「随分と酷いことをするのね」
「それを君に言われる日が来るとは思わなかった」

横に座る槙島は愉快そうに笑うだけだった。
私は嫌悪感丸出しで足を組む。運転席のすぐ後ろに座っているため、私の尖ったブーツでチェ・グソンのシートを少し蹴りあげてしまったが仕方ない。本人も何も言わないので無視。

「楽しめた?」
「とても。君にここを撃たれたとき、すごく興奮したよ」

槙島は笑顔のまま、血が滴っている自分の右頬をつついた。彼の人指し指に少し血が付着したが、なんでもないように舐めとる。
私はそんな彼から顔を背けて、ひじ掛けに肘を立てた。

後部座席は異様な空気だ。こんなときに限って変態ハッカーな運転手は何も言わない。何か言いなさいよ。いつもKYにスベッてるんだから、今日も思いっきりスベッてみせなさいよ。
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、槙島は静かに窓の外の雪景色を眺めているだけだった。

「暁」
「…なに」
「狡噛慎也に惚れてるのかい?」
「…それ、どういう意図の質問ですかね」
「ただの興味さ」

外の景色から目をはなさずに、槙島はいつもの深みのある声で私に問いを投げた。

「もしそうじゃないなら…」

槙島は少し思案するように唇に指を当てた。私はくだらない、と外の景色を眺める。

「僕のものになってほしいな」
「無理」
「即答か」

国道沿いをずっと走っていると、橋に差し掛かった。
歩道を寒そうに手を繋いで歩く母子が目にはいる。女の子も母親も手袋をして何か楽しそうに話しながら、人の波に飲み込まれていった。
その横を通りすぎたカップルが、寒そうに腕を組んで歩いている。二人の頭にはうっすらと雪が乗っていた。きっとデートの帰りなのだろう。彼女の方が鼻の頭を赤くして、何か彼氏に耳打ちをした。楽しそうに二人で微笑むと、またその二人も人の波に飲み込まれて消えてしまった。

「…寒い」

私がぼんやりと呟くと、運転手のチェ・グソンが温度上げましょうかと聞いてくれたが断った。そういう意味じゃない。

道は混みあっているらしく、車もノロノロとしか進まない。退屈なのでまた歩道を歩く人を観察することにした。
首にマフラーを巻いた老夫婦が、ゆっくりと歩いている。夫とおぼしき老人が杖をついて歩くペースにあわせて老婦人も一緒に歩いていた。歩幅をあわせるように、離れてしまわないように、気を付けながら。

「今日は冷えるわね」
「だから、寒いなら温度上げますよ?」

信号で止まってしまったので、変態ハッカーが振り向いて私に告げる。それを遮ったのは、意外にも槙島だった。

「そういうことじゃないんだよ」














「…どういうことだ」

狐狩りの事件の翌日。サイボーグの中身はやはり泉宮寺豊久だったらしく、テレビやネット等の各種メディアではちょっとしたニュースになっている。

あの後結局槙島と暁を捕まえることはできず、常守のダチだった船原ゆきも彼女の目の前で殺害されてしまった。
謎が謎を呼ぶように、わけのわからないことだらけだ。常守によると、槙島と暁の犯罪係数はオーバーするどころか数値的にはずっと下がっていたらしい。槙島も異様だが、暁は異常だった。
今まで潜在犯として生きてきた彼女の犯罪係数が100を切ったことは一度も無かったのだ。なのに、失踪して極悪犯罪の首謀者と行動を共にするようになってから、サイコパスはクリアになっていく。

眠れない夜を過ごした後に、病室で横たわる俺のもとへ朝一番で志恩から内密に送られてきたデータを見て俺は困惑していた。

それは先日の狐狩りの事件中に出会った、暁によく似た少女のデータだ。
鑑識用のドローンが運良く彼女の遺体の断片を発見し、すぐに分析室に送られたのだという。ちなみに頭や胴体はまるまる吹き飛んでいて、見つかったのは彼女の右足首から下だけだったそうだ。

