「…うっ…」

脇腹の出血が酷いらしい。
狡噛は小さく呻くと、床に膝を付いて私にもたれ掛かるような体勢になった。私も彼をどうにか抱き止める。

「狡噛さん…?…あ」

そこで女の子の声が聞こえた。

何故か下着姿に赤いカーディガンと狡噛のコートを羽織っているという出で立ちのその子は、タンクの影から怯えたように私を見ていた。

「…暁、彼女を解放してやってくれ……今回の被害者なん…だ…」

狡噛を一度横たえると、私はハンドガンをポケットに押し込み、 その女の子をもう一度見た。

「…た…助けてください…狡噛さんも、怪我してて」
「悪いが、そういうわけにはいかないんだ」
「あっ…!」

私が口を開こうとすると、別の人物がそれを遮った。

「君と語り明かしたいのはやまやまだが、今は具合が悪そうだね。いずれまた会おう。行くよ、暁」

叫んで抵抗する女の子の首筋に大きな剃刀を当てながら、槙島は別の空間へ繋がった通路へと歩いていった。ついてこいという意味らしい。

「っ…」

狡噛が力を振り絞ってなんとか立とうとするが、やはり傷が深く、身体がうまく動かない。
気を失ってしまった狡噛は、また床に横たわる他なかった。
そこで、彼の胸元に何かがキラキラと光っているのが目に入る。

「これ、」

私が別れ際に彼に渡した首輪だ。
ちゃんと、着けてくれてたんだ。

何だかとっても泣きたくなった。

「狡噛さん!」
「油断するな、きな臭いなんてもんじゃないぞ」

横たわる狡噛を見つめていると、近くで朱ちゃんの声とおいちゃんの声が聞こえる。
もうすぐ、彼らはここに来る。

そこで、くぐもったような女の子の助けを呼ぶ声が聞こえた。恐らくさっき槙島に連れ去られた彼女の声だ。
私は何も知らないし、どうすればいいのかわからない。

「ゆき!?」
「今の声は?」
「行方が分からなくなってた私の友人の声だと思います…。あ、狡噛さん?!…嘘…暁さん、も」

逃げれば良かったのに、私は逃げられずにいた。

おいちゃんのドミネーターの銃口は私の方に向いているが、朱ちゃんは驚いてそれどころではないらしい。

『犯罪係数8 執行対象ではありません トリガーをロックします』
「なっ」
「狡噛が酷い傷を負ってるの。応急処置をお願いできますか、監視官」

私が淡々と言い放つと、朱ちゃんは少し戸惑ったような顔をした。
おいちゃんが私を撃たないから、どう返すべきか悩んでいるらしい。ま、厳密にいうと撃たないんじゃなくて撃てないんだけど。

「あっ…えっと…」
「ったく、どの面下げて帰ってきたんだ、暁。あんまり年寄りと若いのを困らせるんじゃない」
「…まだ帰ってきたわけじゃないんですけどね」

ドミネーターで私を撃つことを諦めたおいちゃんは、やれやれと言うように私の肩を叩くと、今度は狡噛の方を見た。
そうだ、この人はこういう人だ。
鉢合わせたのが宜野じゃなくてほんとに良かった。出会い頭にすごい毒舌と罵声を浴びることになってただろう。

「ひでぇな…。あちこちにもらってるじゃねえか」
「…肩や脇腹に数発。一番酷いのは脇腹かな。血が止まらないし、弾がまだ入ったまま」
「嬢ちゃん、応急処置は?」
「訓練だけは何度も…。でも実際にやったことはなくて…」
「なら俺に任せとけ」

おいちゃんはコートとジャケットと脱ぐと、早速手当ての準備を始めた。

「もう一人いるよ。貴女のお友達を連れていった」
「暁さん…?」
「なるほど、漸く事態が飲み込めてきた。そういうことか」

私がロングコートを翻して、先程槙島が通っていった通路を見ると、朱ちゃんも同じ方向を見ていた。

「ゆきが、いるんですか」
「さあね」
「暁さん、どうして貴女はここに?…なんで?…ゆきを連れ去ったのって、貴女なの?」
「…ドミネーターに聞けばわかるんじゃない?」

私が目を伏せて通路へと歩き出すと、朱ちゃんが私に銃口を向けたのが伝わってくる。

『犯罪係数5 執行対象ではありません トリガーをロックします』
「嘘…」

朱ちゃんは信じられないという顔をして、私を見つめていた。
私は彼女を無視して、歩き始める。
槙島に渡された黒いロングコートは私の足首辺りまであるため、かなり長い。ブーツのお陰で床に擦れることはないが、私の全てを黒く塗り潰されているようであまり好きではない。

『暁、何をしてる?早く来てくれないなら、今日は一緒にお風呂の刑だよ』
「お断りです」

切れていた通信が突然繋がった。
オフモードにしていたマイクをオンにすると、彼との会話が容易になる。
通路を真っ直ぐ進んでいると、一匹だけいたラヴクラフトが独特の機械音で私に威嚇してきた。だが何もする気はないらしく、私が素通りするのをじっと見ているだけだ。

