「貴様は孤独に耐えられなかっただけだ」
「この社会に孤独でない人間など誰がいる?誰もがシステムに見守られ、システムの規範にそって生きる世界には人の輪なんて必要ない。みんな小さな独房の中で自分だけの安らぎに飼いなされているだけだ。君だってそうだろ?狡噛慎也。誰も君の正義を認めなかった。君の怒りを理解しなかった。…だから君は信頼にも友情にも背を向けて、たった一つ自分に残された彼女さえ危険に晒してここまで来た。そんな君が僕の…僕らの孤独を笑うのか」
「暁とお前を一緒にするな」
「一緒だよ。彼女と僕は同じなんだ。だがね、僕はむしろ評価する。孤独を恐れない者を…孤独を武器にしてきた、君を」















自ら進んで求めた孤独や他者からの分離は、人間関係から生ずる苦悩に対してもっとも手近な防衛となるものである。

フロイト
















「そこまでです、狡噛さん!動かないでください!」

グレネード弾が俺と槙島の間に投げられ、俺達は思わず互いに後ずさった。
槙島が蹴りあげたグレネード弾が頭上で激しく弾ける。その隙に槙島は外に逃げたようだった。

声の主を見るとやはりというかなんというか、予想通り常守朱だった。ドミネーターを俺に向けたまま、常守はけして引かない。いつからこんな強い女になったんだ、こいつは。
仕方なくため息を吐いて手に持っていたナイフを落として手を上げると、常守は床に落ちていたリボルバー式拳銃を拾い上げた。

「暁は」
「会ってません。宜野座さんも知らないと」
「……槙島もすぐそばにいるぞ」
「わかってます。あの男も捕まえます」
「ここで俺にワッパをかけて後はあんた一人で槙島を追う気か?」
「そこまで無謀じゃありませんよ、私」

俺がしげしげと彼女の横顔を眺めると、常守は作り笑いをして誤魔化すように口角をほんの少しだけ上げた。その時の笑い方が無理をして笑う暁のそれと似ていて、何ともいたたまれなくなった。
拳銃のチェックを終えたらしく、今度は持っていたドミネーターを使えとばかりに俺に押し付ける。

「セーフティーは解除されたままでパラライザーで固定されています。今のあなたにも使えるはずです。…手伝ってください。槙島はパラライザーで麻痺させるだけ。それ以上のことをしようとしたら、私はあなたの足を撃ちます」
「…驚いたね。タフになると思っちゃいたが、まだもう少し可愛げがあってもよかったと思うぜ」

これではまるで昔の暁のようだ。

俺に選択の余地はないらしく、常守に押し付けられたドミネーターを握った。確かにあの赤いエラーランプは点らない。ドミネーターは何も喋らず、今日は沈黙を貫き通していた。

「あんたがどうあっても槙島を殺さないのは……」
「違法だからです。犯罪を見過ごせないからです」
「悪人を裁けず人を守れない法律を何でそうまでして守り通そうとするんだ」
「法が人を守るんじゃない。人が法を守るんです。これまで悪を憎んで正しい生き方を探し求めてきた人の思いが……その積み重ねが"法"なんです。それは条文でもシステムでもない。誰もが心の中に抱えてる脆くてかけがえのない思いです。怒りや憎しみの力に比べたらどうしようもなく簡単に崩れてしまうものなんです。だからよりよい世界を作ろうとした過去全ての人たちの祈りを無意味にしてしまわないために……それは最後まで頑張って守り通さなきゃいけないんです。諦めちゃいけないんです」
「いつか誰もがそう思う時代が来れば、そのときはシビュラシステムなんて消えちまうだろう。潜在犯も執行官もいなくなるだろう。だが……」
















「いい加減僕達を侮辱するのは…やめてほしい」

トラックで逃走を謀ったはいいが、常守朱が荷台にしがみついていた。ミラーからみた彼女の目は、どこか見覚えのあるものだった。…ああ、思い出した。彼女だ。強い意思の籠った目。迷いのない、己の信念を貫き通している人間の目じゃないか。

常守朱の撃った弾がタイヤに当たり、トラックは横転した。その勢いで僕と彼女とトラックは麦畑に滑り込み、激しい振動と共に停止した。
出血が酷いな……目眩もする。狡噛にナイフで左の腹の辺りを切られたせいで、僕のシャツの胸元は赤く染まっていた。
久しぶりに見る赤だ。真っ白な僕の身体の中にもこんな禍々しい鮮血が溢れて波打っていたとは俄に信じがたい。

常守朱は地に伏したまま動かなかった。恐らく気絶しているのだろう。
麦畑に突っ込んだのが功を奏したのか彼女の外傷はほとんどなく、土や砂がレイドジャケットを薄く汚しているだけだった。
何故かそれにも妙に苛立って僕は彼女が握っていた拳銃を拾い上げると、彼女の頭を踏みつけて銃口を彼女の頭に向ける。
引き金を引くが弾切れらしく、カチカチと空しい音がするだけだった。そこで漸く気づいたのだ。