そしてその右足の裏に、小さく緑色の文字が刻まれていた。

"type_02series sisters no.0501"

それが彼女の名前(コード)だった。

志恩の復元のおかげで辛うじて読み取ることはできたが、これだけでは何とも言えない。他にも掠れた文字があったが、読み込めなかったとのことだった。やはり暁が何らかの形でこの少女と繋がっているのだろう。
足の画像を確認していると、志恩から通信が入った。

『慎也くん、データ全部みた?』
「いや、まだ。今画像ファイルを確認してたところだ」
『見たら履歴消してね。ちょっとヤバそうだから』
「…どういうことだ、志恩」
『…さっき、ウチの管轄のお偉いさんが来てさ。この情報は極秘機密にしろって口封じの圧力かけられたのよ』
「…」
『ま、慎也くんにデータ送った後に来たからね。…一係の監視官二人にも報告不要って言われた。尋ねられたらしらばっくれろ、だってさ』
「…臭うな」
『でしょ?気を付けてよ』
「ああ。わかった」
『それにしても、暁が逃げ出したのって…これも関わってるのかしらね』
「むしろこっちが本筋だろうな」
『ん、弥生来た。じゃあね』

そこで通信は切れた。
はやいところデータを全て読まなければならなさそうだ。
俺がデータに目を向けると、ある程度予想通りの結果で少し驚いた。

「どうして厚生省は私を造ったのか、教えてよ」

「血液型、細胞分析、細胞内遺伝情報…DNAか……全て東雲暁のサンプルと一致」

こんなことは普通の人間では有り得ない。
だがこの娘は、東雲暁と全く同じ生体構成をしている。脳波と記憶、そして性格を除けば恐らく本物の東雲暁と見なされるだろう。

簡単なことだ。彼女は人工的に造られた命だった。

「厚生省が暁のDNAサンプルをもとに造った、量産型クローン…ってとこか」

暁は、どこまで知っていたのだろう。

倫理上、クローンを造ることは法律で禁止されている。にも関わらず、わざわざナンバリングされているということは、かなりの量が造られている可能性も高い。この一体だけで最後のナンバーが500番台だ。
それを厚生省が秘密裏に造っていたと世間にバレれば、国家はすぐに信頼を失うだろう。シビュラシステムそのものにまで危機が迫る可能性もある。それだけは避けたい上層部が今になって水面下で動き出した。
ならば何故そもそも造る必要があったのか。
何故それが東雲暁の遺伝子だったのか。
そして何故厚生省が造ったクローンを槙島が連れていたのか。

局長は何を考えてるんだ?

「…胡散臭い」













「量産型クローンっていうのはね、要するに実験用モルモットとしての使い方を重用されたんだ」
「実験用、モルモット?」
「泉宮寺さんが言ってただろう。"君の恩恵"だよ。…君の妹達の脳を全て解析し、身体を用いたサイボーグ化実験が行われた。全身義体によって人類はどれほどまで寿命が延びるのか」

思わず私は息を飲んだ。
私の横に腰かけて私の髪を弄っていた槙島の手がいやらしく私のうなじを這い回る。鳥肌が立つが、動けなかった。
ソファがぎしりと軋む。
ここはチェ・グソンに案内された部屋で、どうやら彼が管理している物件のひとつらしい。
簡素なソファとベッド、あとはキッチンくらいしかない。

「動物による実験には限界があってね。やはり人間が被験しなければ、本当の意味での完成には至らない」
「それ、何年前の話、なの」
「13年ほど前だそうだ。君の妹達の脳と脊髄、神経回路をサイボーグの素体と繋げて動くかどうかの人体実験だよ。もちろん、肉体は破壊して脳だけ取り出すのさ。初期段階のものだが……他にも、サイボーグ化をより完璧にした技術は君の妹達の成果に他ならない」
「……」
「遺伝子もDNAも何もかも同じなのに、君と彼女達は個々に違う脳波を発し、違う性格をしていた。これが実験成功の最大の理由だそうだ」

