僕を選んでほしい。
あの男じゃなくて僕を選んでほしいんだ。
他にはもう何もいらない。欲しいものはないから。

どうか僕を愛してほしい。



















『以上がシビュラシステム…すなわち我々についての真相です』
「縢君は…ここで死んだの?あなたたちが殺したの?」

厚生省公安局ノナタワー、地下。
私が暁さんの部屋を見ていると、それは大きな車体を動かして私の目の前に現れた。
ドミネーター。
それに…いや、彼女達に促されるまま踏み込んだ地下の施設は、予想だにしないものだったのだ。

『縢秀星が生涯を通じて社会に果たす貢献とシビュラシステムの機密漏洩の危険を比較検討し、後者の方がより重大であると判断しました』
「ふざけないでよ!何が重大だってのよ!槙島を裁けなかった役立たずのくせに!暁さんの人生をめちゃくちゃにして…!」
『そのとおり。シビュラシステムがサイコパスを解析できない免罪体質者の発生は確率的に不可避です。いかに緻密で堅牢なシステムを構築しようと、必ずそれを逸脱するイレギュラーは一定数で出現します』
「完璧なシステムが聞いて呆れるわ。こんなものが人の生き死にを決めてるなんて…」

無数の脳が透明なボックスにいれられ、固定されたアームで様々な場所に移動する。
これが、全部暁さんの脳だなんて。

『ただシステムを改善し複雑化するだけでは永遠に完璧さは望めない。ならば機能ではなく、運用のしかたによって矛盾を解消するしかない。管理しきれないイレギュラーの出現を許容し、共存できる手段を講じることでシステムは事実上の完璧さを獲得します』
「どういうことよ?」
『システムを逸脱した者にはシステムの運営を委ねればいい。これが最も合理的結論です。我々はかつて個別の人格と肉体を備えていたころは、いずれもシビュラシステムの管理を逸脱した免罪体質者でした。今現在は免罪体質者である東雲暁のクローン…つまり我々が運営にあたっていますが、これは極めて例外的な措置です』
「どうして今はそんな"例外的な措置"がとられているの?」
『正直に申しましょう、藤間幸三郎が槙島聖護への御膳立てのために脳ユニットの強制入れ替えを行ったためです。それは当時のシビュラシステムの総意ではありましたが、妹達の間では浅はかな行為だったと揶揄されています。そもそも妹達の脳は補助ユニットで、メインで使われる予定のなかったものです』
「そうなる前は…」
『はい。かつては、槙島聖護よりはるかに残忍な行為を行った個体も多数含まれていました』
「じゃあシビュラって…。悪人の脳をかき集めた怪物がこの世界を仕切ってたっていうの?」

私が声を荒らげると、ドミネーターがまた静かに抑揚のない声で言葉を紡ぐ。

『まず初めに、善と悪といった相対的な価値観を排斥することで絶対的なシステムが確立されるのです。必要なのは、完璧にして無謬のシステムそのもの。それを誰がどのように運営するかは問題ではありません』
「バカ言わないで!」
『真に完成されたシステムであれば運用者の意志は問われません。我々シビュラの意志そのものがシステムであり倫理を超越した普遍的価値基準なのです』
「ふざけないでよ!何様のつもりよ!」
『ここにいる各々が、人格に多くの問題を抱えていたのは事実です。厳密に言えば、東雲暁自身も異常人格者です』
「暁さんはそんなんじゃない!私は彼女をよく知ってる!」
『それは彼女がシビュラに洗脳教育をされたためであり、本質的な部分の異常性は確かに存在します。話を戻します、しかし全員の精神が統合され調和することによって普遍的価値基準を獲得するに至っています。むしろ構成因子となる個体の指向性は、偏った特異なものほど我々の認識に新たな着想と価値観をもたらし、思考をより柔軟で多角的なものへと発展させます。その点において槙島聖護の特異性は極めて貴重なケースであり、一際有用な構成員として期待されます。あらゆる矛盾と不公平の解消された合理的社会の実現、それこそが全ての人類の理性が求める究極の幸福です。完全無欠のシステムとして完成することにより、シビュラはその理想を体現する存在となりました』
「なぜ…そんな話を私に?」
『今、あなたはわれわれを生理的に嫌悪し、感情的に憎悪している。それでもシビュラシステムの有意性と必要性は否定できていない。シビュラなくしては現在の社会秩序が成立しないという事実を、まず大前提としてわきまえている。正当性よりも必要性に重きを置くあなたの価値基準を、我々は高く評価しています』
「秘密を守るために縢君まで殺したくせに…」
『常守朱はシビュラシステムと共通の目的意識を備えている。故にあなたが我々と姉様の秘密を暴露してシステムを危険にさらす可能性は限りなく低いものと判定しました』
「なめるんじゃないわよ!あんたなんか…あんたなんか…!」
『再確認しましょう。常守朱…あなたはシビュラシステムのない世界を望みますか?』

