神様は誰も一人で世界の隅っこで泣かないように地球を丸くしたんだって。
だから君は一人じゃないよ。
私が友達になるから、そんな顔しないで。

「嘘つき」

君は君らしく生きなよ。

「神様は…君は僕を独りにしたじゃないか」
















「目が覚めたか」

ソファーに寝転んで目を閉じてみたが、寝付くことは出来なかった。薄く目を開けて天井を仰いでいると、布と布が擦れる音がする。音源の方へ視線をやると、寝起きの暁がぼけっとした顔で起き上がり、目を瞬かせているところだった。

「気分は?」
「…微妙」

額に手をやってうつ向く彼女は、不快そうに言い放つと小さく息を吐いた。

「…夢でも見たのか」
「うん…そんなとこ。狡噛は?いつ来たの?寝てないの?」
「さっきだ。槙島のことを考えると、寝付けなくてな」
「ふーん」

タオルケットを羽織ったままベッドからするすると這い出て俺のところまで来ると、眉尻を下げて目を細める。隈はもう消えていた。顔色も悪くない。

「なんかそれ、むかつく」
「は?」

ばさりとタオルケットを少し乱暴に俺の頭にかけると、暁が膝の上にのし掛かってくる。前が見えない。タオルケットを掴んで退けると、彼女はくすくすと悪戯っ子のように笑った。
息苦しくないようにと寛げられたワイシャツから胸元がちらちらと見える。

「だって、それって狡噛の頭の中は槙島でいっぱいってことでしょ?」
「…そういうわけじゃ」
「それでイライラしちゃうなら、もっと私のことで頭いっぱいにしてよ」

なんて口説き文句だろう。寝起きでテンションが高いのか、そんなことを平然と言ってのけると暁は小さな欠伸をして俺の胸元にもたれてきた。
呆れたように笑って強く俺の肩を押し、そのままソファーに寝転がると、また暁がくすくすと笑った。

「…寂しさって、人から人へ"感染する"んだって」
「ああ、聞いたことがある」
「2009年の米国の研究でわかってたらしいの。寂しさは集団の間で広がっていき、男性よりも女性の方がその傾向が強いんだって。寂しいと感じている人は悲しげな気持ちを周囲の人に波及させる傾向があって、最終的に社会から孤立していくことになる」

槙島のように。

口にはしなかったが、頭の中でぼんやりとそんな声が聞こえた。子守唄のような柔らかな彼女の声が鼓膜を震わせる。

「人は寂しくなると、社会的ネットワークの端に追い込まれてしまうという特別な感染パターンがある。社会の端に追い込まれた人には友人が少ないが、残された数少ない絆も寂しさのせいで失うことになるんだって。セーターの端で毛糸が緩むように、私達の社会の仕組みは端の方で擦り切れやすい。それはどんな時代になっても」

目を伏せてぽつぽつと呟く彼女の声がひどく哀しそうなものだから、俺は何も言えなくなってしまった。
何が言いたいのかはわかる。でも、どうしてやればいいのかわからない。今の俺に出来ることは、彼女の体を抱きすくめることくらいだ。

「寂しいよ。多分、槙島も」
「…暁」
「だから、慎也にも伝染っちゃったかもしれない。私の"寂しい"気持ち」













「ほんとに…出てっちゃった…」

やっぱり、あの時止めればよかったのかもなんて今さらだけど。
狡噛さんと暁さんが逃亡してから一夜明けた、今日。私は暁さんの部屋を訪れていた。執行官の寮に来るのも久しぶりだ。

彼女の部屋は当然ながら何の音もしなくて、ほんとにいなくなってしまったんだと切に感じる。
配属したての私を彼女が叱責したことや、この部屋でお菓子を頂いてお泊まり会をしたことが思い出される。そうそう、あの時は確か狡噛さんが黙って急に部屋に入ってきて、びっくりした私が変な気を使って笑われちゃったんだよね。
他にも、暁さんとの思い出はいろいろある。お泊まり会の翌日は二人でデートしたんだよね。私が行きたかっただけのペットショップについてきてくれて、それからカフェでお茶もした。恋の話もしたし、仕事の話も…それに…。

いろいろと思い出していると、いつの間にか泣いていた。
部屋の電気をつけて、鏡で確認すると汚い顔で泣いている私がうつって、慌ててハンカチで涙を拭く。ああ、私暁さんのこと好きだったんだな。やっぱり止めればよかった。あれは彼女と狡噛さんの逃亡に手を貸した執行官たちのせめてもの計らいだったのだ。見逃すか否かはみんな私の判断に任せていたのだ。

あのエレベーターで遭遇したときに、私が黙って彼女を捕まえてしまえばよかった。それでまた拘置所に入れてしまえば、彼女はもう二度と逃げなかっただろう。
どうして出ていってしまったの?
どうして槙島と手を組んだの?
どうして?

