「厚生省で何かあったんですか?」
「そんなふうに見えますか?」

施設の送電をカットしてセキュリティを解除した後、宜野座さんと征陸さんとは別れて私と六合塚さんは中央管制室に向かっていた。非常電源を起動させるつもりなら制御盤目当てに管制室に来るだろう。そこで槙島と遭遇すれば逮捕できるかもしれない。念のため宜野座さんと征陸さんは大学のラボに向かわせたのだ。

「今のあなたは誰よりも前向きなのに、誰よりも落ち込んいでる風に見えます」
「立ち止まっていても何一つ解決しない。今はただ進むしかない。どんなに小さくても希望はある。それを諦めない限り、私は最後まで刑事のままでいられる」
「…新しい監視官がやってきたとき、最初は甘そうなお嬢ちゃんだと思いました。こんな仕事は到底務まらないって」
「そうだったかも」

六合塚さんとこんな話をするのは初めてかもしれない。一緒に薄暗い廊下を静かに歩くのも。
私も彼女も饒舌なタイプではないし、六合塚さんに至っては無口だけど、それでも彼女は彼女なりに思うこともあるのだろう。

「でも、あの時の印象は完全に間違っていた。今ならそう断言できる。あなたになら命を預けられます、常守さん」
「買いかぶりすぎですよ」

どうにか笑みを作って強くドミネーターを握りしめた。長い廊下はまだ続く。そこで私はふと聞いてみることにした。こんな機会、もうないかもしれないから。

「あの」
「はい」
「暁さんて、どんな人だったんですか?私が配属される前、とか」
「…私もそんなに長く一係に在籍しているわけではないので、あまり詳しいことは…。でも私が執行官になったときの暁は、もう少し大人しかったイメージがあります。親切ではあったけど、今ほど面倒見が良かったわけでもないし。でも、狡噛とは仲が良くて…あれは仲が良いって言うよりむしろ…懐いてました」
「懐いてた?」
「あの二人は、年齢こそ違えど同期ですから。気心の知れた仲なんだって志恩から聞きました。でも、配属直後の暁はまるで野生の獣みたいだったとか…」
「野生の獣?」
「人とコミュニケーションをとるのが苦手ってことだと思いますけど。…ああ、でもあの時は佐々山が…」

意外といえば意外だ。
本人のいないところでこんなことを噂話みたいに聞くのは失礼だけど、彼女がシビュラの秘密に関する人間であると知ってから気になっていたことではある。
だがもし、もし執行官になるまでの間に実験や研究で人との触れ合いがあまりなかったのであれば、さっきの六合塚さんの"野生の獣"発言にも合点がいく。
誰も何も言わないけど、彼女は環境に順応して生きてきたのではないだろうか。この順応力は並大抵のものではないはずだ。それこそ、今のシビュラシステムに生かされてきた人々とは比べ物にならないほどに。

「暁は、真人間でした」
「え?」
「社会的には潜在犯ですけど。でも、執行官として、先輩として、一人の女として。魅力的でした。私はあんな風になれないから。なのに…」
「…考え事は後回しにしましょう。槙島と狡噛さんと東雲さんの逮捕が我々の優先事項です」

六合塚さんが黙り込む。その続きの言葉は喉の奥に飲み込んだのだろう。彼女が何を言いたいかはわかる。だって私も六合塚さんと同じ気持ちだから。

どうしてこんなことになってしまったんだろう?

それが今の私にはなんとなくわかる。でも、六合塚さんは何も知らないのだ。わたしからそれを話すことはできないし、それを知ったことで過去が変わるわけでもない。軽く諌めると、彼女は小さく頷いた。
そこで漸く目的の場所に到着する。中央制御室には誰もいないらしく、人がいたような痕跡もない。

「クリア」
「間に合った…」
「でもここに本当に槙島が?」

六合塚さんがさっそく作業に取り掛かる。コンソールを触りながら、何やら操作しているらしい。薄暗い室内で画面が光る。
でもどうして誰もいないんだろう?
私、何か見落としてる…?

