「遅いぞ」
「すみません、状況は?」

市川で殺人事件、現場へ急行せよと宜野座さんから連絡があり、私は本部から車をとばして現場へ到着した。狡噛さんと暁さんの指紋が検出されたらしい。

「近隣住民から例のヘルメットの目撃情報が届いたんでな。いざ聞き込みに回ってみたら、この家だけセキュリティーが潰されてた。で、踏み込んだらこの有り様さ」
「被害者は管巻宣昭。元は農林省管轄の研究所に勤務してましたが、かなり以前に引退して今は何の変哲もない年金受給者です」
「家捜しした痕跡の中に狡噛と東雲の指紋があった。しかし何でまた…」

状況を把握しながら死体に目をやると、なんとも残虐な殺され方をしていた。
両目から出血、指も何故か切断されていた。そして何より、この首の傷。

「この首の傷、槙島聖護の仕業かも…。この老人が槙島の次の計画に関与していて、それを突き止めた狡噛さんと暁さんが駆け付けたものの一歩遅かった」
「やはり狡噛が先を行っているってことか…」
「それにしても、このじいさんがいったいどうして槙島に殺されたのか…。ここまで徹底して荒らされた後じゃな」

征陸さんの言う通り、室内は荒らされており、本棚の本や椅子などが散乱しているせいで捜査はかなり進めにくい。
そこでひとつ、疑問がわいた。

「……あの二人が今一番望まない展開は何でしょう?」
「槙島を取り逃がすことですよね」
「じゃあ、二番目に望まない展開は?」
「槙島を仕留める前に俺たちに見つかること…か」
「そうですね…その順序で考えましょう。もし先にこの現場に辿りついた狡噛さんと暁さんが死体をどこか見つかりにくい場所に隠していたら、管巻宣昭は行方不明のまま。私たちは見当違いの捜索を続け、さらに差をつけられていた。時間稼ぎにはそれが一番だったはず…」
「…はずなんだ」
「でもそうしなかった」

「あの二人は自信過剰なタイプじゃない……万が一自分達が失敗したときに、他の誰かが槙島を止められるよう手掛かりだけは残していったと思います。問題はその手掛かりにいつ気付くか。試されてるんです、私たち。槙島を追うために狡噛さんと同じかそれ以上の執念を持っているかどうか…。その覚悟がない人間はここで足止めされ、出遅れる」

そうだ。きっと狡噛さんならこういう推理をするだろう。そして暁さんもどちらかと言えばこういう考え方をする人だ。
なら、手掛かりはどこに?
死体を隠さなかった理由は…。

「喉と両目の傷を集中スキャン。何かない?」
『被害者の気道内部に金属反応を探知』
「手袋を!」
「お、おい!検死に任せろ」
「それがあの二人の時間稼ぎです。追い付こうと思ったら今この場で…」

ゴム手袋をはめて、ぐっ、と被害者の気道内部を探る。ぐちゃりと血と肉が擦れる音がするのを、執行官と宜野座さん達は驚いた表情で見ていた。彼らは私よりも場数が違う、でもだからこそ私がこんな強行手段に出るとは思わなかったのだろう。あのいつも冷静な六合塚さんですら目を見張っていた。
そこで何か固いものが指先にこつりと触れる。引っ張り出すと、ビニールの小さな袋が出てきた。

「洗浄!」

血と体液がついたビニールの袋をドローンにかざすと、直ぐ様洗浄させる。透明なビニールの中には、メモリーカードが入っていた。

「音声データですね」

ゴム手袋をひっぺがえすと腕の端末にメモリーカードを翳し、音声データを再生する。声は狡噛さんのものだった。

『元執行官の狡噛と東雲だ。このメッセージは、もうしばらくしたらやって来るであろう公安局の刑事に向けて残す』
「あいつ…!」
『被害者は元農学博士管巻宣昭。ハイパーオーツの疫病対策であるウカノミタマ・ウイルスの開発責任者。日本の完全食料自給に関わる最大の功労者だとされていた。槙島聖護は北陸の穀倉地帯を壊滅させるための何らかのアイデアを管巻教授から引き出し、そして殺した。死体は眼球をえぐられ、指は全て第二関節で切断。何らかのセキュリティーを突破するのに必要なのかもしれない』

狡噛さんの声は迷いがなく、ただ淡々と内容を綴る。

『防犯設備がサイマティックスキャンではなく、まだ旧式の生体認証に頼っていたころの古い施設。おそらくは管巻の研究チームが使っていた出雲大学のラボが怪しい。現在はウカノミタマ・ウイルスの管理センターに転用されている。そこが槙島の標的と予想される』
「穀倉地帯の壊滅…単独でバイオテロだと!?」
「急ぎましょう!今ならまだきっと間に合います!」














イエスは別の例えを持ち出して言われた。

天の国は次のように例えられる。
ある人がよい種を畑に撒いた。
人々が眠っている間に敵が来て麦の中に毒麦を撒いていった。















「…人、いないね」
「ああ」

田舎と言うには人が少なすぎる。というか誰も暮らしていないんじゃないだろうか。
風が通り抜ける穀倉地帯は異様に静まり返っていた。こんなところに来るのは初めてで、なんだか新鮮だ。