口の中に唾液がたまる。
暑くもないのに冷や汗が一筋、こめかみを伝った。
またソファがぎしりと軋む。目が泳ぐ。どうしよう。そんなこと知って、私はどうしたらいいの。

「造られた妹達の数はトータルで909体。そのうちの500体が実験で命を落とした。残りの409体は、まだ生きて補完されてる。ああ、でもこの前ので一人死んだから、今生きている君の妹は408体かな」
「…私…500回も死んだの…」
「…理論上、そういうことになる」

あたまが、おかしくなりそう。

「それを厚生省はひた隠しにしているんだ。…臭いものには蓋の原理だよ」
「…あ…」
「可哀想な暁。酷いだろう?汚いだろう?醜いだろう?狡いだろう?君には何も教えず、君の体を使って好き勝手した大人を赦せないよね」

槙島は私の背に手を回すと、少し力込めた。容易く私の体は彼の胸元へもたれ掛かる。力が入らない。冷たい彼の体温が頬に触れて、私は静かに目を閉じた。
やっぱり私、10歳のときに死んでおけば良かったのかもしれない。

「…泣かないで」
「泣いてない」
「泣いてるじゃないか、君の心が」

槙島の胸元に顔を埋めたまま、目だけで彼を見上げた。視線がかち合う。彼の琥珀色の瞳は少しだけ影がさして、今は蜂蜜色にきらきらと輝いていた。
性格もやり方も気に入らないけど、この男のこの瞳だけは素直に美しいと思う。
こいつに関わって事件を起こした人の気持ちが何となくわかった。ハマってしまうのだろう。この妖しい色に。

「…暁」

槙島は私の頤に細くて傷ひとつない指を沿えると、私の顔を上を向かせる。されるがままにじっと彼の瞳を見ていると、彼の顔が近くなる。唇の距離は10センチもないだろう。

「やめて」

冷静に口から出た言葉がそれだった。槙島は少し意外そうな顔をすると、その距離のままで何も言わずに私を見つめる。

「慰めてあげようと思ったんだけど」
「自分で傷つけといてよく言う…私はこういうこと、本当に好きな人としかしない」
「それって狡噛慎也?」

逃げようと体に力を加えると、抱き止められて拘束された。こいつ、モヤシ男かと思ってたのに意外と力強い。

「…だったら何よ」

精一杯槙島を睨み付けると、彼は愉快そうに笑うだけだった。不意に私を放して立ち上がると、窓から外の景色を覗く。

「常守朱、大したこと無かったな」
「あ…面、割れちゃったんじゃないの」
「ああ」
「…常守朱がモンタージュに成功したら、貴方が常備の監視カメラに引っ掛かった瞬間にアウトよ」
「わかってるさ」
「…」
「あの人が動き始めたみたいだし、僕にも後がない」
「あの人?」
「…君達のママだよ」

槙島は余裕たっぷりな様子で笑うと、私の前を通り過ぎて部屋から出ていってしまった。
ママ…?妹を造った人のこと?どうしてそんなことを槙島が知っているの?

私はポケットに忍ばせていた小型のイヤホンを取り出して耳にはめ込む。室内に人の気配がないのを確認すると、そっとスイッチを入れた。

『血液型、細胞分析、細胞内遺伝情報…DNAか……全て東雲暁のサンプルと一致』

狡噛の声だ。ひどい怪我をしていたから、まだ病室で横たわっているはずなのに。
別れ際に彼に渡した"首輪"の性能に感心しながら、息を潜める。

『厚生省が暁のDNAサンプルをもとに造った、量産型クローン…か』
「やっぱり…死んだ妹の遺体が一係に発見されてる。もう解析されてるのか…」

狡噛の声しか聞こえないから、彼の一人言なのだろう。
私はイヤホンのスイッチを切ると、手早くポケットに押し込む。ソファーの背もたれに背中を預けて深く息を吐いた。

やはり槙島が言っていたことは本当だったらしい。実験以外で最近死んだのが一人いると言っていたが、その子が狡噛と何らかの形で接触したのだろう。
ややこしくなってきたなぁ。

さて、私はこれからどうしようか。

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