「そうか、君は…」

そこまで言って唇をきゅっと引き結んだ。拳銃を放り投げて、出来るだけ来た道とは逆方向へと走る。あの丘に行かなければ。彼女が僕を待っている。早く、早く暁に会わなければ。

整わない呼吸に自嘲しながら、なんとか傷口を押さえて走る。走れば走るほど傷口がずきずきと痛んだ。止まらない血がぽたぽたと零れて、まるで僕の存在を証明するかのように滴っては落ちる。
皮肉にも、それが一種の道しるべとなっているのはわかっていた。

足が縺れて上手く前へ進めない。躓いて思わず地面に手をつく。満身創痍というやつだ。はあはあと大きく息を吐き、目を見開いてそのまま下に目をやった。
赤く染まった僕の手の跡がべっとりと地面についている。汗が額から流れ落ちて、喉の奥が麻痺しているのかひりひりとした。眼球の奥がじんとして、頬に汗とは別の何かが伝う。それをそっと袖で拭って、また立ち上がった。白かったシャツは血と汗とそれで茶色く汚れていた。だがそれを嫌だとは思わなかった。

誰だって孤独だ。
誰だって虚ろだ。
もう誰も他人を必要としない。
どんな才能もスペアが見つかる。
どんな関係でも取りかえがきく。

そんな世界に、飽きていた。

でもどうしてかな?
僕が君以外の誰かに殺される光景は、どうしても思い浮かばないんだ。

「聖護」

夕焼けに染まる朱色の空と木を背に、彼女は丘の上から僕を静かに見下ろしていた。その顔の、なんと穏やかなことか。
目尻を緩ませて柔らかい表情を浮かべる彼女は、僕が先ほどかけておいた白いコートを羽織っていた。風にコートがはためく。彼女には少し大きなサイズなのか服に着られているようにも見えるが、その姿すらいとおしい。

「…もう会えないと思ってた」
「私も」

僕が囁くような声で呟くと、彼女は少しも表情を変えずにこちらに近づいてきた。棒立ちになっている僕の目の前まで来ると、目を伏せる。風に髪が躍る。
誰かが、神様だよと僕の耳元で囁いたような気がした。

「もう、白昼夢は終わる」
「…」
「でも…忘れないで。明けない夜はない。朝はいつだって、何度だってやって来るのよ」

ほっとした。

手を広げて空を見上げる。
燃えるような朱色は、夜の闇と微かに残った夕焼けの色とが混ざって薄く青紫色に変わり、もしかすると今は朝なのではないかとすら思わせる。だが、そんなことがあるはずもなく。手をするりと下ろした。膝だちでただ静かに上を見上げる。
背後に人の気配を感じて、そのままの体勢で口を開いた。何故だか、僕の心は穏やかだった。

「なあ、どうなんだ、狡噛。君はこの後、僕の代わりを見つけられるのか」

「いいや。…もう二度とごめんだね」















あの三人は初めて出会うより以前からああなる運命だったんだろう。
すれ違っていたわけでもない。
わかりあえなかったわけでもない。
彼らは誰よりもお互いを理解し、互いのことだけを見つめていた。













「明けない夜はない。朝はいつだって、何度だってやって来るのよ」

槙島の遺体を挟んで俺と彼女は対峙していた。
先ほどまで少しだけ顔を覗かせていた太陽は完全に山の彼方に隠れ、本格的に暗くなってくる。代わりに月が現れて、あっという間に丘の上は夜の帷に包まれていた。

「ねえ、慎也」

うつ伏せに倒れた目の前の遺体の前にかがみこむと、彼女は肩にかけていた白いコートを自らの肩を抱くようにして大切そうに留めていた。風で飛んでしまわないように。

正確に頭を撃ち抜いたせいで、槙島の血が波紋のようにゆっくりと丘の上の芝生────と言うよりも雑草に近い────を赤黒く染めている。
彼女はその血液が靴や服の裾に着くのも気にせずに、無表情で槙島の髪に指を絡ませた。

「別れよう」

表情ひとつ崩さず、彼女はただ真っ直ぐ槙島の死体を見つめていた。
なんとなくそう言われる気はしていた。だから別段驚かなかったが、何と返せばよいかわからず俺は黙り込んだ。

「それと、お願いがあるの」

彼女は俺の話を聞く気など毛頭ないとでも言いたげに、静かに捲し立てた。
血液で微かに汚れた自らの手をじっと眺めると、肩にかけていた白いコートを槙島の頭にばさりと掛けた。
その時、風がやんだのだ。俺は思わず目を見開いた。そこでリボルバー式拳銃を握っていた右手が少しだけ震えているのに気付いた。俺は恐怖していた。
槙島聖護でもなく、常守朱でもない。俺は東雲暁を酷く恐れているのだ。

「ここで私を殺して」

いつか、こんなことになるんじゃないかと思った日があった。嫌な予感ばかりが的中する。彼女はすくりと立ち上がると、力の入らない俺の右手を掴んで、その銃口を自らの眉間に当てた。引き金を引けば、彼女の生命は消し飛ぶ。俺が彼女の生を支配する、最短の距離。

そして、感情のない抑揚のない愛のない、冷ややかな声で何でもないように反復した。

「ここで私を殺して」

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