息をのんだ。
ダメだ、頷けない。私には…今のシビュラに勝るシステムは、想像できない。

『そう頷こうとして躊躇してしまう。あなたが思い描く理想は、現時点で達成されている社会秩序を否定できるほど明瞭で確固たるものではない。あなたは現在の平和な社会を、市民の幸福と秩序による安息を何より重要なものとして認識している。故にその礎となっているシビュラシステムをいかに憎悪し、否定しようとも拒絶することはできない』
「知ったような口を利かないで!」
「サイマティックスキャンによる反応を解析すれば、あなたの思考は全て明確に把握できるわ」

私が叫ぶと、背後から足音が聞こえた。
暁さんだ。いや、違う…?暁さんはここにはいない。だとしたら、目の前の彼女は、暁さんの形をした別の何か…例えば…

「へえ、驚かないんだ。つまんない」
「貴女は…暁さんじゃないわね」
「うん。でも本物そっくりでしょ?これ、自信作なんだよ。ずっとお蔵入りになってたんだけど、案外悪くないわ」

サイボーグはにこにこと笑うと、手を広げた。

「虚勢を捨て、腹を割って話し合いをしよう。この会見の目的は、私たちとあなたの協力関係を構築することなんだからさぁ」
「協力?」

一歩後ずさるとドミネーターがちかちかと光った。

『刑事課一係は目下のところ危機的状況にあります。狡噛慎也の暴走、宜野座伸元の消耗、そして東雲暁の逃走により、チームは機能不全の兆しを見せ始めている』
「新たな統率者が捜査の主導権を握らないかぎり、槙島聖護の追跡は成果を望めないよ。…んー、いい眺め。みんなぁー!こっち、絶景だよー!」
「宜野座さんが…消耗?」

サイボーグはぺたぺたと歩いて私の横に並ぶと、脳ユニットを眺める。
そういえば、暁さんが別れ際に宜野座さんの心配をしていたけど…。
そんな私の思案をよそに、ドミネーターはまた勝手に喋り始める。

『常守朱。あなたもまた余計な葛藤にとらわれて、本来発揮し得る潜在能力を発揮できていなかった。状況に対する理解の不足が、あなたの判断力を鈍らせていたのです。そこで我々は、特例的な措置としてシビュラシステムの真実をあなたに開示しました。真相を教えることが、あなたという人物にモチベーションを与える上で、最善な方法と判断したからです』
「常守監視官…あなたも槙島聖護に対する狡噛慎也の私的制裁を否定しているよね。あなたも私達も、感情論による無益な犠牲を避けようとしている点で価値観は共通していると思わない?」
「私は槙島の罪が正しく裁かれるべきだと思っているだけ。あなたたちだって法を犯した前科があるならそれに見合った償いをするべきなのよ」

私がサイボーグを睨むと、彼女は声を上げて笑った。渇いた笑い声が施設内に響く。

「今のシビュラ…"妹達"に前科はないよ?それに、他の奴らにしても、社会に対する貢献は過去の被害に対する補償として十分に過ぎるものだ」
「…都合がいいのね」
「事実でしょ?」