「そうか…誰もいないなんて変だ」
「え?」
「彼らなら私よりも正確に槙島の動きを予測する。これが正解だったなら狡噛さんか暁さんのどちらか…又は二人が先回りしてなきゃおかしいわ。どうして?何か見落としてる気がする」

でも何を見落としてるんだろう?
もやもやと実体のない疑問が胸中で渦巻く。靄のようなそれを無視してはいけないと頭の中で警報が鳴っているのだ。

「犯人が逃げて刑事が追う。それが私たちの先入観」
「監視官?」
「でも槙島の見方は違う。あいつは今…私たちがどれだけ窮地に立たされているか、私たち以上に理解している。…宜野座さんたちが危ない!」

逆だったんだ。私が管制室から出ようとすると、六合塚さんが止めた。

「待ってください!一人では危険です!」
「あなたは残って。もし槙島が来ても絶対に非常電源に触らせちゃだめ!いざとなったらコンソールごと破壊しても構わないから!」














「暫くだね。君ならここに来てくれると思っていたよ」
「…私も、また会えると思ってたよ」
「嬉しいな。それにしても…もう檻からは二度と出ないんじゃなかったのか?」
「"一人では"ね。今は一人じゃない」

ふーんとこたえると、槙島は薄い笑みを浮かべたままそこに立っていた。私はポケットから取り出したナイフを手に取り、刃を抜く。

北陸の完全機械化により大量生産されているハイパーオーツ。その管理を担う工場内に侵入した私と狡噛は手分けして施設内にいる槙島を探していた。そして彼は私たちの───私の目の前に現れたのだ。

中央管制室には誰もいないと狡噛から連絡が来た後、私は大学のラボの辺りを彷徨いていたからそこで落ち合おうということになったのだが、槙島の早い登場に一番驚いているのは私だった。
ここはラボのすぐそばにある廊下だ。こちらに来るとは予想外だった。

「公安から離脱したのは狡噛を助けるためか?大した愛情だよ」
「…悔しいけど、半分当たり」

薄暗い廊下に色素の薄い人間が向かい合う姿は、まるで亡霊のようだ。
槙島はジャケットを整えると、内ポケットに手を突っ込んで封筒を人差し指と中指で挟んで取り出した。封筒は随分と古いものらしく、少し色褪せているようにも見える。今時古式の手紙を書く人間がいるのかと感心した。

「これ、なんだ?」
「…」
「君宛のものだが、送り主は僕じゃない」

槙島は一歩私に踏み寄ると、哀しそうに笑った。黙って私に封筒ごと手紙をつき出す。渋々私もそれを受け取るがなかなか読む気になれず、じとりと封筒を眺めた。

「君がよく知っている人さ」

つんつんと指で封筒を裏向けるように示されて反対を向けると、丁寧な字で"東雲暁さんへ"と書かれていた。
なにせ狭いコミュニティなので私も字を見ればおおよそ誰のものかわかるが、この字は記憶にない。
丁寧だが狡噛ほど完璧な達筆でもないし、かといって朱ちゃんほど丸くもない。秀星の字はもっと癖があるし、お…征陸さんの字ほど味があるわけでもない。
なんだろう、不思議な字だ。あえて言うなら少しだけ私の字と似ているような気もする。

「読まないのかい」
「…貴方を仕留めた後で、ゆっくり読ませてもらうよ」
「できるのか、君に」

しんと静まり返った廊下に、挑戦的な槙島の目付き。
長居したくない立場だ。早くこの男を殺さなければ…。なのに手が震えて言うことをきかない。

「これは時間稼ぎだ。もともと、この会話には意味などない。通してくれるかな」
「…そういうわけにはいかない」

槙島が一歩後ずさった。
だが…殺れる。手の中に隠し持っているナイフで彼の頸動脈を切れば、槙島は死ぬ。
私が殺す?槙島を?そんなの想像もつかない。私が槙島を殺すっていうのは何か違う。殺すのは私じゃない、殺すのは。

「君には手荒な真似はしたくなかったんだが…仕方ない」

それもまた一つの選択だ。
槙島は呟くと、私に向かって一気に距離を詰めてきた。
腕でなんとかガードするが手首を掴まれ投げ飛ばされそうになる。足を踏ん張ってどうにか回避したが、次は鳩尾に肘を入れられ呻く他なかった。