「…あれだな」

狡噛の後を追ってバイクから降りてそのまま進むと、すぐに大きなラボが見える。入り口付近まで近づいてみたはいいが、セキュリティー用の生体認証ドローンが設置されていてこのままでは中に入れそうにない。

「どうする?」

管巻の自宅で彼の死体を発見してからすぐにこちらに向かったけれど、槙島はもう到着しているだろう。中で毒を混ぜているのかもしれない。
私が尋ねると、狡噛は目を細めた。

そこで機械独特の音が聞こえてきて空を見上げる。黒くて威圧感のある機体、間違いない、あれは公安局のヘリだ。輸送目的で使われることが多いけど、東京からの移動距離を考えると今回はこのヘリで北陸まで来るのが得策だったのかもしれない。

「…みんなが来たよ。コンタクトとる?」
「ああ。お前がかけてくれ」

狡噛から端末を受けとると、朱ちゃんのデバイスの番号を入力して発信する。

『常守です』
「思いのほか早いお出ましだったね」
『公安局をなめないでください。あなた達だけが槙島を追い詰められるわけじゃありません』
「……槙島はもう施設内に入ってる。おそらく管巻がラボに残していった機材を使って、ウカノミタマの調整にとりかかっているはず。…あるいはもう終わらせているかもしれない」
『あの男の思い通りにはさせません』

よし、食いついてきた。

「だとしたら時間がない。彼のいじったウカノミタマをまき散らす前に、ここの施設そのものを停止させるしかない。公安局の権限でこの施設への電力供給を遮断できるはずだよね?」
『その場合、センターの機能だけでなくセキュリティーシステムも全滅です。あなた達の狙いはそれですね。私たちを利用してセキュリティーを解除させ、先回りして槙島を殺すつもりでしょう?やらせませんよ、絶対に』

さすが朱ちゃん。鋭い。痛いとこ付いてくるなぁなんて感心するが、そんな悠長なことも言ってられないのだ。
狡噛は黙って俯いていた。

「槙島はこの国を潰す気でいる。今、公安局が選べる選択肢は一つだけ。電力を止めなさい。それでこの国が救われる」
『私はあなた方も救います。狡噛慎也と東雲暁を殺人犯にはさせません』















『なら、早い者勝ちだね』

ぷつり、とそこで応答が切れる。私はデバイスを一瞥すると、巨大なラボの入り口を見つめる。

「この施設、セキュリティーシステムの権限だけ農林省から委譲してもらうわけにはいかないんですか?」
「手続きに時間を食う。その隙に槙島が王手をかけるかもしれん 。ここは東雲の言うとおり施設そのものを停止させるしか手はない。…六合塚」
『予備電源への切り替えコマンドは凍結済みです。あとは発電所からの送電を止めるだけ』

宜野座さんの模範回答にヘリの中でセキュリティ操作をしていた六合塚さんがデバイスから応答した。

「ひとつ確認させてください。もし狡噛さんと遭遇したとき、犯罪係数が300を超えてエリミネーターが起動するようなら、発砲を控えて私を呼んでください」
「君を呼んでどうなる?」
「狡噛さん相手には切り札があります。大丈夫、まかせてください」

ふわりと風が通り抜ける。
私は手に持ったドミネーターを見つめた。

「私たちはこれから槙島聖護を追う。協力してくれるわよね?」
『無論です』
「なら、この銃のセーフティーを解除したまま機能をパラライザーに固定して。できるでしょ?」
『ドミネーターは計測した犯罪係数に基づいて執行モードが決定されます。これは現在の治安維持の根幹であり、不可侵のシステムです』
「槙島に立ち向かうにはそれ相応の強力な武器がいる。私たちだって自分の身は守らなきゃならない。もしドミネーターが使えないなら、より原始的な武器に頼るしかなくなるわ。最悪の場合、それで槙島を殺す羽目になるかもしれない」
『それはあなた方の自助努力の欠落によるものです』
「私たちの能力には限界があるし、槙島を無事確保できる確率は100%に及ばないわ。ここであなたたちが一つ特例を認めれば、その確率を少し改善できる。何が最善の判断か考えてみなさいよ。損得勘定は得意でしょ?」
『現時点より槙島聖護の捕獲の達成に至るまで該当する端末装置の特例を許可します。セーフティー常時解除 モード ノンリーサル・パラライザー ただし他の捜査官には露見しないよう、運用には細心の注意を払ってください』
「わかってるわ」


納得のいかないことは山ほどある。
あの怪物の正体が暁さんだなんて今も信じられない。

けれど、彼女は選んだ。
狡噛さんも選んだ。
槙島も選んだのだ。
あの三人は、私が絶対に侵入できない領域にいて、それでいて三人で何か同じものを共有している。それを三人とも気づいていて、それでいて今の道を選んだのだ。
これは悲しい選択だ。だけど、これが彼らの出した結論ならば私も私の意思を持って選択し、そして進まなければならない。

私もまた、選んだのだ。

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