「状況がはっきりわかんないんだけど。私はどうしたらいいの」
『彼らとは会った?』
「公安ですか。会ったよ、一番会いたくなかったちっちゃい上司に」
『それは気の毒だ。僕としては彼らがここに来る前に逃げたいんだが、チェ・グソンがちょっと手間取っててね。もう少し彼らと戯れるのも悪くないと思うんだ』
「あ、そう」
『ははは、無関心か。いいよ、君にはマップを送るからその経路の通り来てくれ』
「了解。あ、そうだ、忘れてた。泉宮寺から言伝てがあって」
『何?』
「君はやはり、最高にして最悪の男だった」

私の言葉に、一瞬空白の時間が流れる。

『そうか』
「ええ」
『わかった。ありがとう、暁』
「ねぇ、貴方が今つれてる女の子は何?」
『常守朱の友人だ。囮だよ、ただの』
「殺すの?」
『状況によるかな』

そこでイヤホンからさっきの女の子と思われる声が泣き叫んでいるのが聞こえた。

「助けてあげたら?すごい泣いてるみたいだけど」
『生かす価値があったらね』
「……手厳しいな」

私が苦笑いをすると、イヤホンから聞こえる槙島の声も笑っているような気がした。













「体が重い…自分の体じゃないみたいだ…」
「弾はまだ抜いてねえからな。俺がおっかなびっくりやって太い血管を傷つけたら本当に致命傷だ。搬送後、プロにやってもらえ」

目をさますと、征陸のとっつぁんが呆れたような顔で俺を見下ろしていた。
身体の至る所にガーゼや包帯が巻かれていて、輸血パックもちらちらと視界に映る。
なんとか俺は狐狩りに勝ったらしい。だが肝心の暁の姿が見当たらない。どこだ?さっきまでここにいたはずじゃないのか?

「暁はどこだ?さっきまでここにいたんだ、会ってないのか?」
「ああ、俺も見たさ。…だが撃てなかった。ドミネーターが、撃つなと言ったんだ。逃げられたが、嬢ちゃんが追いかけて行っちまったよ」

わけがわからない、というような顔でとっつぁんが唇を噛み締めた。
ドミネーターが、撃つなと言った。
そういえば、俺があいつにドミネーターを構えたときも犯罪係数が異様に下がっていなかったか?
パラライザーも機能しなかった。どういうことだ?
公安から脱走した暁の犯罪係数は、何故下がってる?

「二人は、どこへ?」
「こっちが聞きてえよ。暁は誰かを探してるみたいだったな。お前の応急処置が終わったら、俺も嬢ちゃんを追い掛ける」
「俺も行く」
「お前はアホか」
「だが…」

俺が楯突こうとすると、とっつぁんがごつんと俺の頭を頭突いた。
あまりの痛さに悶えるが、とっつぁんはやはり呆れ顔のままだ。

「悪いな、重傷だってのに。でも時間の無駄は嫌なんだよ。お前がこんなになるんだ、はっきり言って嬢ちゃんも暁もかなりヤバいとこまで踏み込んじまってる」
「征陸執行官!」

とっつぁんが言うことは最もだ。俺も何も返せずに頭の痛みに耐えていると、遠くでギノの声が聞こえた。

「ちょうどよかった、監視官!狡噛が動かないように押さえ付けといてくれ!」
「しぶといもんだな、まったく」

俺の顔を覗き込むと、ギノも小さく息を吐いた。生きてるだけでも誉めてほしいくらいだ。
ギノの背後からコウちゃ〜んだのうるさいだの賑やかな声が聞こえるから、縢と六合塚も合流したのだろう。

そこで俺はもうひとつ重要なことを思い出した。

「ギノ」
「何だ?」
「そこの下水道を調べてくれ。女の遺体が出るかもしれない。…もし発見したら鑑識に回して唐之杜に遺伝分析や細胞調査を頼めないか。他の分析官じゃない、唐之杜のところへ」
「……わかった。六合塚、ドローンを運んでくれ」
「了解」

六合塚はギノの指示に従って、端末を操作し始めた。

「東雲がいるらしいな」

ギノはしゃがみこむと、俺を見下ろしながら眼鏡を押し上げた。

「…ああ」
「状況は把握している。…狡噛、すまなかった」
「ギノ?」
「…以前お前の言ったとおりだった。俺は彼女を助けてやりたいのに、助けてやれなかった」
「…」
「守ってやらなければならないのに、俺は彼女の心を野放しにし過ぎた。…すまない、俺の責任だ」

ギノらしくない。
本当に悔しそうに、ギノは歯を食いしばっていた。
こいつも暁のことが好きなのだ。どんなに憎まれ口を叩こうとも、酷い言い方をしようとも、ギノはいつも暁を想っていた。

「ギノ、指示を」
「狡噛…」
「後悔するのはまだ早い。暁と常守の後を追い掛けないと、もっとまずいことになるぞ」

俺の言葉にギノは頷くと、すぐさまシュウや周りの執行官に指示を出す。端末から外部に連絡も取り始めた。

「…暁」

「どうして厚生省は私を造ったのか、教えてよ」

「必ず貴方の元へ帰る。だから信じて、慎也」


信じるよ。
俺はお前を信じる。だから早く戻ってきてくれ、暁。

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