がしゃん、と音がした。
誰かが叫んでいる。
その後に爆発音が聞こえた。
さらに後に誰かが走り抜ける足音。
銃声。

「ん…」

頭がズキズキと痛む。槙島に気絶させられていた私は、すぐそばにあった研究室に運ばれていたらしい。見覚えのある白いコートがかけられていた。
床に寝転がっていたせいで身体の節々が痛い。だが、今はそんなことを考えている暇などないのだ。

白いコートを掴んで研究室のドアを少し乱暴にあけると、廊下の突き当たりのドアが少し開いていた。
不審に思ってナイフに手をやりながら室内に入る。

「…ぎの」

私はひどく混乱していた。目の前の光景を理解できない。こんなのは何かの間違いだ。信じたくない。

「…ぎの……まさおか…さんが」
「…」

こんなの、間違ってる。絶対間違ってる。
私は頭の中で何度もそう呟いた。
でも、何も間違ってなかった。間違っているのは私の方だったのだ。

「東雲…」

宜野座監視官はただただ父親の亡骸を見下ろしていた。いつもかけている眼鏡はぐしゃぐしゃによれてコンテナの傍に投げ出されている。異様なまでに静かな空間も相まって、お腹の奥がぐるぐるとする。

私は何も言えなかった。ただその場にしゃがみこんで、呆然とすることしかできない。
床に血まみれで横たわる男性を私はよく知っている。
あまりの驚きに涙も出ない。声が出ない。だって私まだ、この人に何も恩を返せてない。

「くそ……!」

宜野を見上げて初めて我にかえる。
彼は歯をくいしばって亡骸を睨み付けていた。そこで気がついた。

宜野の左腕が折れている。
不自然な方向に曲がっている。レイドジャケットには血がべったりとついており、何かの下敷きにならない限りこんな怪我は有り得ないとすぐにわかる。
骨が完全にやられてる。おそらく神経もぐちゃぐちゃだろう、これを治すのは多分不可能だ。切断して義手にするしかない。そして今も、彼の左腕は出血が止まっていない。このままでは失血死してしまうかもしれない。

「ぎの、腕が…」
「黙れ」

私が漏らした声を制する様に、宜野は言葉を続けた。

「…俺はお前が嫌いだ」
「…」
「お前なんか大嫌いだ」

宜野の言葉に口をつぐんだ。嫌われて当然のことをしたのだからこんなことを言われるのはわかっていたはずなのに、傷ついている自分がいる。
宜野はじっと私の目を見る。私は何も言えなかった。

「お前なんか、大嫌いだ」
「……ごめん」
「お前の顔なんか見たくない、消えてくれ」

宜野はそう言うと私から顔を背けた。

「…」

私は持っていた端末を取り出すと、朱ちゃんの番号にかける。

『常守です!どうしました?!』
「…東雲です。今大学のラボにいます。重傷の刑事が二名、救護用ドローンの派遣要請をお願いします」
『重傷って、』
「…事態は一刻を争います。急いでください」
『待って、二名って、まさか』

朱ちゃんが言い終える前に電話を切った。
端末をしまい込むと、私はゆっくり立ち上がって、もうひとつ別の通路へ繋がる扉を見つめた。槙島はきっとこっちから逃げたんだ。

「…」

多分、宜野と会うことはもう二度とないだろう。直感的にそう思った。
彼は、私のことを二度と許さないだろう。全部私が悪いのだ。当然の結末と言える。

「今までありがとう。裏切ってごめん。…謝ってもどうにもならないけど」
「…」
「さよなら」

私の初めての上司。大切な友達だと思っていたのは私だけかもしれない。でも彼に酷いことをしてしまった。もう二度と私は公安局に戻れない。

一礼すると、さっきの扉を開ける。
振り向くことは出来なかった。振り向いたら、もうすべてが終わってしまうと思ったのだ。だから、気づかなかった。

「これでいい。これで良かったんだ。…とっとと逃げろ、暁」
















「ついに紛い物の正義を捨てて本物の殺意を手にとったか。やはり君は僕が期待したとおりの男だった」

槙島が征陸のとっつぁんを殺した。
ここに来る途中、彼の遺体と彼の息子に出くわした。絶対に許せない。
槙島は俺が殺さなくては。

「そうかい…!だが俺は貴様に何の期待もしちゃいない」
「ここまできてつれないことを言ってくれ るなよ」

リボルバー式の銃を構えてコンテナの影を注意深く観察する。薄暗い室内には隠れる場所が多く、慎重な行動をしなければこちらも命が危ない。

「いい気になるな!貴様は特別な人間なんかじゃない。ただ世の中から無視され続けてきたゴミ屑だ!たった一人で人の輪を外れて爪弾きにされてきたのが恨めしいんだろ…!貴様は孤独に耐えられなかっただけだ。仲間外れは嫌だって泣きわめいてるガキと変わらない!」
「…面白いことを言うな。孤独だと?それは僕に限った話か?この社会に孤独でない人間など誰がいる?」

ゆっくり歩みを進めながらも警戒は怠らない。

「他者との繋がりが自我の基盤だった時代など当の昔に終わっている。誰もがシステムに見守られシステムの規範にそって生きる世界には、人の輪なんて必要ない。みんな小さな独房の中で自分だけの安らぎに飼いなされているだけだ…!」

すぐそばのコンテナの近くから槙島の顔が覗いていた。…照準を定めて引き金を引く。だが硝子が砕けた音が聞こえるだけだ。

「くそっ!」

鏡か…!鏡に反射した像がうつって本物のように見せかけていただけ…振り向くと、あの真っ白な男が俺に殴りかかってきていた。なんとか避けるが、危なかった。

「そう言えば…いいのかい、狡噛慎也。彼女を一人にして」
「…!」
「…さっき会ったよ。心配しなくてもいい。君と彼女は、もう会うことはないだろうからね」
「どういう意味だ」
「…それくらい、自分の頭で考えたらどうだい」













丘と言うには寂しすぎる。

行く手を阻む建物がないせいで、強く柔い風が麦畑を通り抜け、垂れた稲穂が頼りなさげに揺れる。槙島が何故この場所を指定したのか、なんとなくわかるような気がした。
狡噛も槙島もきっとここに来るだろう。そんな予感がした。

丘のてっぺんにある木に寄りかかって座り、風が吹くときらきらと光る麦畑を黙って見下ろした。
ざああという風が通り抜ける音だけが鼓膜を震わせる。なんだか不思議な気分だ。だが嫌悪感はなく、むしろ心地よく感じる。

目を閉じて深く息を吸い込む。
無味無臭の大自然の空気で私の肺が満たされる。きっと今、肺胞で酸素を血液中に取り込んでいるのだろう。
奇妙なことに、私は今この瞬間、生まれて初めて自分は"生きている"のだと実感することができた。

「生きてる…」

私がそう言ったら、狡噛は少し驚いたような顔をした後に何も言わずに頭をぐしゃぐしゃと撫でてくれるのだろう。槙島なら、笑って抱き締めてくれるかもしれない。

でも、そのどちらも違うと感じていた。
二人とも私に優しい。でも優しすぎるのだ。過ぎた優しさに、私はなんとこたえればいいのかわからなくなるのだ。

風が髪の隙間を縫って吹き抜ける。
ひんやりとした夕方の風が頬を掠めるだけのことだが、妙に満たされている自分がいる。
こんな哀しいことは早く終わらせてしまおう。
もうすぐ、狡噛と槙島がここに来るだろう。その時に彼らも私もすべて終わる。この長く哀しい物語も、じきに幕引きとなる。

そんな予感がするのだ。

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