「どうしてですか…」

玄関に、一緒に出掛けたときに購入した彼女のミュールが転がっていた。
室内に踏み込むと、あの日のままの室内が沈黙を貫いたまま私を迎えた。シンプルなソファーやテーブル、ベッドやデスク、サイドボードの位置まで何も変わってない。
何もかも、あの日のままだ。

でも、あの日とはひとつだけ違うところがある。
テーブルの上に、メモ帳が投げ出されていた。不思議に思ってそれに触れるが、メモ帳は白紙だった。
でも、何だろう?薄くだけど、文字の痕のようなものが見える。
持っていたシャープペンを胸ポケットから取り出すと、私はそれを黒鉛で塗りつぶしていく。少し強めの筆圧で書いたならば、上に書いた文字が下の用紙にうつっていてもおかしくない。
何かのメッセージかもしれない。

「し、びゅら…の…しょう…たいは…」

シビュラの正体は

「え?」

かたん、とシャープペンが床に落ちた。掌に力が入らない。
辛うじてメモ用紙だけは持つことができたが、冷静な思考は出来なかった。
冗談にしては、たちが悪い。そもそも彼女はこんな冗談を言う人間ではないし、だとしたらこの内容は真実だということになる。

「そんな…」

シビュラの正体は無数の脳によって形成されたPDPモデルを模した、並列分散処理システム。だが実のところ、その無数の脳は私のクローンのものであり、このシステムの核が










私。



















「何ですか、これ。匿名掲示板?」
「ああ。海外のサーバを経由してる。ここを使ってるのは元大学教授やジャーナリスト、評論家、文学者。シビュラシステムによって用済みになったとされた人々。今でもこう鬱憤が溜まると書き込む訳さ。シビュラなんてロクなモンじゃない。ここがこんなに問題だ、ってね。不毛かもしれないが、こんな場所が無いよりは良いだろう。さっき一つスレッドを立てて置いた」

書斎に通された私と狡噛は、雑賀教授に促されるままディスプレイを眺めていた。こういう場が今も存在していたのに少し驚いた。こんな風刺的な内容を書き込む人間がいることも驚きだ。
彼がクリックしたスレッドのタイトルは『5日間でシビュラシステムを完全崩壊させる方法は?』。

「これって…」
「皆面白い遊びだと思って乗って来てくれてね」
「どうにも馬鹿げた冗談ばかりに見えますが?」

画面をスクロールすると様々な内容が表示される。私も目を通すが、確かに内容としては少し浅はかなものが多い。

「なら、お前達が一番面白いと思った情報を探せ。お前らと槙島は似た者同士だ。そのインスピレーションを信じて見ると良い」

私と狡噛は目をあわせると、渋々書き込みを見ていく。
いろいろあるなぁ…街頭スキャナーの破壊、パンデミック、他にも……狡噛は速読が得意なので次々にページをスクロールしていくが、私はそうでもないので読める範囲で探していた。
するとすぐに狡噛の手が止まった。

「どれ?」
「これだ」
「食料不足がシビュラシステムの崩壊?」

狡噛は詳細のリンクをクリックした。
雑賀教授もじっと画面を見つめる。

「ハイパーオーツ?」
「えーと、なになに……今この国の食卓に並ぶのは、99%がハイパーオーツを原料とする加工食品です。究極の収穫効率を誇る遺伝子組み換え麦、ただ一品目に依存しています。多様性を失った大量の"単一種"。成程、一つ致命的な欠陥が見つかれば一気に全滅する可能性もある…」

私が読み上げると、雑賀教授は眼鏡を押し上げた。

「これが槙島の次の狙いかも」
「食料の自給か」
「はい。この手があったかと。農作物、生産体制、遺伝子組み換え……その辺りの資料はありませんか?」
「任せろ」

遺伝子、組み換え。
遺伝子。

背筋がひんやりとする。

人口の激減とシビュラシステムの完成により、人口の都市部への一極集中は歯止めがきかなくなった。だが人は動けても土地は動かせない。農地に置ける第一次産業は最早完全自動化を余儀なくされた。
ドローンによる作業の機械化。遺伝子改良されたハイパーオーツと善玉ウイルスによる疫病対策。
こうして完全無人化農耕システムが完成されたことにより、この国から農業という職業は消え失せた。今では北陸全域が人口ゼロの巨大穀倉基地になっている。
もし仮に農作物の健康管理にトラブルが生じたら、単一品種のハイパーオーツは疫病によって壊滅的な被害を被るだろうし、自給体制が崩壊すれば、日本は再び食料を輸入しなければならない。他国に対するコミュニケーションを拒絶していたそれを急激に改めなければならない。食料不足によって日本国民全体の犯罪係数も上昇する。
食料輸入を解禁すれば、国境警備をどうしても緩めなければならない。それによって難民の流入も始まる。そうすれば、犯罪係数そのものが意味をなさなくなる。
これなら、シビュラシステムを壊せる。













『常守朱監視官、今から貴方に全ての真実を告げましょう』










"寂しさの伝染"について Journal of Personality and Social Psychologyより 一部抜粋

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