つやのある白い歯が口から覗く。悪戯っ子のような笑みを浮かべる彼女には、腹が立った。

「それで、本題に入りたいんだけどさぁ」











手から端末が滑り落ちる。ソファーをバウンドし、床に落ちたそれはまだ何か言っていたが私は何も考えられなかった。

「すまない」

雑賀教授は立ち上がり床に転がってまだ何か話続ける端末を取ると、眼鏡を押し上げ向かいのソファーに再び座った。

「知ってたんですね」
「…全てを知っているわけではない。ただ彼女は、これを自宅からではなく、君がいた施設の事務室の電話からかけていた」
「どういうことですか」
「この電話がかかってきた翌日、彼女の遺体がノナタワーの最上階で発見されていたらしい。ただの噂だ。彼女の遺体は誰も見ていない」
「?」
「最初から死ぬ気だったんだ。彼女の望みは俺にメッセージを残したのが公安局にバレないように、行方不明という形で死ぬこと。そしてシビュラシステムは彼女の自殺に加担した。…自分達を作った愛する母親の最期の望みのためにな」
「最後は憶測ですか」
「憶測だが、的は射ていると思う」

私が雑賀教授を睨み付けると、彼は少し困ったような顔をした。
この男は、このメッセージと母親の行動からシビュラシステムが私のクローンによって動いていることに気付いていた。そう言えば私の母はシビュラシステムの完成させた立役者だと以前藤間が言っていた。 恐らく母の遺体はドローンを使ってどこかに移動させたか、あるいはドミネーターのデコンポーザーを用いて文字通り消したか。

「殺される方が消えるより簡単…」
「君のお母さんは、"行方不明"だ」




















「それで、本題に入りたいんだが」
「なに?」

暁はきょとんとした顔で俺を見上げた。

「お前はここにいろ」
「え」
「先生にも頼んでおいた。しばらくの間はここに、」

俺が言い放つと、暁は目を見開いた。
雑賀教授の家を出てハイパーオーツ開発の専門家である菅巻の自宅に向かうと決めた矢先のことだ。
これ以上巻き込むわけにはいかない。これは俺の私刑だ。彼女は何の関係もない。

「どうしてそんなこと」
「お前を」

巻き込みたくない。そう言おうとしたら、張り手を食らった。
ぱん、と乾いた音が客間に響く。じんわりと頬に痛みが走る。

「どうして」

暁は俯いて泣いていた。どうして俺はこいつを泣かせることしか出来ないんだろう。どうしてこいつを幸せにしてやれないんだろう。

答えは簡単だ。
俺は暁よりも自分が大事だからだ。
俺は暁の幸せよりも、槙島の殺害を選んだからだ。だから公安から逃亡した。槙島を殺すために。不当な殺処分から逃れるためでもあるが。

「結局、俺は自分が一番かわいいんだ。お前を幸せにしてやることはできない。連れ出しておいて情けない言い種だが」
「何言ってんの」

いつもより低い彼女の声が、小さく聞こえた。怒っているときの声だ。

「誰が幸せにしてなんて頼んだ?言っとくけど、私は幸せにしてもらおうなんて考えてないから。自分の道は自分で切り開く」

俺が言い淀んでいると、彼女は顔を上げていつもの笑顔で笑った。泣いたせいで少しだけ目元が赤く腫れている。

「それに、私はもう幸せだよ。私、今が幸せなんだよ。なのに、何でそんなこと言うの」

凛とした顔つきで暁がじっと俺を見つめる。

「…私は、自分の意思でここにきたの。だから、狡噛慎也、あなたになんと言われようと私は私の意思を全うします。だいたいねぇ、私達自分勝手に公安から飛び出したんだから、今後どうなろうと仕方のないことなんだよ?私が死ぬかもしれないのは最初からわかってたことでしょ。何いまさらびびってんの」
「お二人さん、外まで聞こえてるぞ」

ドアに寄り掛かって苦笑いする先生に、暁は肩を竦めた。

「すみません、お世話おかけしまして」
「若いってのはいいな。狡噛、大事にしろよ」
「…はい」

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