「っ…!」
「君の身体能力は僕もよく知ってる。だが男と女じゃ力の差が歴然だ。もう少し賢く…」
「…っさい」
「ん?」
「うっさいのよ」

槙島の腕を蹴りあげて力が緩んだところで少し距離をとる。膝をついてどうにか呼吸はできるけど、やっぱり槙島には敵わないということはもうわかっていた。
下手に抵抗すると殺される。だがここで逃がすわけにもいかない。
せめて監視官か執行官がここに来るまでは…。

「前より動きが鈍くなったかな。現金輸送車を襲撃した奴等の片付けを頼んだ時はもう少しスムーズに出来ていたんじゃないか?」
「…やっぱり見てたんだ、アレ」

くそ、はめられた。
膝をついて肩で息をしながら考える。
ヘルメットの連中が暴動を起こす直前に、私は現金輸送車を襲撃した奴等の始末を槙島に頼まれた。
あの時、私の様子を見ていたのだ。どんな風に始末するのか。

「…嫌な奴」
「心外だな。君もその嫌な奴と同類だろう」
「…それも、そうか」

ゆっくり立ち上がると、槙島は口角を上げて笑みを深くした。

「ねえ、暁」
「なに」
「もし君が僕を理解して尚共感してくれるなら、これから僕とずっと一緒にいてほしい」

懇願するように槙島は私の目を覗く。持っていたナイフがカランと床に落ちた。指に力が入らない。
突然なんなの、という私の声は喉の奥で押し留められた。

「ずっと一緒にいよう」

「ずっと、一緒に…?」
「僕を愛してほしい」

槙島がまた一歩距離を縮める。緩い力で手をとられた。振り払おうと思えば振り払える。力を込めれば逃げられる。なのに何故か拒絶できない。

ずっと一緒にいよう。狡噛も同じことを言ってくれた。ずっと一緒に。

「君と僕は同じだよ。僕はね、シビュラがもともと好きじゃなかった。けど、君の存在に気づいてからはもっと憎くなった」
「どうして…」
「彼らは君と僕をこの世界のスペアにしたからだ。たった一人、東雲暁という存在を彼らが壊した。そこでまた気付いた。この世界では、自分もまた誰かのスペアなのかもしれない」
「槙島…」
「代用品で溢れたこんな世界、僕は耐えられない。誰かの代わりに誰かがいる。才能なんて必要ない。この世界は、気持ち悪いと思わないか?」
「それは」
「僕が死んだら、僕の代わりを君は見つけられるだろうか。僕は君が死んでも、きっと君のクローンやサイボーグ達を愛すことはない。あれは君じゃない。君は今ここにいる東雲暁、ただ一人なんだ」

槙島は私の手を握った。冷たい手だった。ひんやりとしていて、まるでとけない氷のよう。

「外の丘で待ってて。迎えに行く」
「待って」
「これは僕と狡噛の問題だ。君は何も考えなくていい。丘で待ってて。僕が行かなければ、狡噛が行くだろうから」
「ねえ、待って、何で…」

私が半分泣きながら喚くと、槙島は少し困ったように眉を下げて微笑んだ。
その笑顔が切なくて、どうしようもなくて。

「…彼にも僕にも君が必要だ。でも共有することはできない。僕らはけして相容れず、しかしお互いを理解しているからだ。だからこうするしか方法はないんだ。力付くでも、自分の意地を貫き通す。僕はそうやって生きてきた。だから狡噛は信頼も友情も捨てて、君の愛情さえ裏切って、彼は彼の意思を通した。初めて僕と対等になったんだ」

私は、心のどこかで狡噛も槙島も、誰も死ななければいいなって思ってたんだ。
どうしてこの二人はこんなにも頑ななんだろう。

「もう一度だけ言う。丘で待ってて」
「…そんな」
「さよなら、暁。君とまた会えると信じているよ」

首筋にとん、と衝撃が走った。
手刀と気づいた瞬間、意識が途切れた。動かない頭で考えれば考えるほど切なくなる。あの蜂蜜色の瞳と視線がかち合った瞬間、彼は悲しそうに微笑んでいたような気がして。

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