルに背中を預けてドミネーターを構えつつ、壁とパイプの隙間から路地の向こうを覗いていた。彼女に俺が声をかけようとすると、し、と人差し指を唇に当てる。冷たい雨が彼女の髪をしっとりと湿らせていた。
俺も同じように隣の壁に背をもたせかけつつ、彼女の視線の先を追う。

「…あれは」
「メディカルトリップに見せ掛けた液体タイプのドラッグ、あと幻覚作用のあるバーチャル系ドラッグ…違法調合されてるメンタルサプリメント」
「わかるのか?」

なるほど、確かに彼女の言う通り視線の先には若い男二人が何か話している。
一人の男はアタッシュケースを持っており、もう一人の男は大きなサイズのボストンバッグを肩に掛けていた。今から取引、というわけか。

すらすらと情報を話す彼女に俺が驚いていると、皮肉にも彼女はその時、初めて表情を変えた。不敵な笑みとはまさにこういう顔のことを言うのだろう。獰猛な獣のような目だった。彼女は口許だけで笑みを浮かべる。

「今なら現場は押さえられる。どうする、監視官」
「…待て、一先ず宜野座監視官と連絡を」
「だから足手まといなのよ」

俺の言葉を遮ると、彼女はそのままドミネーターの照準を取引中の男達に向けた。そして凶暴な表情で、俺を無視してそのまま二人のもとへ走っていってしまったのだ。

「あのバカ…!」
「そこまで、動くな」
「こちらシェパード1、違法ドラッグ取引の現場に遭遇、東雲が先攻した。場所はわかるな?マップで確認してこちらに応援を頼む」
『了解、またあの女…勝手な真似を…!』
『アグレッシブだなーあの新入り。あ…ギノ先生ー、そっち道違うぜ』

彼女はドミネーターの銃口をボストンバッグを持つ男に向けると、冷たい目でアタッシュケースの男を睨み付けた。

「公安局です、手を上げて。さもないとドミネーターで貴方達を執行する」
『対象の脅威判定が更新されました 犯罪係数328 執行対象です』
「公安局だと?!」
「どういうことだ、ここは絶対バレねぇんじゃなかったのかよ!」

男達はドミネーターと彼女を見て狼狽えた。慌てて逃げようとするが、この空間は他に繋がる道が二本しかないらしく、どちらにせよ東雲の横を通り過ぎなければ逃げられない。
それにやっと気づいたのか、焦った男達二人は足元に落ちていた鉄パイプを拾い上げる。

「…もう一度だけ言う。動くな。手を上げろ。私は貴方達を殺したくない」

だが男達に東雲の声は届いていないようだった。
彼女は目を伏せてため息を吐くと、鉄パイプで殴りかかってきた男に対して引き金を引いた。

『執行モード リーサル・エリミネーター』

青緑色の閃光が弾ける。

俺がドミネーターの威力を本当の意味で目の当たりにしたのは、今この瞬間が初めてだった。
閃光が鉄パイプの男に直撃した瞬間、男の身体がバラバラに分解されて血が噴き出す。内臓がぼたぼたと虚しく地面に落ちた。それを見たもう一人の男が腰を抜かして地面にへたりこむ。

「や、やめてくれ、命だけは…!」

怯える男に無情にも東雲は黙って銃口を向けた。ひい、と情けない声を上げて男が頭を抱える。

『対象の脅威判定が更新されました 犯罪係数263 執行対象で』
『執行モード ノンリーサル・パラライザー 照準を定め対象を排除してください』

男がその場に倒れた。側に置いてあったアタッシュケースがばたりと地面に叩きつけられる。
撃ったのは彼女ではなく俺だった。
思わず走って彼女の横に並ぶようにして立ち尽くした。足元に、先ほどの男の死体…否、臓器が散らばっているのだ。その辺りは血で覆われている。距離が近かったのか、東雲の頬も腕も脚も、体のいたる所がべっとりとした返り血で汚れていた。
だが当人は気にする様子もなく臓器の塊と、気絶している男を見比べると、デバイスで時間を確認し、口を近づけて「オールクリア」と呟く。

なかなかに衝撃的な出来事だったが、そこまで俺は動揺していないことに気付いた。

「なーにがクリアだよ、美味しいとこ全部持っていきやがって」

すぐに場所を突き止めた佐々山がぽりぽりと頭をかきながらもう一つの路地から顔を覗かせた。そのすぐ後ろで不服そうなギノの顔と、優しい顔のまま困ったような表情をしたとっつぁんが見える。

「事件は解決した」
「いや、まだだね」

佐々山はバラバラの臓器────かつては人間だったもの────を一瞥すると俺と東雲を交互に見てから、地面に投げ出されて血と土で薄汚れてしまったアタッシュケースのもとへ屈み込み、それを開けた。
かち、と音がして中が露になる。

「なんだこりゃ」
「…?」
「これは…」

俺も、恐らく他の面々もアタッシュケースの中には金が入っているのだと思い込んでいたのだが、中に入っていたのは別のものだった。
透明な瓶や袋に何か化学物質のような物が入れられているのだ。他にはピンセットや実験器具として扱われる薬剤用の皿などがピッタリと埋め込まれるようにしてそこに鎮座している。

「化学薬品だろうな、恐らく。素人目にはよくわからんし危険だ。狡噛、分析室にまわした方がいいんじゃないか」
「ああ、そうだな」

とっつぁんの言葉に頷くと、俺は早速分析室に連絡を取った。
その間も佐々山と東雲は興味深げにまじまじとそのアタッシュケースの中身を観察していて、それをギノがやめさせようとしていたが無駄だった。

「なぁ新入りちゃん、これ何だと思う」
「何か…有毒性のもの」
「ああ。…他は?」
「…それがフッ素化合物だということはわかる。資料を読んだことがある」
「へえ、お前勉強熱心なのなー…俺にはさっぱりだ」
「…嫌な予感がする」
「え?」

分析室への連絡を終えると、すぐにドローンがやって来てバリケードを張った。小型の検死用ドローンも運ばれてきて、ちょこまかと地面を動き回る。アタッシュケースはコミッサちゃんを模したドローンが別の車両に乗せて分析室にすぐ送ってしまった。

「さて、戻るぞ」
「だからまだだって、狡噛」

俺がバリケードから出ようとすると、佐々山が呆れたような表情でポケットに手を突っ込んでいた。
東雲は何か深く思案するように顎に指を添えて黙っている。その目線の先は、先ほどのぐちゃぐちゃになった死体……臓器なのだが。

「まだって、何が」
「この男をバラしたとき…たぶん、胃の中から」

いつの間にゴム手袋をはめていたのか。
彼女は血にまみれた右手の人差し指に、ところどころが血でどす黒く汚れてしまったそれを引っ掛けて俺に見せた。

「…こんなものが」

それは鈍く光るプラチナのチェーンを持つ、十字架のペンダントだった。

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